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2019年9月12日 (木)

歴史修正主義者の戯言が31年前の国会で論破されていた件について

 タイトルは煽りです。
この国会答弁はかなり有名で重要なのですが、議事録が長くて読みにくいため、どなたか吉岡議員の歴史認識に関連する質問の全文と政府答弁だけわかりやすく抜きだしてくれないだろうかと長年思っておりました。しかし誰もやってくれないため、やむなく自分でやってみました。重要部分は太字で強調しておきました。
ブログデザインの関係で強調部分が読みにくくなってしまいましたが、お急ぎの方は太字部分だけ読んでも概要はお判りいただけるかと存じます。
なお、質問にある安倍幹事長は安倍晋三氏ではなく安倍晋太郎氏のことです。

質問している 吉岡 吉典 氏(1928年5月16日 - 2009年3月1日)は日本共産党の参議院議員です。

 

第112回国会 外務委員会 第10号
昭和六十三年五月二十四日(火曜日)
   午前十時二分開会
 

 
○吉岡吉典君 これはもうちょっと時間をかけて本当はやりたいんですけれども、先ほどもありましたように、きょうのこの委員会は今国会の最後の外務委員会ですから、私はどうしてもきょうもう一問やっておきたい点を大臣にお伺いしたいと思いますので、やむを得ずテーマを変えたいと思います。
 それは、今国会は私ここで二回も取り上げましたように、奥野発言というものをめぐって大臣の辞任という問題(下記参照のこと)が起こった点です。
 この大臣の辞任、奥野さんが辞任したということでこの問題は外交上の決着はついたということにもなっているわけですけれども、私はこれでは終わらない、これで終わらないからいろいろな問題が起こる。
つい最近も自民党の安倍幹事長が、奥野発言は間違っていない、これによれば、あれは中国、韓国対策及び野党対策でやめたんで、発言内容が間違っていたわけではない、こういう発言を行っている。私はここらあたりに今日の政府・自民党の平均的な認識があるのじゃないかと思いましたけれども、それをそのままほっておくことができないというところが今日の重大な局面だと思います。
 私は、なぜこういうことが起こったか。これまで二回問題にしてきましたけれども、きょうは別の面から、結局こういうことが起こる、また外国から日本への強い不信が、四十数年たってもまだ戦前の日本の侵略への不信が残っているのは、戦後四十数年間日本がきちっとした形で過去の他民族への植民地支配及び侵略戦争についての清算をしてこなかった、そこにあると私は思って幾つかお伺いしたいと思います。
 私は、戦後四十年間あるわけですが、幾つかの時期を振り返ってみて、どうしてもやる必要があったと思います。
 
 第一にポツダム宣言を受諾した際。この際、日本は、本来過去の植民地支配、侵略戦争の清算をすべきだったわけですが、当時はそういうことは全然やられない。当時の政治状況というのは、終戦時、国体護持が全力挙げての当時の支配層の関心だった。この時期のことは私はとりあえずは述べません。
 次の問題はサンフランシスコ講和会議、これが日本が過去を清算する必要のあるもう一つの重要な時期だったと思います。 
あの平和条約、安保条約については、私ここでも述べましたように我々は明確な見解を持っていますが、それはともかく、講和会議だと言うからには日本はやはり過去の決着をつけるべきだった。
 私は、かつて古本屋で百円で買った議事録ですけれども、
 
 外務省がまとめたサンフランシスコ会議議事録という本
 
をこれまでも何回も読み、今回も読み返してみました
これを読んで私が非常に改めて感じましたのは、
 
サンフランシスコ会議でアジア諸国が、幾つもの国が日本の侵略を厳しく糾弾する演説をやっている問題なんですね。
私、事前にこれに関連して質問するということも通告しておきましたので、
どういう国が日本の過去の侵略について厳しい批判を行ったか、外務省の方から述べていただきたいと思います。
 
 
○政府委員(斉藤邦彦君) サンフランシスコ講和会議の際に日本より被害を受けたと述べた国は、ラオス、カンボジア、インドネシア、フィリピン、ベトナム、オランダといった諸国であると承知しております。
 
 
○吉岡吉典君 私が読んだところではまだ幾つかありますけれども、数はいいわけです。
 これらの国の演説というのは、私が読んだ本によれば、事前にダレス特使がいろいろ圧力をかけたり、買収工作をやって本会議でこういう演説が行われないようにさんざん工作したにもかかわらず飛び出した発言で、当時の吉田首相は、ダレスの力も大したことないなと側近に語ったということまである本で書かれている。
 
 そういう状況の中での発言ですけれども、例えばインドネシアはこう言っていますね。「日本人による占領期間中にインドネシアが被った損害は二重であります。第一に、約四百万名の人命の損失があり第二には数十億ドルの物質的損害があります。」、こう言っています。四百万人が殺された。
 フィリピンの演説を読んでみますと、こう言っています。「千八百万の人口のうち、われわれは百万以上の生命を失いました。生命の損失の他にわが国民は未だに癒されない程深い精神的傷手を蒙りました。」後、続くわけですけれども、私は改めてこの議事緑を読んで、こういうことを日本国民にも知らせないできた。同時にサンフランシスコ平和会議の受諾演説で吉田首相はこういうアジア諸国の批判に答えてもいない。私はそうこの速記録を読みましたけれども、別の読み方なさっていますか、外務省どうですか。
 
○政府委員(斉藤邦彦君) ただいまの御質問が、当時の吉田総理犬住の受諾演説で、日本が侵略行為をやって近隣の国に被害をかけたということを直接言及したかどうかという御質問であったとすれば、受諾演説の中にはそういうくだりはなかったと承知しております。
 
○吉岡吉典君 ここが私は戦後の日本と諸外国との関係を考える場合に非常に大事な問題だと思います。
 
 講和会議で、今読み上げましたような百方人、四百万人が殺されたという演説があった。本当にアジア諸国のそういう声に耳を傾けようという姿勢で講和会議をやれば、私はそういう批判に一言ぐらいは少なくとも答えてあるのが当たり前じゃないかと思いますけれども、和解と信頼の条約だということでアメリカへの感謝の言葉はさんざん述べてありますけれども、これに答えることはなかった。戦後の講和会議での出発点、アジア諸国のそういう声を無視しての出発だったと、そこに私は今の問題がある。私は、今からでも講和会議のときにその声に答えなかったその答えを出すべきだと思います。それをやらないから教科書問題その他あらゆる発言のたびに問題が起こる。侵略の決着はつけられていないと思います。
 
 
 ついでにお伺いしますけれども、この日本の戦争のおかげで独立したと感謝を述べた国が一つぐらいありましたか。
 
○政府委員(斉藤邦彦君) そのような声明を行った国はなかったと承知しております。
 
○吉岡吉典君 よく中曽根さんがお書きになっている本の中でも、それから奥野さんも、結果として独立を与えたんだということを述べられております。しかし、私もこれ何回も読みましたけれども、
 
日本のおかげで独立したなどというのはサンフランシスコ会議に参加した国の中でもどこもありません。そういう発言というのがいかに根拠のないものかということを示していると思います。
 
 外務大臣、講和会議はこういう状況なんですね。それでよかったかどうか。私はアジア諸国に少なくとも何らかのことを言うべきだったと、吉田首相批判をやれというわけじゃありませんけれども、それから長い時期を経た今、アジア諸国といろいろな問題が起こっている時点でお考えにならないかどうか、大臣の意見をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(宇野宗佑君) 吉田総理が献身の努力をなさいまして我が国の独立を確実にしていただきました。これは我々としては感謝しなくちゃいけません。同時に、昭和二十六年の一月に、第十回国会におきましては、吉田総理は次のように述べておられます。「正しき観念に欠くる軍備は、外に対しては侵略主義となり、内においては軍国主義政治となるのは、わが国最近の事実の経過に徴してはなはだ明らかなところであります」こうしたことで、吉田総理といたしましては、十年間にわたる無謀なる戦争による名状しかたい破壊と混乱の後始末をなし、そうしていろいろと本大戦に対する反省の言葉を述べておられます。
 同時に、私たちはその後、累次申し述べておりますが、アジアに対しましては常に経済大国日本は軍事大国にならないということを総理も宣明し、また私も明らかにいたしております。また、過般来申し上げておりまするとおり、特に戦後の後始末をいたしました日韓基本条約あるいはまた日中友好平和条約等におきましては常に反省の意をあらわしておるということでございますから、我々といたしましては今後もそうした気持ちを失うものではありません。
 
○吉岡吉典君 今その日韓条約に話が及びました。私は、サンフランシスコ平和会議に次いで日韓条約、このとき我々は、日韓条約については当時我々の理由を挙げて反対していますが、しかしともかくこれは日本と朝鮮、韓国との関係を清算すべき時期である、そういう時期になってしかるべきだと思いますが、それがならないできた。そこにいろいろなときに日韓の過去の植民地支配をめぐるトラブルが起こるもとだと思います。
 最大の問題は、私は四月の委員会でも述べましたけれども、日韓保護条約とか日韓併合条約が対等の立場で結ばれた、自主的に結んだ条約だという点ですね。私は前にも申し上げましたけれども、きょうも実は時間があれば、奥野さんは外国によって日本の歴史が書きかえられた、書きかえられるというから、そうではなく、事実に沿った歴史が描かれていないところに問題があるということを、日本のしかも公的な文献できちっとしたいと思って、実は日本の公文書あるいは公的立場にあった人の本もいろいろ持ってきましたけれども、それ一々紹介しているとここでもう時間がありませんから、一々述べません。
 日韓条約のときのそういう答弁、これは私は今なお朝鮮、韓国の人民を傷つける答弁だと思います。
明治九年の日韓修好条規に始まる一連の条約というのは、これは本当に当時の人々の書いた本によってもひどいことをやったんですね。
第一回目の最初の日本が韓国、朝鮮に押しつけた不平等条約である修好条規、明治九年ですけれども、
これは朝鮮総督府から出た本、戦前出た本ですけれども、この中で、アングロサクソン流の武力外交にならうものだったと。それで、アメリカから日本が不平等条約を押しつけられた、それを今度は逆に朝鮮に押しつけたということを詳しくお書きになっている。 
 
 それから、日韓保護条約がどういうふうにして結ばれたか。これは外務省の発表しているさまざまの文書の中にあります。私は、一つだけこれはぜひ読んでいただきたいと思いますけれども、保護条約のときの全権公使、林権助氏自身が書いた「わが七十年を語る」という本ですけれども、これを読んでみますと、伊藤博文と相談して大臣が逃げ出さないようはこういう手を打った、また韓国の判こが持ち逃げされないようにこういう手を打ったということがつぶさに書かれている。会談といいますけれども、外務省の例えば保護と併合という条約を読んでみても、伊藤博文が韓国の閣僚を集めて尋問しているわけですね。おまえ賛成か反対か、メンタルテストをやるように、おまえは反対だからおまえはそれじゃバツ、おまえは賛成、マルといってやったという状況がつぶさに当時の公式な立場にあった人々の本で書かれているわけですね。
 
 そういうことをやってきて結んだ条約、これが自由な立場で結ばれた条約だということは改めなければ、どんな言葉を吐いてもこれは本当の意味の日本と朝鮮との歴史の清算にはならないと思います。
 
 
 もう時間がありませんから、私ついでに述べさせてもらいますけれども、朝鮮併合後の問題で奥野さんは、韓国があれこれ言うのがようわからないとおっしゃっていましたけれども、日本が韓国でやったことについては、これまた外務省及び国会図書館に今はある本で、もういっぱい出ていますよ。これは三・一運動のときに現地から送られた電報が、今もうこんな本になって出ています。この原本は私は外務省にあると聞いていますけれども、こういうのは僕は少なくとも学術研究の対象にはしてもらいたいと思います。
これを読んでみると、驚くのはもう三・一運動のときに教会にみんなを集めて、それでみんな銃殺して焼き払った。しかし、こういうふうに公式に認めるとぐあいが悪いので、失火で焼けたということにしましたなどという手の内まで書いた電報があるわけですよね。
そういうことを日本はやってきた。そして、そういうのを暴徒呼ばわりでやってきたわけですね。そういう歴史を我々は隠しちゃならないと思います。
 
 私はここで、これも六五年の日韓国会でのそういう政府の答弁を変えるということを直ちに求めません。しかし、そのままでよかったということでは済まされないと思いますので、そういう見解について何らかの研究なり検討をやる用意はあるかどうかということだけはお伺いしておきたいと思います。
○政府委員(藤田公郎君) ただいま委員が種々御言及になりました研究書、それから過去の文献等々は、一部分は外務省で外交史料館において開示しているものもございますし、一部は国会図書館にだけしかないものもあると思いますが、
 
一九一〇年以前の日韓両国間のやりとり、応酬につきましては、日韓国交正常化交渉の過程におきまして、ただいま委員の御言及になりましたような立場、それから我が方の立場を踏まえましていろんな議論が行われたということはよく御高承のとおりでございます。
 
 その結果を踏まえまして、日韓基本関係条約第二条に記しておりますように、一九一〇年以前に日韓両国間で締結されたすべての条約及び協定は、日韓併合条約を含めまして「もはや無効である」ということを言っているわけでございまして、日本の立場というのはここに述べられているとおりということでございます。
 その後、いろいろの機会に、本院も含めましていろいろ応酬が行われておりますが、政府としましてはそのような立場で一貫して御説明をしているとおりでございます。
○吉岡吉典君 時間が来ましたから、私は今のでは満足できませんけれども、ここであれこれやろうとは思いません。
 日中についても、日中共同声明の際、国会で当時の田中総理は、中国に対して侵略だったということは私は言えないという答弁です、当時はね。しかし、今国会でいろいろ論議がありました。私は、これは日中共同声明の当時の田中首相の答弁、侵略だとは私は言えないという答弁を少なくとも発展させたものととっていいかどうか。この点、大臣。
 
 
○国務大臣(宇野宗佑君) 田中総理の発言はいざ知らず、私たちはやはり戦前の日本の行為が侵略だという世界的な非難、これに対しましては率直にそれを受けとめなければなりませんし、私自身ははっきりと軍国主義の侵略である、こういうふうに申しておりますから、私はそれでいいんじゃないか。私たちは現在そういう気持ちでおる、こういうふうに思っております。
 
○吉岡吉典君 私は、さらにこういう問題が起こることと関連して、教科書問題がこの数年間問題になっていますけれども、これについても結論として過去の侵略を否定したり覆い隠したりするような教科書をつくって教育したら、もう奥野さんのような日本国民ばかりできるようになると思います。そうなったら日本と世界との関係というのはこれは大変なことになる。
私は、戦後、中国を侵略した人々がつくった「侵略」という本ができたときに、かつて戦前の大臣も務められた風見章さんがお書きになって、これに序文を書いて、「日本民族が自らの歴史の中でおかした、このような罪悪に眼をつぶることは、ふたたび同じあやまちをくりかえすもとになるであろう。」と言って、日本が行った罪悪というものに我々は目をつぶらずに、はっきりさせることこそ大事だということをお書きになったことがある。私は日本国民の今後の教育にもこういう見地が必要だと思います。
 というのは、例えば教科書でも三・一連動というのについて、教科書改訂で、かつて集会と書いていたのを暴動と書くように改めている。こういうことではこれは日本の将来が大変なことになると。そういう点で、今度の国会というものを踏まえて外務省は、こういう過去の歴史、対外関係について日本政府全体に資料を提供して、正しい歴史認識を確立する中心になっていただきたいということを要望して終わります。

奥野氏は国土庁長官だった1988年5月、国会で「東京裁判は勝者が敗者に加えた懲罰だ」「あの当時、日本にはそういう(侵略の)意図はなかったと考えている」と発言して閣僚を辞任した。
東洋経済ネット「政治家の「失言の歴史」にも時代が表れている」


質問に出てくる外務省発行の「サンフランシスコ会議議事録」 にある各国日本非難発言は

「美しい壺日記」「サンフランシスコ講和会議にみる「アジア解放の戦争」という怪」の記事末尾に詳しく書かれています。

http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-127.html



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「慰安婦問題についての覚え書き」


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2019年4月 1日 (月)

ドアを替えたら風が止んだ話

 大変ご無沙汰をしております。いままでどうにかこうにか月イチ更新をしてまいりましたが、今年に入って力尽き、一月から丸二ヶ月以上更新することができませんでした。
もうほんと、大変だったんです(涙)

さて、今日はその大変だった話ではなく、去年の暮れにドアをリフォームした話を書きます。

 築数十年の木造家屋である我が家は、夏暑く冬寒い伝統的な日本の家です。
ことに玄関に繋がっている廊下の寒さは耐え難いもので、寒くて寒くて冬は涙目になりました。この寒さの原因は、北向で、アルミドアで(熱伝導率が良い)、上と両側に単層ガラスに縁取られた玄関に違いないと睨んでいたのですが、断熱診断をした訳ではないので確証はありませんでした。

 それでも手探りとはいえ、ガラス部分にプチプチシートを貼ったり、段ボールでガードを作って置いたり、上がり口に断熱ライナーを垂らしたりと、色々工夫してみました。それぞれ効果は確かにあるものの、それでも根源的な寒さを抑えることはできませんでした(涙)

 そんな時、ドアの上についているクローザーがおかしくなってきたのです。修理すると結構なお金(十万に近い金額でした)もかかるみたいで、それだけ掛けるなら、いっそ玄関リフォームしちゃえば?と血迷ってしまったわけです。

 玄関リフォームなんて十万の何倍かかるの?それより古家の改造なんてお馬鹿さんでは?って話ですが、疲れていたし、寒さにも耐えられなくなっていたんです、きっと。

 で、とんとん拍子に話を進め、去年の12月に玄関を丸ごと断熱玄関に交換してしまいました。

 結果は驚きの暖かさ!

なのですが、暖冬だったため、リフォームのおかげで暖かくなったとは言い切れない事を申し添えねばなりません。

 しかし目に見える大きな違いがありました。リフォーム前は上がり口に垂らした断熱ライナーの玄関側から、いつも風が、それも大量に吹き込んで来ていました。
ほんと、常時ライナーの下が風で持ち上げられている感じ。なので下にドアストッパーを置いて冷気の侵入を食い止めようとするのですが、そうすると今度は脇が膨らんで風が吹き込むといういたちごっこ。

この風はどこから、なぜくるのか。

    ↓これがライナーなんですけどお判りいただけますか?201801260803000s

 すきま風にしてはあまりにも大量すぎるので、お風呂の換気扇をつけっぱなしにしているからかなのかとも思いました。それではちょっと理屈が通らない気もしますが、これだけの風を説明できそうな理由を考えつきませんでした。

 その謎の風がリフォーム後にぴたりと止まったので、換気扇が原因ではなかった事がはっきりし、浮上してきたのが『対流』。
そうです、冷やされた空気と暖かい空気がぐるぐる廻るあれです。
あれだけ冷えが伝われば(玄関ドアはいつも氷の様に冷たかったです)、そりゃ空気も冷えて動きますわな←早く気がつけ、自分(^_^;)

 そして茶の間のすきま風もリフォームと同時にぴたっと収まってしまいました。何故玄関から遠い茶の間が!と驚いたんですが、廊下との温度差が少ないと、風が起きないみたいなんですよね。今まで茶の間でスースーしていたの、すきま風じゃなかったんだというこの衝撃。

 玄関一つでどれだけ風が吹き荒れてたんだ、家・・・。

 とはいえ対流の存在を確認した時点で、私は一つの不安も感じていました。
毎年花粉の頃になると洗濯物を部屋干しするのですが、階段の踊り場に干しておくとよく乾いたのです。厚手のものさえも、下手すると外に干すよりよく乾いて、とっても重宝していたのです。今まで乾く理由は判りませんでした。でも今なら予想がつきます。だって普通だったら暖かい日の方が乾きやすいはずなのに、踊り場は寒い日の方がよく乾いていたんですもの。だから今年は乾かないのではなかろうか・・・

 案の定、今年は全くと言っていい程乾いておりません。リフォームの後だというのに乾燥機の導入を検討しなければならない事態に陥っております(^_^;)

 ということで、『対流』は家中を駆け巡り、二階の厚手の洗濯物をもよく乾かす、という、去年に引き続き「嘘としか思えない本当の話」をアップすることになった四月一日なのでした。玄関から二階へ冷気が駆け上がっていったということでしょうか。私も信じられないわ(^_^;

 
 毎年毎年、どうしてこう逆張りなんでしょう、私。

みなさま、本年度もどうか宜しくお願い申し上げます。

 去年の四月一日の記事「善光寺のお話」はこちら(リンク
 昔書いた防寒記事「防寒・省エネマニュアル」はこちら(リンク

2019年1月27日 (日)

ささやかな抱負

 皆様、あけましておめでとうございます。 本年も何卒よろしくお願いいたします。

 今年のお正月はお一日こそ縮小簡単お節とお雑煮で穏やかに祝えましたが、二日は早朝の雪かきが堪えたのか年末からの風邪がぶり返し、家族の食事を心配せずに済む幸せをかみしめながら私が一日寝込み(こんな事はお正月でもなければ有り得ません)、三日朝には家族Aが熱を出し、たまたま休日当番でもあったかかりつけの病院に担ぎ込み、誤嚥性肺炎(真夜中にお菓子を食べてそのまま寝ちゃったんですよ、この人!)でそのまま入院という、なかなか波乱の幕開けとなりました。

 しかし、何よりも私を驚愕させ震撼させた出来事がありました。 

 それは家族Aが入院して数日後のこと。疲れ果てた心に潤いをと、年末に買ったままになっていた抹茶の缶を切り、お薄を一服たてた時のこと。

 茶筅でいくら泡立てても泡が立たない!
 指に力が入らない!!
 仕舞いには腕まで痛くなってくる!!!

 久々にたてた薄茶が、泡一つない緑のヘドロだった私の衝撃はいかばかりであったか。
 老化って足からだとばかり思ってましたけど、手の力もなくなるんですね。それと私が去年患った指の腱鞘炎も、まだ全然治ってなかったんですね。

 という次第で、今年は筋肉造りに勤しんで腕の老化を遅らせる、指の腱鞘炎を治すというささやかな目標を立てたので、これを達成すべく日々精進に励みたいと思います。 
 みなさま、どうかよろしくお願いしますm(__)m


 蛇足
 家族A既にかなり元気を回復し、月末には退院できる見込みです。全豪オープンの大阪なおみたんのプレイ、今夜これから始まる男子決勝ナダル対ジョコビッチはきっと再放送かオンデマンドで観ることができると思います。

2018年12月29日 (土)

目をキラッキラ輝かせていた人の話

 ご無沙汰しております。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私は10月に指の腱鞘炎になってからあれこれ用事も足せず、結果11月半ば、指が少し動くようになってから怒濤の日々となり、先月のブログ更新をギブアップしたのみならず、12月8日サントリーホールでのポゴレリッチコンサートをも断念し、12月は生きる気力も失せ果て、腱鞘炎の注射もしそこねて年末に至りました(涙)

 さて、コンサートに行かれなかった私の為に、お友達の皆様が演奏の情報をアレコレSNSに書き込んで下さりました。本当にありがとうございます。 
今回の演奏時間はやや長めだったそうで、その話から2010年は三時間もかかったのよね~などという話になり、当時を思い出すべく、このブログにアップしたその時のコンサート感想文を読み直したのでした。その時の記事はこちらです(リンク
 このコンサートの翌年冬にポゴ師は演奏時間がやや短くなり「王の帰還」と言われ、その後割と普通の速度になって、世間様から完全復活したと認められたわけです。そこらへんを2012年5月来日から2016年12月まで、飛び飛びですが聴いてきた私には疑問が一つあったのです。
 早く弾けるならなんであんなに遅く弾いたの?と。

 あの遅い演奏を聴いたればこそ、私はその後の演奏会での理解が深まったとも思うし、何よりあの演奏が素晴らしかったと思っているので、文句はないのですが、でも早く弾けるなら早く弾けばよくない?と思ってました。あの遅さを彼の精神面での苦難の現れと考える向きも一部であるようですが、精神のどっかが乱れてたらあれだけ緻密な演奏を長時間できっこないので私はその説は採用しません。曲の構造が恐ろしい程よく判るので聴衆へのレクチャーかとも思いましたが、それならマスタークラスとかの他の場所でやるべきだし、彼ならそうするだろうとも思いました。
 
 何よりポゴ師は昔のインタビューで「何故曲をバラバラにして遅く弾くのだ」と問われて「私は美しい曲を美しく弾いているだけ」と答えているのです。
あの、作曲家(演奏家ではないのよ、これが)の圧倒的な才能の前に跪かせるような、眼前に拡がる曲の構想が圧倒的に大きくて、聴いている人間が米粒の様に小さく感じてしまうような、つまりどでかい凶器で聴衆をぶん殴るような演奏を「美しい曲を美しく弾いてるだけ」とか、あまりに表現が地味ではないでしょうかと。

 とはいえ、長年観察してきた演奏家なので、本人は真面目に答えている可能性が高いように私には思えます。あの演奏と、この表現の乖離に私は戸惑いました。

 それが、今8年前の感想文を読んで、思いもかけずこの積年の謎が解け気がするんです。また何故私にでさえ作曲家の意図が手に取るようにわかったのかということも。


 簡単に言ってしまえば、精巧な機械を分解して、その部品一つ一つを眺め、部品の美しさ、配置の冴え、連携する動きの妙を、目をキラッキラさせながら熱く語る人っていませんか?
 ポゴレリッチは極端に遅いテンポで音をバラバラにすることで、曲の構造や作曲家の意図を誰にでも分かる様に明瞭に示しました。その出来は恐ろしくもすばらしいものだったので、私は、その図は彼が頭の中で描いたものであり、それを表現するためにステージ上で頑張っていると思い込んでいたのです。
 だから音をバラバラにして
「ほら、この組み立て、すごいでしょ」とか
「この音!この大きさのこの音!これをここに置くことが4小節後を見据えた布石なんですよ。すごいでしょ」とか
ステージ上でそういうことしているとは夢にも思わなかったのです。


 でも8年経って(07年からなら11年)、あの時の衝撃が少し記憶から薄れた今、自分の感想を読み返すと、どうもそうとしか考えられなくなってきたのです。
機械は分解したら動きませんが、曲は部品がよく見える程度に分解しても曲の内と考える人も一定数いそうですし(私がそうです)
これなら「美しい曲を美しく弾くだけ」って表現も確かに成り立ちそうです。
そして彼の演奏を「こんなの曲じゃない」と怒った名もなきお客様がいらしたと漏れ聞いておりますが、この考えも理屈としてはあるかなと、今頃(2018年12月)思った次第です。

 という分かってる方々には8年前から明々白々だった事柄を、なぜ今頃、それも慌ただしい年末にアップしたのかと問われれば、それは私がお馬鹿さんだからです。

 そうです。元々壊れていたお脳がついに瓦解したんです。

 こんな壊れた私を一年間暖かく見守って下さって、皆様本当にありがとうございます。 
 でも、聴きたかったな、あの演奏・・・・

と、変な未練を残しつつ、皆様には良いお年をお迎え下さいませ!

追伸
リンクを盛大に貼り損ねてました。いや~、私らしいわ(笑)

2018年12月21日 (金)

とあるできごと

 ご無沙汰しております。秋から冬にかけて起こった、指の腱鞘炎の話(まだ治ってません)、ポゴレリッチのコンサートに行けなかった話、ドアを替えた話、車のキーをなくした話などを面白可笑しく書きたかったんですが、疲れているのか、なんてない話を書きたくなってしまいました。ほんと、なんでもない話です。

 9月頃だったでしょうか、夏の終わりの昼下がりに、とある田んぼの中の道を車で走っていると、道の先を高校一年くらいの女の子二人連れが、自転車を並べて楽しそうにおしゃべりしながら走っていました。自転車の並列走行というやってはいけない事になってるやつではあるし、普通の速度で追い越しするのも危ない気がしたのでクラクション鳴らそうかなとも思ったのですが、この二人があまりにも楽しそうだったので楽しみに水を差すでもないと、速度を落としてついていったんですね。どこかで安全に追い抜けるだろうと思って。
 暫くゆっくり走っていると前方に、見事な、実に素晴らしい枝振りをした胡桃の木が目に入りました。数え切れない程この道を走っていたのに、この木を見たのは初めてでした。


 青い空の下、太い幹から枝をまあるく伸ばした木が、風に葉をそよがせている様を見るのはとても幸せなことでした。

 その後その二人は脇道に曲がっていき、私は普通の速度で大木の横を通り過ぎました。
彼女達の邪魔をしなくてよかったと思いました。あの二人を追い立てて数十秒時間を倹約しなくて本当によかった、こういう事が人生の幸せというものだろうと思いながら。

 
 今日またその道を通り、数ヶ月ぶりに件の木を眺める事ができました。美しい大木は葉を落としても美しい。

 ただ、葉が落ちると何の木か判りにくいのですよね。この木、胡桃だと思ってたんだけど、ひょっとして栗?どっち?(^_^;)

2018年10月22日 (月)

お手々が痛くなった話

 不詳ワタクシめ、夏前から中指や薬指を曲げると元に戻らなくなることが度々ありまして、とはいえ忙しかったのと、痛みが余りなかったため、指を掴んでぐっと伸ばしてそれでヨシとしていました。

 しかし、先週急に寒くなってきてから、指がしくしく痛み始め、医者が休診になる土曜日昼過ぎからはずきずき痛み出したのです。もうね、じっとり冷や汗が出るくらい痛かったです。
かねてより、ばね指(曲げた指が戻らなくなるやつですね)についてネットで調べていた私は、これはいよいよ腱鞘炎が本格的なってきたと思い、腰痛で処方された湿布を貼ったのですが、少しも効かず、痛みは増すばかり。

本日、泣きながら整形外科に駆け込んだところ、やはり指の腱鞘炎との診断。そうだろうそうだろうと思いつつお医者さんの説明を聞く私。
 お医者さん曰く

まずは湿布を貼って安静にしてみて(うむうむ、ネットで調べたぞ)

それでも駄目なら注射をして(これも承知だ!)

最終的には手術という手もある(そこまでちゃんと調べたぞ、私!)

と、無意味に勝ち誇っていた私に、ドクターは

「じゃ、手のひらに湿布ね」

 えっ?そっち?


 下調べしました。炎症の図解もちゃんと見ました。なのに湿布を手の甲に貼りました。
手の血行不良とともに、お脳の血の巡りにも多大な疑問が湧き上がる神無月。
ワタクシぽんずは、指の安静のため、暫くネットを休ませて頂きます。

 ではでは(;_;)/~~~

 誰か私に自棄団子持ってきて~(T_T)

 今よくみたら、手のひら、指の付け根が赤く腫れ上がってましたわ(涙)

2018年9月30日 (日)

奇跡のかぼちゃ

 猛暑の予想だった今夏、忙しくてグリーンカーテンを準備し損ねたぽんず家は恐怖におののいていました。
「遮るものがなかったら、暑さに焼き殺されてしまう~。特にお勝手!」
と泣いていたところ、なんとお勝手窓の下にある菜園と名付けている場所から、かぼちゃの苗が生えてきたではないですか。
もちろん苗を植えたわけではありません。去年地面に埋めた野菜くずの中にあったかぼちゃの種が芽を出したに違いありません。

 私はそっと苗をお台所の窓方面に誘導しました。苗はどんどんと伸び、窓一面を見事に覆い尽くしたその上に、かわいい坊ちゃん南瓜を実らせたのでした。実が生って知る南瓜の種類。そうか、これだったか。

 と喜んでいたところ、

 「ねえさん、まあ、みごとに南瓜を這わせたわいね」と散歩中と思われるおばあさんが声を掛けて下さったのです。
 で、二言三言言葉を交わした後、せっかくなので庭の椅子に腰掛けて頂いて(暑い日でおばあさんちょっとお疲れ気味に見えたので)、二人で暫しおしゃべりをしました。

 あねさま被りの手ぬぐいに、花柄の割烹着、もんぺズボンという今時珍しい正統派農作業スタイルの、おばあさんの話はこんなでした。

おばあさん 「随分昔の話だけんども、ここらあたりに、ぽず子さん(仮名)つう女しょうの家があったいねが、ねえさん、ぽず子さんの話、知らねかいね?」

ぽんず「さあ、聞いたことないです・・・」

 いきなり自分と同じ名前が出てきたのにもびっくりだったんですが、おばあさんの話し方にもびっくり。こんなに方言使う人珍しいです。「ねえさん(女性が中年以上の女性に呼びかける言葉。対話者同士の年齢差は関係なく、80歳が70歳に呼びかけることもある。ただし男性から女性への呼びかけに使われたのを私は聞いたことがない。あるのかな)」なんて、リアルで聞くの何年ぶり?

お「ほうかいね、知らねかね。まあ、有名な話だけんども、知らねえかね」

ぽ「どんな話なんですか?(興味津々)」

お「昔さね、ここいらに、もうちょっとあっちの方だったけんども、ぽず子さんちってあっただいね。」

ぽ「ふんふん」

お「ある、暑い夏のことだわいね、どこん家も暑くて暑くて灼けこんじまったつうに、ぽず子さん家だけ涼しかっただいね」

ぽ「え?なんで?」

お「それがさいね、かぼちゃの蔓が軒の朝顔の支えだったとこに這ってさね、家中をおおっちまってせ、それで涼しかったんだってせ」

ぽ「今で言うグリーンカーテンだ!」

お「それがせぇ、そのかぼちゃは勝手に生えてきただってせえ。ぽず子ねえさんはそりゃあ喜んで、道を通る人みんなに自慢してまわっただってね。勝手に生えてきた、ええこんだって。そりゃあそうだだよ。どこの家も暑くてやりきれねえって、病人まででる家もあったっつうに、ぽず子さんちだけ涼しかったんだからね。ありがてえもんじゃないかいね」

ぽ「確かに・・・」

お「そうずろ。ところがさねえ、ほず子ねえさん、大喜びだったんだけども、今頃だったかいねえ、ある日、ぽず子さん家がなくなっちまってせえ」

ぽ「えっ」

お「わしも聞いた話だけんども、蔓におおわれてせぇ、草むらになってたって話だいね」

ぽ「・・・」

お「まあ、当たり前だわいね。あんなに日陰になってもらって、助けてもらったつうに、ぽず子さん、南瓜とって食っちまったってせ。まあ恩知らずにも程があるわいね」

「ところでねえさん、手に持ってるその南瓜せ、どうするだいね。まさか食べやせんずらね」

と、おばあさんに詰め寄られたところで目が覚めたのですが、こんな夢を観てしまった私は、収穫した6個の坊ちゃん南瓜を美味しく食べて良いものでしょうか。
それとも感謝祭まで待つべきでしょうか。

 皆様のアドバイスをお待ちしております。

窓を覆うかぼちゃの蔓

Up_2

収穫なった坊ちゃん南瓜。グラタンにしようかな~
2up

やっぱ食べたい・・・


謹んで追記

じつは、一昨年も捨てた種から南瓜の苗が生えて、お勝手の窓枠で育てておりました。
その時の実った南瓜の写真をアップしておきます。
私、前世で南瓜によっぽど良い事をしたのね(*^_^*)←おいっ!
Up

2018年8月31日 (金)

達者でナ

 我が家にいくつかある懸案の中で、夏になると思い出さざるを得ないものがあります。それは冷蔵庫の買い換え。

 今使っている冷蔵庫は二十世紀に買ったもので、数年前から氷が作れなくなり、そのもっと前から野菜室の底が凍り付くため、命旦夕感半端無いヤツでした。それをだましだまし使っていたのですが、生協の宅配で肉や魚などの冷凍品を常備するようになってから、危機感はいや増しました。

 そもそもこの冷蔵庫は先代冷蔵庫が真夏に突然死したため、一番早く配達してもらえるものという理由だけで選んだものでした。それでも配達までに一週間ほど掛かった、あの地獄だけは繰り返したくありません。1998年7月の、あの暑い夏を。

  とはいえ冷蔵庫の買い替えは面倒なもので、なかなか重い腰が上がりません。今年の冬、清水の舞台から飛び降りるつもりで大枚はたいて『冷凍丸ごとサムゲタン』を買った時も、冷蔵庫が壊れる恐怖に日々苛まれていたにも関わらず、サムゲタンを美味しく食べたらその恐怖を半分位忘れてしまいました。

 しかし、今夏の猛暑で、私の腹は決まりました。お台所が冷蔵庫の熱で暑くて堪らないのです。二十年も経てばさすがにパッキンも劣化しているでしょう。もう買い換え時だと思いました。

 ネットで色々物色した後、電気店に買いに行ったのが8月上旬。お盆前に新しいのを使えるかと思っていたら、エアコンの注文が相次いで作業する人が払底しているため、8月末でないと配達できないとのこと。他の店を探すのも面倒だったので、それまで待つことにして、お金を払ってきました。それまでうちの冷蔵庫が保つことを祈りながら。

その夜、夕食後、冷蔵庫を開けたら野菜室が水浸しになっていました。随分長いこと野菜室の底が凍り付いてはいたのですが、それが溶けて水になったらしいのです。遂に壊れたか、しかも買った日に。と思いつつ、野菜室の中を掃除していると、製氷皿が動いて氷が落ちる音がします。買い換えるに当たって、それでも本当に壊れているか確かめるために昨日たまたまタンクに水を入れたのです。丸一日何事も起こらなかったのに、突如氷が出来、着きっぱなしだった給水ランプが消えたのです。

 冷蔵庫が突然元気になってしまった。

 私にはそれが冷蔵庫の「捨てないで」という叫びのように思えました。
しかし買ってしまったものは如何ともしがたい。
これから八月一杯、復活した冷蔵庫を大事に使って蜜月を過ごしてからお別れしよう、私はそう考えて、それからの日々、毎日冷蔵庫を磨きました。
百均で冷蔵庫用整理カゴを今頃買ってきて、庫内の整理もしました。
手入れをすればする程、お掃除しやすく、使いやすい冷蔵庫だったことがわかりました。
もっと早く気がついていれば、もっと長く大事に楽しく使う事が出来たのに、大した手入れもせずに使ってきた自分が悔やまれました。
 
 そして運命の新冷蔵庫到着の日。中味を出した序でに冷凍室をそのまま引き出して本体をお掃除しようとした、私の目に、劣化で壊れたプラ壁と、むき出しの断熱材が目に入ったのでした。こりゃ熱いわけだ、やっぱり買い換えて正解でした。

 冷蔵庫入れ替えは、お店の人の、多分最悪のケースを想定した説明より遥に短い、15分足らずで終わりました。

 新しい冷蔵庫とのご挨拶もそこそこに、私は玄関に立ち、古冷蔵庫の載ったトラックを見送りました。好きでもらわれてきた訳でもないのに、手入れもしてもらえなかったのに二十年働いて、息を吹き返したように元気になって、最後の日に自分の致命傷を見せて私を諦めさせた、我が家には出来すぎたこの冷蔵庫を・・・
私は心の中で呼びかけました。「達者でナ」

 
達者ではいられないだろうに、「ドナドナ」ではなく「達者でナ」。そして健気な冷蔵庫とは違うメーカーを選んでいた私は、やはり鬼と申せましょう。 

 三橋三智也 「達者でナ」

2018年7月22日 (日)

脱脂ぽんずはじまりました

 この記事(リンク)にでてくるコンシーラー、その後あまり出番もなかく、このまま使わずに捨ててしまうのももったいないなあと悩んでいた、
そんなある日、ふと、閃いちゃったんです、ワタシ(*^_^*)

 捨てるくらいなら、ファンデ代わりに顔に塗り広げてみたらどう?
色は濃いめだけれど、あのファンデとの超絶乱調二重唱みたいなことにはならないはず。

 と、コンシーラーを手に取り、顔全体にぬりぬりしてみました。ツヤ有りでのびも良く、なかなかの使い心地。私いいこと考えちゃった(うふん♪)

 などと自画自賛していたその数時間後。顔がつっぱりはじめてしまいました。崩れにくい化粧品のサガですね。皮脂吸着成分が私の皮脂を吸い取っているにちがいないのです。
つっぱり感の割りにはひりひりせず(保湿成分が入っていると思われ)、どうにかこうにかその日1日を乗り切り、夜、洗面所で鏡を覗いてみたところ・・・

 なにが起こっていたと思います?

 顔に沢山の縦皺!!!とくにほっぺと口周りがすごい!乾燥で出来るしわとはちょっと違う、あまり見たことのないシワシワシワ!

人間って脱脂されるとしわが寄るんですね、ミイラ作る時も乾燥だけでなく皮脂も抜くのかしら。

 コンシーラーを使ってたった1日でこんなにアブラが抜けるなんて、化粧品のチカラ、恐るべしです。

と、暫し現代の科学技術に感嘆したあと、そもそもの問題がまだ何も解決されてないことを思い出したワタクシ。これではコンシーラ全然減らせない。
その時、私はまたもやある考えが閃いてしまいました。

これ、お腹に塗ったらどうなるかしら?

 理屈で考えればなんの変化もないはずですが、ちょっと興味が湧くじゃないですか。皮下脂肪も皮脂もどっちもアブラなんですから、ひょっとしたらなんか変化するかもじゃないですか。それよりお腹って普通にシワになるのかしら。でもアブラ取りなら鼻の周りに塗りたくるのが一番いいような・・・

 などなど、疑問が次々とわき起こり、結局なにかを試さないわけにはいかなくなっている私でした。
夏の自由研究はこれしかない(なんか限りなく違う方向にいってる~(^_^;)

2018年7月19日 (木)

六月は終わらない

 三月にハライタを起こして以来、私は自分が倒れた時の心配を今まで以上にするようになりました。単なる胃痛でもうっかり入院した日には、家族の葬式になりかねない我が家。この脆弱性を塞がねば!

 てなわけで、五月に胃カメラ呑んで診断がついてから(慢性胃炎でした)、喫緊の課題、「家族Aの介護度を変えてもらう」に着手。認定変更願いを出し、再認定調査日が六月の初めとなりました。

 その前にケアマネさんとの打ち合わせがあり、病院に定期診察があり、家族Aのプチ発熱があったのですが、調査当日家族A大発熱。朦朧とした中での調査となり、これなら要介護1をゲット出来るとほくそ笑んだその瞬間、
「元気な時を想定して評価させていただきます」
という調査員さんのお言葉。
いや、ちょっと。元気な時も今とあまり変わらない状態になったから再調査をお願いしたのに!その元気な時の状態って、もう消え去ってしまったのに!
ワタクシ、人生でこの瞬間ほど、『捕らぬ狸の皮算用』という言葉をかみしめたことはありませんでした。

 熱があるのに質問されたりしたせいか、家族Aはその後もりもり発熱し、一回通院するも、月曜日には入院と相成りました。

 入院直後のドタバタがやっと終息してきた水曜日、リンリン鳴った電話に出ると「市の耐震診断の順番が来ました。来週水曜日にお願いします」とのこと。去年の3月に耐震診断の申し込みをしていたのです。それが今か!今くるか!と思いつつも、これを断ったらいつになるのかわからないので泣く泣く承諾。

 その翌日、私は自分の甲状腺が腫れている事に気がつき、昔通った専門医に連絡。これも家族A入院中でよかったと考えるべきか。

金曜日に結構遠い専門医に行き、血液検査の結果は来週だけど、多分ほとんど心配ないと言われ、いらぬ真似をしてしまった感から疲れが倍増。

 土曜日朝、ふとみると庭のラズベリーがたわわに実り中。そういえば今年の三月、大量生産を夢見て支柱を買って手入れをしたんだっけ。

 そういえばラズベリーって、今みのるんだ・・・(涙)

 熟してしまえば猶予はない。収穫したら日持ちはしない。

 私は土曜日朝、泣きながらラズベリーの収穫に勤しみました。そして2時間近くかけて摘んだ実を、即効でジャムに、するつもりが瓶がない!涙を拭いてホームセンターで瓶を買ってきましたよ。

 少しゆっくり出来ると思った土曜日はこのようにジャム造りで忙殺され、翌日曜日、月曜日も引き続きたわわに実り続けるラズベリー対策に忙殺されたのでありました(さすがにご近所に配りましたよ。家の中に食べる人いないんだもの)

同時進行で、耐震診断の準備です。天井裏に入るための戸袋と押し入れから、中身を撤去しなければなりません。これが大変で。というか、ここ数年二階は物置状態になっていたのでまずはそれを片づけるために、カラーボックス買ってきて組み立てましたよ(しくしく)

 床下に入る入り口はあるんですが、それ、洗面所の洗濯機の下にあるんです。はい、洗面所も片づけませんとね(えんえーん)

 迎えた水曜日、土砂降りだったんですが、診断していただきました。すべての部屋を点検していただき、全てのドア引き戸がきちんと開くかも点検していただき、三時間近い診断は終わったとき、私はその場でくずおれそうになりました。
おわかりいただけるでしょうか。
部屋にあったものを、とりあえずとひたすら放り込んだ押し入れや物入れ、納戸の戸を、確認のために自ら開け閉めしなければならなかった、この精神的苦痛が・・・

しかし私の仕事は終わらない。戸袋と押し入れから出したものを元に戻さなければなりません。なんとか片づいたその瞬間、病院から電話。いわく家族Aが退院したいと言い出したそうな(愕然)

 Aは熱も下がり血液検査の数値も良くなっていたのですが、ケアマネさんと訪問看護の人と病院とで金曜日に打ち合わせをする手はずになっており、それが済むまで入院していてね(はぁと)と頼んでいたのですが、数値が良くなりゃ居る義理はないとAは断固退院を主張。この世の中で、誰が家族Aに立ち向かえるでしょうか?結局翌木曜日に怒濤の退院となりました。 

 翌々日の金曜日は例の打ち合わせを我が家で開催。一応片付けとお掃除をしませんと(涙)
 
 それから訪問介護サービスとの契約とか、電動ベッドの搬入とか、あれやこれやこれやあれやが続きました。ながい。6月長い。あまりに長くて一年くらい6月やってる感じで、ある時私はおののきました。もしかしたら6月は永遠に終わらないんじゃないだろうか。世の中が7月になっても、私だけ6月のこの世界に留め置かれてしまうんじゃないだろうかと。
 
 不安を募らせながらも、6月30日の翌朝、目を覚ましてみれば、世界と私は7月に突入していました。我ながらなんという馬鹿なことを考えたものか、と苦笑いしながらその朝、起きたのですが・・・・

 今、家族Aは再び入院中で(肺炎が癖になったらしいです)、耐震診断の結果説明がもうじき来るそうで、七夕の夕方届いた知らせでは、介護認定は血も涙もない要支援2で、
結局私はまだ一人6月に取り残されているような気がします。

 なぜだ~(T_T)

 追伸

 ちなみに猛暑はちゃんとやってきました(号泣)

«にゃーーん(涙)

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