いらっしゃいませ

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

2018年7月19日 (木)

六月は終わらない

 三月にハライタを起こして以来、私は自分が倒れた時の心配を今まで以上にするようになりました。単なる胃痛でもうっかり入院した日には、家族の葬式になりかねない我が家。この脆弱性を塞がねば!

 てなわけで、五月に胃カメラ呑んで診断がついてから(慢性胃炎でした)、喫緊の課題、「家族Aの介護度を変えてもらう」に着手。認定変更願いを出し、再認定調査日が六月の初めとなりました。

 その前にケアマネさんとの打ち合わせがあり、病院に定期診察があり、家族Aのプチ発熱があったのですが、調査当日家族A大発熱。朦朧とした中での調査となり、これなら要介護1をゲット出来るとほくそ笑んだその瞬間、
「元気な時を想定して評価させていただきます」
という調査員さんのお言葉。
いや、ちょっと。元気な時も今とあまり変わらない状態になったから再調査をお願いしたのに!その元気な時の状態って、もう消え去ってしまったのに!
ワタクシ、人生でこの瞬間ほど、『捕らぬ狸の皮算用』という言葉をかみしめたことはありませんでした。

 熱があるのに質問されたりしたせいか、家族Aはその後もりもり発熱し、一回通院するも、月曜日には入院と相成りました。

 入院直後のドタバタがやっと終息してきた水曜日、リンリン鳴った電話に出ると「市の耐震診断の順番が来ました。来週水曜日にお願いします」とのこと。去年の3月に耐震診断の申し込みをしていたのです。それが今か!今くるか!と思いつつも、これを断ったらいつになるのかわからないので泣く泣く承諾。

 その翌日、私は自分の甲状腺が腫れている事に気がつき、昔通った専門医に連絡。これも家族A入院中でよかったと考えるべきか。

金曜日に結構遠い専門医に行き、血液検査の結果は来週だけど、多分ほとんど心配ないと言われ、いらぬ真似をしてしまった感から疲れが倍増。

 土曜日朝、ふとみると庭のラズベリーがたわわに実り中。そういえば今年の三月、大量生産を夢見て支柱を買って手入れをしたんだっけ。

 そういえばラズベリーって、今みのるんだ・・・(涙)

 熟してしまえば猶予はない。収穫したら日持ちはしない。

 私は土曜日朝、泣きながらラズベリーの収穫に勤しみました。そして2時間近くかけて摘んだ実を、即効でジャムに、するつもりが瓶がない!涙を拭いてホームセンターで瓶を買ってきましたよ。

 少しゆっくり出来ると思った土曜日はこのようにジャム造りで忙殺され、翌日曜日、月曜日も引き続きたわわに実り続けるラズベリー対策に忙殺されたのでありました(さすがにご近所に配りましたよ。家の中に食べる人いないんだもの)

同時進行で、耐震診断の準備です。天井裏に入るための戸袋と押し入れから、中身を撤去しなければなりません。これが大変で。というか、ここ数年二階は物置状態になっていたのでまずはそれを片づけるために、カラーボックス買ってきて組み立てましたよ(しくしく)

 床下に入る入り口はあるんですが、それ、洗面所の洗濯機の下にあるんです。はい、洗面所も片づけませんとね(えんえーん)

 迎えた水曜日、土砂降りだったんですが、診断していただきました。すべての部屋を点検していただき、全てのドア引き戸がきちんと開くかも点検していただき、三時間近い診断は終わったとき、私はその場でくずおれそうになりました。
おわかりいただけるでしょうか。
部屋にあったものを、とりあえずとひたすら放り込んだ押し入れや物入れ、納戸の戸を、確認のために自ら開け閉めしなければならなかった、この精神的苦痛が・・・

しかし私の仕事は終わらない。戸袋と押し入れから出したものを元に戻さなければなりません。なんとか片づいたその瞬間、病院から電話。いわく家族Aが退院したいと言い出したそうな(愕然)

 Aは熱も下がり血液検査の数値も良くなっていたのですが、ケアマネさんと訪問看護の人と病院とで金曜日に打ち合わせをする手はずになっており、それが済むまで入院していてね(はぁと)と頼んでいたのですが、数値が良くなりゃ居る義理はないとAは断固退院を主張。この世の中で、誰が家族Aに立ち向かえるでしょうか?結局翌木曜日に怒濤の退院となりました。 

 翌々日の金曜日は例の打ち合わせを我が家で開催。一応片付けとお掃除をしませんと(涙)
 
 それから訪問介護サービスとの契約とか、電動ベッドの搬入とか、あれやこれやこれやあれやが続きました。ながい。6月長い。あまりに長くて一年くらい6月やってる感じで、ある時私はおののきました。もしかしたら6月は永遠に終わらないんじゃないだろうか。世の中が7月になっても、私だけ6月のこの世界に留め置かれてしまうんじゃないだろうかと。
 
 不安を募らせながらも、6月30日の翌朝、目を覚ましてみれば、世界と私は7月に突入していました。我ながらなんという馬鹿なことを考えたものか、と苦笑いしながらその朝、起きたのですが・・・・

 今、家族Aは再び入院中で(肺炎が癖になったらしいです)、耐震診断の結果説明がもうじき来るそうで、七夕の夕方届いた知らせでは、介護認定は血も涙もない要支援2で、
結局私はまだ一人6月に取り残されているような気がします。

 なぜだ~(T_T)

 追伸

 ちなみに猛暑はちゃんとやってきました(号泣)

2018年6月30日 (土)

にゃーーん(涙)

皆様、ご無沙汰しております。

今月はあまりにも色々ありまして、ブログの更新が滞っております。

が、

近日中には必ず更新いたします。

みなさま、よろしくおねがいします。


にやーん、にゃーん、にゃーん(T_T)

2018年5月18日 (金)

花のある丁寧な暮らし

 みなさま、こんばんは、ぽんずです。

 我が家の庭はごくごく素朴なものですが、それでも四季折々小さな花が咲いています。それを少しだけ摘んでそっと飾ることにしています。


 これはクレマチスとオダマキをさりげなく生けてみたもの。

201805140939000


お部屋に花があるとなんとなくほっとします。ほっとするんですが花びらが落ちるんです、オダマキが。パラパラパラパラと止めどなく。これを飾っている時は毎日ゴミ拾いが日課になります。

  これは牡丹
毎年華やかに玄関を飾ってくれます。このピンク色の花をみると春の終わりを感じますね。

16nec_0035


でもこの花、見た目と違って豪快に散るんですよ。それも突然。少し花をつついてみてもしっかりしているから安心して立ち去ろうと思った瞬間、背後で「バサッ」と音がする。振り返ると花びらとおしべと花粉が大崩落しているわけです。「だるまさんがころんだか!」と毒づきながら三和土にまで散り拡がった花びらを泣きながらホウキとちりとりでお掃除するのが我が家の恒例となっております。


 クレマチスも玄関に飾ればしとやかな雰囲気が出ます。

Photo


この花はね、唯一おしべが落ちる程度の静かな枯れ方なんですが、ある瞬間をもって突然しぼんでいるんですよ。
「ピンポーン」「はーい」で玄関に出てみるとさっきまで咲いていた花がしぼんでる。毎年突然死しています、はい。

 五月の半ば過ぎはアイリスです。青くて綺麗な花。香りもいいんですよ。

Photo_2


しかしコイツは枯れるときに濃い青のおつゆを垂らすので、油断がなりません。コイツに何度敷物を汚されたか。

 
 お花やさんの花たちは、売り物だけあって、散っても周りが汚れませんし、花粉も落ちないし、咲くときは一斉に咲いて、下は枯れてて上は蕾なんてことはない花ばかりです。やっぱり花はお金出してお花屋さんで買うのが一番よねって、毎年思います。
丁寧な暮らしなどというものは、踏んづけるに限りましてよ、ねえ、あなた。

2018年4月18日 (水)

春の菜摘みの・・・

 ある時、鳥が運んできたのか、庭にヨモギが生えました。最初は小さすぎて摘むことも憚られましたが、少しずつ大きくなり、今年の春、ついに立派なヨモギの草むらが出来ました。これなら好きなだけ摘めそう。苦節三年。我ながらよく頑張りました!

 ということで、ヨモギの葉っぱを一生懸命摘んだわけです。そして丁寧に水洗いし、重曹を入れた大鍋の湯でしっかり茹でて、水に晒してあく取りをしました。

後は水気を切ってラップに包んで冷凍すれば好きな時に草餅が作れます。今年は飽きる程草餅が食べられる~

 出来上がった茹でヨモギは、しかし何の匂いもしないのです。確かに茹ですぎた感はありますが(1~2分のところを5~6分茹でてしまった)、あまりにも風味がない。母にも一口食べてもらったのですが、やっぱり香りがしないとのこと。

 そう言えば摘んでいる時にもあまり匂いがしなかったなあと、庭に出て生のヨモギの葉で匂いを確認してみました。やはり殆ど匂わない。はて面妖な。

 ということでネットで調べてみたらとヨモギとよく似ていて間違えやすい植物に出ていたのが、あろうことかトリカブトだったのです。

 アガサ・クリスティーの小説にもよく出てくるあの猛毒のトリカブト。家族に「水仙には毒があるからニラと間違えないように」と口を酸っぱくして注意していたこの私が、トリカブトを大事に育て上げ、食べてしまったとは!母にまで食べさせてしまったとは!しかも下手すれば致死量!

 30分も経たずに痺れなどの症状がでるのだそうですが、その時既に食べてから30分以上経っていて、母に告げても「まだ死んでないから違う」との事だったので違ったのだと思います。何より花の色が全く違いました。庭の草はヨモギそっくりの花が咲きます。

 もう一度庭に出て草を確認しました。ヨモギなら裏に細かい毛があるはずなのに見えない。葉の裏は白いのに毛がない。一体これは何なんだ。

 ネットで調べた次の候補は「ブタクサ」

 ブタクサアレルギーのある私が後生大事に庭でブタクサ育てていたとは(涙) 

しかし、これも葉の形が違いすぎます。

 私は三度庭に出て溜息をつきました。葉の形も花も、葉裏の色もヨモギにそっくりなのに、裏に毛のないお前は何者なの。

と、明るいところでよく見たら葉の裏に毛が・・・。葉っぱをゴシゴシ擦ってみれば微かにヨモギの香りが・・・ 

その後わかった事は、ヨモギには個体差があり、香りの少ない株もあるので摘むときは香りを確認してから摘むようにとのことでした。知らずに育ててしまったワタシ(T_T)

 朝、意気揚々と納戸から大鍋や大ザルを出してきた私は、その日の午後、無言のまま洗って乾かした鍋とざるを仕舞ったのでありました。

 我が家の庭はどうしてこうなってしまうのでしょう。三年掛けて育て上げたのに・・・(しくしく)

2018年4月 1日 (日)

善光寺の話

 昨日K貫主が31日付けで解任されたという誠に喜ばしい報に接したので、今日は善光寺にちょっと関係のあるお話をしたいと思います。

 四月一日にわざわざ嘘の様な本当の話を書くシリーズ第三弾です(本当に本当の話です)。

 もう二十年以上前のこと、長野市に用事があって出かけていた私は、長野自動車道で家路に着いたのですが、その途中、自分が左足を大怪我するという馬鹿馬鹿しいのに生々しい予感に取り憑かれてしまいました。その予感が生々しかったのには理由があるのですがここでは詳しくは書きません。
愚かなこととは思いつつ、高速道路を運転中の私は本当に事故を起こすのではと怯えきってしまいました。

 生きた心地もなく、慎重に運転を続け、豊科インターを下り、なんとか無事に家に帰り着き、玄関の鍵を開けようと鍵を探したその瞬間、お守りとして買った干支マスコットの、その左足部分がすぱっと切れて無くなっている事に気がつきました。これは干支の動物の形をした黄楊で出来た小さなもので、素材自体も固いですし、マスコット風にアレンジされたデザインなので足部分は短く小さく、折れる可能性も少なそうなものでした。それが証拠に先代マスコットは十数年使って本体は何事もありませんでしたが、紐部分が駄目になったので同じものに買い換えた次第だったのです。なによりそのかけ方です。鋭い刃物ですぱっと切り取ったような、切り口がつるつるすべすべで、折れたとは俄に信じがたいものでした。

 もちろん使っているうちには欠ける事もあるでしょう。しかしこのお守りは、その日の帰り道に善光寺の本堂で買ってその場で財布に付けたものでした。たまたま時間が出来たのでお参り序で新しいマスコットに買い換え、そのまま松代インター前で「峠の釜飯」だけ買って(いかに真っ直ぐ帰ったか、判る人ならお判り頂けると思います)帰って来たのです。付けてから2時間経ってないのに欠けるって何・・・

 バッグの中で揺れて欠けた可能性が一番高いので、家に入ってすぐさまバッグの中身を全部出してみましたが、足の破片を見つける事はできませんでした。てことは峠の釜飯でお金払った時かしら・・・ 

 後日、訳も判らぬまま(何がどうしてこうなった)、善光寺に再びお参りに行き、壊れたお守りを納めたのでありました。 

 その善光寺ですが、それから一年ほど経った頃でしょうか、お参りに行ったら本堂内があまりにも落ち着かない雰囲気だったので、以来お参りしていません。子供の頃からお参りしていたお寺なんですが、あのざわついた感じが耐え難かったんです。多分私の体調のせいだとは思うのですが。ごめんなさいです・・・^_^;

 
 今日四月一日ということで、嘘みたいで有り得ない、でも本当に話を書いてみました。

 しかしこの話で何が一番信じがたかったかというと、お守りとは思っていなかったものがかけた事です。「あなたお守りじゃないでしょ、マスコットでしょ!」「マスコットがどうして欠けるのよ!」って思わず叫んじゃいましたよ。だってあの時点までアレはアクセサリーとしか思っていなかったんですから、私・・・。


 やっぱり単なる偶然だったのでしょうね;^_^A アセアセ

 今までの「四月一日嘘みたいな本当の話」シリーズ

その1「しみじみ語るにゃんこのおもいで 映画鑑賞のお話し」(リンク
その2「王の歩み 忍びの早業」(リンク

2018年3月31日 (土)

死ぬかと思った話(注 死にませんでした)

 この記事は4月18日に書きました。

 なんとかギリギリ月イチ更新をしていたブログでしたが、3月は記事を書くことが出来ませんでした。2012年7月以来の出来事です。なにゆえ私はブログ更新が出来なかったのかをつらつら書き連ねてみたいと思います。

 3月17日土曜日、明朝7時からの隣組河川清掃に備えて私は九時過ぎに寝床に入りました。それからどの位時間が経ったのかは判らないのですが、寝返りを打った途端背中に激痛が走りました。寝違えたと思ったのですが、今度はみぞおちの辺りが強烈に痛み始めました。それも息をする度に締め付けられるような痛みです。
呼吸の度にぎりぎり痛み冷や汗が出てくる、これは、これはもしかして心臓?私狭心症?
心筋梗塞は背中だの肩だのが痛くなる事が多く、ダイレクトに心臓の辺りが痛む場合は大体心臓ではないのですが、痛むのは肋骨中央のちょっと左寄りと背中という、心臓マッサージをする当にその場所です。
コレステロール値が低く血圧も低い私が、まさか循環器系疾患になるとは思いもしなかったので暫し茫然としてしまいました。寝耳に水とはまさにこのこと。
これが狭心症ならば死なないけれど心筋梗塞だったら下手すると今夜中に死んでしまう。救急車を呼ぶべきか。しかし心筋梗塞を起こした親戚も一晩肩凝りで寝られないまま(当人はそう思っていた)無事朝を迎えたではないか。とはいえ急死する人も多い。ここはおっとり構えている場合ではないのではないか。救急車を呼んだ方が・・・


 その時思わぬ考えが頭に浮かびました。

『部屋が汚すぎる』

 死にかけているときにこれを考えるかと自分でも呆れたのですが、二月三月と体調が悪くお掃除がおざなりになっていたところへ、遂に掃除も片づけもする気力も消え失せて一週間経ったのがこの夜だったんです。家中ひどかったんですが、一番酷い場所が何を隠そう今寝ているこの部屋。ここへ救急の人が来るわけだ、穴があったら入りたい。恥ずかしくて死ぬ。

 と思ったんですが、このままここで死んでも他人が部屋に入る訳で、死体になる前に出た方が安穏であろうと、救急車を呼ぶことにしました。しかし携帯電話のあるところまで動けそうにありません。というか、動けない。
皆さん、電話は枕元に置いておきましょう。私がどれだけ後悔したことか。


 どうしたものかと煩悶しているうちに、痛みのストレスと不安からでしょうか、めまいの発作まで起きてしまったのです。
心筋梗塞疑惑とめまいのコラボ、地獄の責め苦ってこんなものですかね。
こうなると話はより複雑になります。目を回しながらアレコレ受け答えをしつつ救急車で搬送され、病院で検査を受けて、医者から「心臓じゃありません、命に別状ないですから帰って良いですよ」と言われたら普通は「よかったばんざい」でしょうが、めまい中に負荷を掛けられた私は、その場で倒れて一ヶ月寝込みかねません。そうなると介護認定の低い母の行き場がなくて別のお葬式が出かねません。生きてさえいれば、明日タクシーで病院に行っても心筋梗塞ならカテーテル検査で3~4日の入院で済む。

 救急車呼ぶのリスク高すぎる・・・(^_^;)

 ここからの数分間、私の脳みそはありとあらゆる事を考えました。母の事から、救急車を呼んで玄関の鍵を誰が開けるかから、明日の河川掃除欠席をどうやって組長さんに知らせるかまで、何をどうするのが一番良いのかを。

 そして痛みで疲れ果て、もうどうでもよくなりました。最後に8日後の26日朝に放送されるNHKクラシック倶楽部「イーヴォ・ポゴレリッチ」の事が頭に浮かびました。時間指定で録画予約をしているのですが、私が死んでしまえば、家族に観る余裕があるとも思えず、結果誰も録画を観ることはないでしょう。結局私は観られないんだ。汚れた部屋もそうですが、予め計ったりできないのが死というものだ、「癌は死を準備する時間を与えられる稀な病気」という言葉は本当なんだなどと思いながら、私の意識は薄れました。

 翌日ワタクシ生きて目が覚めました。昨夜あれだけ下手の考えを開陳できたということが、危機的ではなかった証拠とも申せます。救急車呼ばなくてよかった(^_^;)

 とはいえ、体調はひどいもので歩くのもやっとでしたが(最初痛くて歩けませんでした)、組長さんに欠席のメールをし、母の朝ご飯と昼ご飯の用意をし(どうやって動けたか思い出せません)、即入院になった時の用心に着替えにタオル洗面道具などをバッグに詰め込み、日曜当番医に行きました。診てもらいました。

 で、狭心症といわれると思っていたら、胃けいれんでした。
言われてみれば、確かに心臓と言うより胃がある場所でしたけど、胃けいれんなんて考えもしませんでした。死ぬかと思う程痛いとは聞いていたけど、ほんと死ぬかと勘違いしましたわ(^_^;) 

 てことで、狐につままれた様に死を免れた私は、お薬を処方していただいて、帰りにスーパーで母用にお総菜を買えるだけ買って帰り、まだまだ痛かったのでそれから数日寝込む事になりました。また胃の痛みも取れなかったので、暫くお薬を飲み続け、なんとなくうだうだしているうちに最終週となり、26日朝4時起きしてポゴを聴いて廃人となり(というか痛みがぶり返したのです)、気がつけば4月となっていたのでした。

 これがワタクシの5年8ヶ月ぶりに月イチブログ更新が出来なかった顛末です。死ぬかと思ったんだから、ブログ更新出来なくてもいいですよね(^_^;)

2018年2月27日 (火)

ぽんず、化粧品の奥深さにツタンカーメンとなる

 みなさま、ごきげんいかがでらっしゃいますか?

拙記事「ぽんず、化粧品の奥深さを垣間見る」(もう一年も前のお話しですのね)にもあるとおり、化粧品を選び間違えて顔が凹んで見えたりしてしまったワタクシですが、去年の夏、やっと長く使える化粧品鉱脈を掘り当てるられそうな気配となりました。

 金鉱化粧品の名はルクレールフェイスパウダー 。 1881年パリの薬局生まれのこのパウダーをどうして思い出さなかったかな、私。しかもネットで買えば結構お安い(正規のお値段に比べて、ですけど)。
そして、このパウダー、ファンデの上につけるのでなければ、石鹸洗顔でも落ちるのだそうで。
つまり、お化粧する気力のないときに日焼け止めの上からこのお粉をパタパタしておけば、花粉などのアレルゲンに直接触れる危険がなくなり、尚かつクレンジング剤を使わなくて済む。これ以上においしい話がこの世にあるでしょうか。
もしこの商品が私の肌に合えば、こんな夢の様な品を一生モデルチェンジも生産終了も心配せずに同じものを買い続けられるわけです。一生ですよ、一生!ワタクシ、金鉱を掘り当てた開拓者の気分です!!

 
 早速買おうとしたところ、色が何色もある~。どれにしたら良いのか判らない~。
でも買ってみなければわかりません。悩みに悩んだ末、疲れ果てて、ええい!ままよ!と「シェールオークル」を注文してみました。お肉色なら間違いないでしょ!

濃かった(涙)

どの位濃いかと申しますと、ほお紅の役目を果たせるくらい濃かったです(^_^;)
 
さすがにこれを顔全体にまぶすのは無理があったので(とかいいつつ夏中これを使ってましたけど。塗り残すとそこだけ異次元に色が違ってしまうのでお化粧するときになかなか緊張しましたが)、秋になって「カメリア」なる色を注文しました。これで間違えたら私泣きます。12色もあるんですよ。一缶2年以上使えそうだから、生きている内に合った色にたどり着く自信がありませんわ(T_T)

 
合った(笑) 

一番合う色かは知るよしもありませんが、少なくともフェイスパウダーに使って違和感が出るものではありませんでした。

 それからは天国の日々です。日焼け止めの後にカメリアをパタパタ。それからシェールオークルをほっぺにつければこれだけで結構お化粧したように見えるんですよ。濃いの買ったの、 怪我の功名だったかもしれない(笑)

 ところが秋も深まり冬となって、ちょっと心配な事が起きました。
「経皮感作」ってありますよね。ピーナッツアレルギーのお子さんに知らずにピーナッツオイル入りローションを使い続けてしまい大変な事になってしまったとかいろいろ。
米粉でしょ?ワタクシ、アトピーなので、冬から春にかけて洗顔のお湯がしみて痛い位肌が荒れるのです。
精製されてタンパク質は残ってなさそうですが、果たして米デンプンをファンデ無しで直接素肌に塗り続けて良いものかと・・・。

 
 結局冬の間は少なくとも化粧下地を使うか、諦めてファンデとセットで使った方が安全だろうということになりました。
せっかくの極楽お化粧生活が遠のいてしまいましたがやむを得ません(涙)
でも、化粧下地やファンデをつけずに外に出歩けた、あの気楽さは忘れられません(泣)


という次第で、この冬、お化粧に戻れない体となったワタクシは、花粉などのアレルゲンが皮膚に付くのを防ぐ為、帽子を被りマスクをし、マフラーで顔をぐるぐる巻きにして過ごしたのでありました。

 お化粧品からミイラが出来上がるとは夢にも思っておりませんでした。お化粧品の世界は本当に奥が深いんですね(泣)

 ルクレールのサイト(リンク

経皮感作について(リンク

 今までのお化粧品記事

 その1(リンク

 その2(リンク

2018年1月31日 (水)

近況報告

 みなさま、ご無沙汰しております。そして大変遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

今月は正月明けから家族Aが熱出しての入院騒ぎがあったり、南岸低気圧による、涙の雪かき修行とか、果てはお祭りの屋台修理の賛同金捻出(期限は明日にゃーん)などなど、あれやこれやが山程あって、ワタクシも遂に朝からめまいで起きられない状態となりました。午後になってめまいは良くなって来たのに、夕方から喉の痛みと悪寒を感じ始めたので、先程麻黄附子細辛湯を飲んでこれから寝たいと思います。

 なんですって?今夜はブルーでスーパーで赤いお月さんが皆既に欠けて見えるんですって?

 それって風邪に効くの?

 そんな訳もないので、今夜は月蝕を観ないで早寝をします。

 く~~、 風邪が治ったら月餅とかおせんべとか、ゴーフルとか、丸いモノを片っ端からかじってやる~(▼▼)

 こんなワタクシですが、本年もよろしくおねがいします。おやすみなさい(T_T)

 

2017年12月31日 (日)

よいお年を

 2017年も今日で最後となりました。皆様、大晦日の夜をいかがお過ごしですか?

今年はある曲が私にとって今まで以上に忘れられないものとなりました。

 それは

  「ラーシードラー シドレミーラファーラミー ラドミミー#レー 」はアルペジオーネ・ソナタだとずっと思っていた。

 ある時ようつべで聴こうとしたら違う曲が流れてきた。

 「えええーーーっ!じゃ、この曲は何?」→やっぱりアルペジオーネだった。

 「えええーーーっ!じゃ、私がアルペジオーネだと思って聴いた曲は何?」←イマココ

 という、どうしてこうなったか見当もつかない事案が発生したために、2017年はアルペジオーネな年ということになってしまいました。

 よく考えると今年は似た事が沢山ありました。

 カーラジオから曲が流れてくる。
ぽ「この曲、マメールロワじゃなくて、マメールロワじゃなくて、えーと何だっけ。クープランの墓ではあるはずないし」
ラ「クープランの墓でした」
ぽ「先週CDで聴いたのに!!!」 とか。

 ラ「♪♪♪」
ぽ「この曲なんだっけ。ストラヴィンスキーじゃなくて、ストラヴィンスキーじゃなくて・・・」
ラ「ファリャ『恋は魔術師』から「火祭りの踊り」でした」

ぽ「レコードもってるんだわ・・・(T_T)」

 ・・・・

 言っても詮ない繰り言ですけど、昔は一度聴いたメロディは忘れない人間だったんですよ、私。それがどうしてこうなっちゃったのかはわかりませんが、とにかく現在の私はメロディは流れ去る脳みその持ち主であり、願わくば、こんな自分を好もしいと思える度量の広さを持ちたいと思うのでありました(なんか違う)

 そんなこんなを色々思った大晦日。本当にお世話になりました。今年の曲はペレーニとシフの奏でる「アルペジオーネ・ソナタ」です。
どちら様も、よいお年をお迎え下さいませ。


2017年12月26日 (火)

悲しくて、悲しくて

 先日フォーク・クルセイダーズの「悲しくてやりきれない」を坂本冬美で聴いていたんですが(いい曲ですわ、これ)、聴いていたら昔のある事を思い出してどうしても書かずにはいられなくなってしまいました。ちょっとdisが入っているんですが、お許し下さいね^_^;

 いつの事か正確には思い出せなくて、多分90年代の後半ではないかと思うのですが、古い仏像を修理か何かして解体したところ、中から「悲」の一字が書かれた紙(布?)が見つかったのだけど、誰が何故いれたのかは判らないというニュースが新聞に出ていました。 
そしてその日だったのか翌日だったのか、その出来事を受けて「天声人語」には「何が悲しかったんだろうか」と昔の人の不満に思いを馳せる文章が載ったのでした。

 お判り頂けますか、私の衝撃。仏像と「悲」なら、それ「大悲」でしょう。慈悲の「悲」であって、嬉しい悲しい、良い事あった辛かったの「悲」ではないのです。この私の中では常識中の常識が、朝日新聞の論説委員には共有されてなかったショック。そして「何故入っていたのか判らない」という発表者側の説明を、高僧が入魂の為に書いていれさせたか、自身か家族かの病気平癒か何かを願って「悲」と書いた紙を納めた仏像を造らせ奉納したか、来歴を示すものが失われてしまったから入った理由が判らないのだという事実には思い至らず、造った誰かがこっそり自分の感情を仕込んだと解釈してしまった、(仏教徒にとっての)法外さ。

 この時私が最初に感じたのは、仏教は本当にマイナーになったんだなという事でした。お寺に行くと「大悲閣」なる建物が結構あります。また「大悲」と書かれた額もよく見かけますが、書いた人はそこに思考を結びつけられなかった。しかもこの痛い一文が指摘されることもなく紙面に載ってしまった。皆どれだけ寺社仏閣に縁遠いのか察せられようというものです。時代の流れ、趨勢というものを肌で感じた瞬間でした。

 そしてその後、「ああ、マイノリティって多分いつもこんな感じなんだ」と思いました。固有の文化なり習慣の中に(この場合仏教)、独自の文脈が存在しているとは夢にも思わず、どんな事もその人(仏教と縁のない人)の馴染んだ文脈でのみ判断するのが当たり前になっていて、調べようと考えてさえもらえない(「悲」は辞書引けば書いてある)こと。
また仏像という、崇拝対象、ある種の聖域の中に、個人の喜怒哀楽を混ぜ込む事によって、マイノリティにとっては特殊な領域が日常と同列に扱われてしまうこと。個人的にはこちらの方が堪えました。

 仏教がずっとメジャーだった日本なので、「お前達が長年拝んでいたあの仏像は、中に造った人間の愚痴が入ってたんだぜって、造った仏師にも信者にも、十分喧嘩売ってるだろ」とか、「大悲を知らないとか常識なさ過ぎ」と私が訴えても賛同者を得られそうですが、遠くの国の、馴染みのない宗教で「個人的な鬱憤を像にいれて皆で拝む」とか言われたら、真に受けて「気味の悪い宗教だ」と考える人いそうですよね。
 更に、この文章をもって宗教に無縁な人の中には「だから宗教やってる人は愚かなんだ」と決めつけそうな人は確実にいそうです。私数人思い浮かびますわ。決めつける攻撃的な人ではなくても、なんとなく愚かで度し難い(これ、仏教用語だわ)と思う人は多そうです。

 この話は二昔も前なので、さすがに今はもう少しチェックしているでしょうけど、マイナーなことって、こんな風に手から水が漏れるように話が明後日の方角に流れていってしまうんだなと、そんな事を坂本冬美を聴きながら思い出した年末なのでした。
このにえーたぎる苦しさを♪にゃーん♪^_^;


«オンデマンドみるみる記2 真田丸の秘密

フォト

ぽんずの風景

  • 図書館の桜
     携帯で撮った写真です。 見事なまでのピンぼけ(とほほ)。 ご感想などおありでしたら 掲示板へどうぞ。

にゃんこ

  • 爆睡
    うちの故猫です。 可愛いと言って~!

友人リンク

猫リンク

勝手にリンク

私リスト

  • マイハイク
  • まいはてブ