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2006年5月の13件の記事

2006年5月28日 (日)

ホロヴィッツのコンサート(後知恵編)

演奏編2から続きます。

 これは今にして思えばの、本当に後知恵なのですが、あれは実に不運の重なったコンサートだったと思います。
 
 一つ目は、ピアノとホールとの相性の悪さです。
 今日本には残響○秒と大書きできる音楽ホールがごまんとありますが、当時音がよいと言えば、昭和女子大人見記念講堂か、五反田の簡易保険ホールあたりだったと聞き及んでいます。そしてNHKホールは、ホールではありますが、あれを音楽ホールと言うのは無理があろうかと思います。

 「弘法は筆を選ばず」と仰る向きもありましょうが、ピアノは特別に運ばれたホロヴィッツ専用のスタインウェイ。調律を含めスタッフもスタインウェイ本社から直々派遣されたと聞きました。
 残響の良いホールでの仕事が多いスタッフが、あの特別ピアノをあのNHKホールに置いて、果たして観客が入った状態を正確に計算して調整することが出来たのかどうか。私は無理だったのではないかと考えています。

 あの楽器の持つふくよかな響きは、生を聴いた人はお判りかと思いますが、ピアノの響きと言うより何かもっと特別なものがありました。
 その音が、特に「弱音」が、あのホールとはとことん相性が悪かったのではないかと思います。
 あのベートーヴェンのソナタで「われ鐘」の様に聞こえた事でそう思いました。

 リハーサルなしだったのも、急な来日で会場を押さえられなかったという記事を目にした記憶があります。がこの記憶は確かなものではありません。
 そんな状況で、ベートーヴェンとシューマンの「謝肉祭」この二曲を、あの場所で自分の音を出せる試みをしつつ弾き通した事は事実だったと私は思います。

 マスコミ報道もセンセーショナルなものでした。
 「ホロヴィッツ初来日」は音楽ニュースではなく、社会ニュースの扱いでした。
 コンサートの始まる前から、チケットの値段、借りたホテルの部屋の値段、エールフランスで舌平目を空輸など、音楽以外の話題が流され、かなり揶揄された書き方をされていました。
 これも今では信じがたい事ですが、ホロヴィッツ専用のスタインウェイが運ばれた事さえ、贅沢さを示すかのように書いた記事もありました。
 正直言って「あの」スタウインウェイではなく、ホール備え付けのスタインウェイだったら、私は二度と聴けないかもしれないホロヴィッツのコンサートであっても決して5万も払ったりはしなかったでしょう。当時のレートは確か1ドル200円台だったんじゃないでしょうか。私は為替レートを考えてやむを得ないかなと判断したんですが(私は、そう言う計算は必ず間違える人間であることを長じてから思い知りましたが。)。

  そして、あの評論家吉田秀和氏の感想です。
 私が目撃したあのインタビューは評論家吉田秀和氏に対してのものだったのです。私は氏の評論は沢山読んでいましたが、当時、氏の顔は知りませんでした。
 あの時、あの会場に数多いた著名人達にインタビューする為にカメラクルーが色々な場所を廻っていた事は覚えているのですが、吉田氏へのインタビューがたまたまそんなクルーに遭遇したための結果であったのかどうかは、どうしても思い出せません。

 またVIP氏と吉田氏が同一人物なのか、これは挨拶で何度も横を向いているのでかなりの確率でそうだったと私は思っていますが、寝ていた人物とVIP吉田秀和氏が同一人物であったか?については、23年も経っていますし、よく似た人相風体、同じ様なヘアスタイルの人物がVIP氏の側に座っていなかった保証はないので、これについては私は何も申し上げるつもりはありません。

 しかしあのインタビューがコンサート終了後に行われたものではなく、「休憩時間」に行われたものだと言うことは23年経っても私は断言できます。これは出口の番号が一瞬背景に映り込んでいたので(録画をお持ちの方は確認してみて下さい)、当時私が間違いないと周りに断言したので良く覚えています。
 そういう事情を放送の中で断らなかったとも記憶しています。
 なのであの発言を、全てを聴いての批評だと思っている人は多いのではないでしょうか。

 演奏についてですが、後半は全体的に音が地味でした。
 良い言葉が見つからないのですが、装飾をそぎ落として、輪郭を際だたせた様な、そんな音楽だった気がします。
 手を抜くのではと考えた「3つの練習曲」は、小粒ながら非常に精密に研がれた美しいもの(宝石という様なきらびやかなものではなくて)を彷彿とさせた理由ではないかと思います。
 それについて私は当時、前半終了時の罵声が聞こえてしまって、ここの客が演奏の善し悪しを「タッチミス」の多寡でしか判断しない連中であると考えて、レベルの追求より、ミスの少ない演奏にシフトした、あるいは、音響との闘いに疲れて、最後まで演奏できるレベルを自分で決めて、その維持を図ったと勘ぐっていました。
 ホロヴィッツならばレベルを落としても、あの位出来るだろうと。

 しかしその後のコンサート復活などを知った後、改めて当時を振り返ると、ホロヴィッツはあのコンサートで新しい境地に踏み出そうと試みていたのではないかと考える様になりました。

 「謝肉祭」の中の何曲かについても、終曲の「ダヴィッド同盟」は確かに迫力がありましたが、「エルネスティーネ」だったか何でしたか、曲名は失念しましたが、静かながら、奥深い響きのある演奏が、何曲かありました。

 ホロヴィッツと言えば「トロイメライ」が有名ですが、抒情的な曲でさえ、独特の華やかさを持っています。
 しかしあの時のものは、今までの演奏とは違う、一つ壁を越えたような、老境の円熟とでも呼べる、枯れた美しさの片鱗が確かにあり、それは後のライブにつながるものでした。

 そもそもプログラムの冒頭にベートーヴェンのあのソナタを持ってきた事からも、また、あれから約二年の時を経て、復活した時の演目で、今まで録音しなかったスカルラッティのソナタ ロ短調 L.33が度々演奏された事、またジュリーニとスカラ座で録音したモーツァルトの協奏曲イ長調 K.488の2楽章YouTubeなどを思い出していただくと私の書きたいことがお判り頂けるのではないかと思います。

 あの後半は(そもそも前半からそう意図されていたのでしょうが)、ホールの音響や客の嗜好と手を打ったものではなく、彼が最初から意図していた境地だったのではなかったのか。その新境地を、ホロヴィッツは熱心なファンの多い「日本」で最初に披露するつもりだったのではないでしょうか。我々が理解できると信じて。そう考える事が度々あります。

 恥ずかしながら、私は昔の華々しい音楽をあのコンサートに求めていました。そして彼の指し示す新境地を理解するのにそれから何年も必要としてしまいました。

 また、吉田秀和氏のインタビュー内容は、
まず、女性アナウンサーから感想を求められて

 「・・・壺だね。」
 「古い骨董の壺・・・。・・・・それも所々にひびが入っている。」
 「良い音も・・・あるにはあった。少しだけどね。だけど・・・(後はちょっと忘れてしまいました。)」

 私の記憶している限りでは上の様なものでした。

 そしてこれは吉田氏にとっても不本意な事でしょうが、全国に流れたあの発言は「全てを聴いた後」のものではありませんでした。


 その後随分経ってから、次のコンサートまでの空白期間に彼が薬物依存になっていたなどと報じられました。
 その事をあの日のコンサートの原因の様にいう人も居ますが、仮にそう言う事実があったにせよ、薬物依存が、果たして原因だったのか、結果だったのか、原因であったにしても、もし日本でのコンサートがあのような罵声に包まれなければ、その後の完全復帰はもっと早かったのではないかと思います。最晩年の活躍を考えると残念でなりません。

 お客が少なくなっても、そのコアなファンの為にカーテンの端から恥ずかしそうにひょこっと姿を現し、はにかむようにほほえむホロヴィッツの姿を思い出す度に、私の様な青二才が、一生に一度あるかないかの大散財であっても、その後しばらく、洋服は殆どお古、壊れた靴は糸で繕って履いたとしても、あんな場所へ出かけたのは、実に不遜なことだったと思われ、判る人に譲るべきだったと反省しています。

 
 最後に、人間の記憶などと言うものは非常にあやふやで、いいかげんなものです。また一つの事象について、個人個人がそれぞれ自分の欲する結果を導くような見方をすることも事実です。
 この記事を書くに当たって、出来るだけバイアスを排除しようとは努めましたが、どの程度効果があったかは、自分では判りません。ここに書かれた内容については、読んだ方お一人お一人がご判断下さい。

シート番号アップ チケットのシート番号です。

 NHKホールの座席表へのリンクです。PDFファイルはもっと詳しく出ています。
 
   6月11日、TV放送で流れた吉田秀和氏の発言が、あまり正確に引用されていなかった事を思い出しましたので、インタビュー内容を追記しました。を追記訂正します。この記事のコメントにて94丁目様が正確な内容をお知らせ下さいました。94丁目様は16日(二回目)のコンサートについてとても詳しい報告をされてらっしゃいます。リンク先の掲示板はフレーム内です。サイトはホロヴィッツ賛!田中太郎のピアノページ様です。また83年の来日時の吉田秀和氏の朝日新聞評を94丁目様がコメント欄にて全文アップしてくださいました。またこの記事の書かれた当時の他の新聞評もホロビッツ研究所内掲示板にアップされています。

最後に

 このコンサートビデオをアルゲリッチが観た時の様子が仮装ぴあにすとさまのブログ
「~Agiato で Agitato に~『骨董の鑑識耳』」(リンク)に詳しくかかれております。
勝手にリンクしてすみません。いつもこっそり楽しく拝読させて頂いてます。

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演奏編(近くにポゴレリチ) (リンク) 

演奏編2 (リンク)

ポゴレリチ追跡編 (リンク

コンサート映像 (リンク

ホロヴィッツのコンサート(演奏編2)

 演奏編1から続きます。


 休憩時間は長めの30分程と記憶しております。

 その時の詳細は番外で書きますが、前記事のいびき?VIP氏は本当にVIPだったらしく、私が階段を上がっていく途中で下を見下ろすと、カメラとライトの中、客席からの出口扉前に少し戻される様子で立ち、アナウンサーが何か話しかけているのが見えました。

 後半の演奏は、音もずっと安定し、ミスタッチも減っていました。安心して聴いてはいられましたが、前半のあの音を追求する演奏の印象が強くて、後半はやや印象が薄いのです。
 破綻がないというより、なにか装飾がないような、そんな印象でした。
 幻想ポロネーズはばりばり弾けば良いという曲でもないので、落ち着いた弾き方もありかな、とは思いましたが。
 それも関係するのか後半は全体的に「弱音」が美しかったと記憶しています。その弱音もレコードなどで聞き慣れたものではない、少し違った、でも非常に美しい音でした。

 間にはさまれた小曲はちょっと記憶が曖昧なんですが、後に控えた曲が曲なので、手を抜くんじゃないかな、などと思ってたんですが、どうも手は抜かなかったみたいでした。
 小品なのに、何故そう思ったのか、理由は随分後になって思い当たったのですがそれは後知恵編で書きます。
 
 そして最後の「英雄ポロネーズ」
 弾き始める前は、この曲もつのだろうかといらぬ心配をした私ですが、やっぱりホロヴィッツでした。
 疲れのためか、迫力に欠けている部分もありました。けれど鍵盤の上を「えいやっ!」とばかり縦横無尽に腕を動かし、自分の思うままに曲も観客も引きずり回す、あの演奏は、やっぱりこの人ならではでしょう。普通のピアニストがこれをしたら笑い者になりかねないのに、観客の心を掴む何かがこの人にはあると思いました。やっぱりホロヴィッツだけの事はありました。

 演奏が終わり、この時は迷うことなく瞬時に立ち上がって手を敲きました。
 「ブラボー」と叫ぶ人もいましたが、「ベラボー」と罵声を浴びせる声の方が私にはよく聞こえました。
 実はこの「ベラボー」前半終了直後にも発せられてます。また拍手もお義理で席を蹴立てるように立ち上がり、出口に向かう人もいました。

 が、私は邪魔にならないように通路に出て、それでも手をたたき続けました。
 ポゴレリチ氏も帰る人を避けながら通路で拍手してました。私は一階席なので上の状態は判らなかったのですが、観客はあっさり帰る人と、絶対帰るまいと決意しているかの様な人と、酔っぱらいが良くするように手を口に当てて上を向いて罵声を発している人の3タイプにわかれていた模様です。

 カーテンコールは何回もありました。ポゴレリチ氏は最後の方で連れの女性に促されるように出口に向かったのですが、もう一度拍手が大きくなると立ち止まり、扉の横で拍手をしていました。
 最後は私もホロヴィッツに見とれてたので断言は出来ないのですが、確か彼も最後まで残って拍手をしていた観客の一人だったと思います(私が客席から出たらホワイエにまだいたんですから)。


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演奏編(近くにポゴレリチ) (リンク) 

後知恵編 (リンク)

ポゴレリチ追跡編 (リンク

コンサート映像 (リンク

2006年5月27日 (土)

ホロヴィッツのコンサート(演奏編1)

 (チケット争奪編)から続きます。

  6月11日土曜日、渋谷のNHKホール。開演は午後8時。

 演目は


  • ベートーヴェン「ピアノソナタ28番イ長調」作品101

  • シューマン「謝肉祭」作品9

  • ショパンポロネーズ「幻想」作品61

  • 同「3つの練習曲」

  • ポロネーズ「英雄」変イ長調作品53

 プログラムは変更はなかったと思うのですが、3つの練習曲が何だったか思い出せません。

 私は早めに会場に到着し、着席しておりました。
 暫くすると、私の座っている1C15列27の一番右端に誰かやってきました。これが誰あろう、同じく来日中のピアニスト、イーヴォ・ポゴレリチ!
 彼が一番右端(34番)。その隣は中年の日本人女性(招聘元の人みたいでした。)。この席は、私が蹴った座席の3つ隣だったんです。思わず泣きそうになりましたが、ここは演奏演奏と心に言い聞かせました(詳しくはNHKホールの座席表を参照下さい。)。
また少し前に、「ポゴレリチは三つ右隣」と書いてしまいましたが、これは「買わなかった席」の衝撃でつい記憶違いをしてしまったものです。謹んで訂正致します(順番に書いたら顛末まざまざ思い出しました)。

 私はピアニストがピアノコンサートを聴く姿を見るのは初めてでしたし、ポゴレリチが尊敬しているというホロヴィッツ(もう一人はミケランジェリだそうで)をどういう態度で聴くのか非常に興味がありました。故に着席直後から気づかれぬようにチラチラと彼の方を眺めていました。

 ちょっとびっくりだったんですが、沈むように座席の前の方に腰を下ろし、丸めた背中を背もたれにもたせ掛け、足は(長身なので収まりきらないのかやや通路にはみ出していた模様)片足を組み、肘掛けに肘をついて其処へ頭をもたせ掛けるという、結構だらしない座り方をしてました。そして座ってからずーーーっと隣の女性に向かってしゃべり続けていました。低くささやくような心地よい声音ではありましたが、すんごいおしゃべりである事は認めざるを得ませんでした。

 それから何となく前を見てると、私の二列か三列ほど前の、それも丁度私の座っている場所の前方に、若い?男性に案内されて年輩の、かなり仕立ての良いスーツを召した男性が席に着きました。
案内されるだけあって、VIPらしく開演までの間ひっきりなしに観客が挨拶に訪れるので、どうしてもこの人物に目がいってしまいました。ちょっと長髪の髪型と声に特徴のある、いかにも紳士という方でした。

 いよいよホロヴィッツがステージに登場。 演奏開始です。

 が、この時、一つだけ「大問題」がありました。ポゴレリチです。拍手が収まり、会場が静けさに包まれても、まだこの人しゃべっているんです。数日前、彼のコンサートで熱狂した私ではありますが(実はこれにも行っていた)、いかにポゴ様といえどもこの行為だけは許せません。

 後10数えて黙らなかったらひっぱたく(ごめんなさい、本気でそう考えました。)。そう心に決めて数を数えだしたとたん、ぴたりと声が止んだので、びっくりして思わず彼の席を見てしまいました。 
相変わらずのだらしない姿勢のままでしたが、今度は微動だにしていないのです。ビデオの静止画面並です。あんなに動かない人間を私は見たことがありません。

 そして唯黙っているだけではないのです。沈黙と言うよりむしろマイナスとも言うべき、周りの音を全部吸い込むような、其処だけ異空間になってしまったかのような静けさがありました。全身を耳にしているという緊張感さえ、この人物の方からは発せられていませんでした。音だけでなく雰囲気さえも、あらゆるものを吸い寄せるような静けさ、あんな静けさとの遭遇は後にも先にもあの時限りでした。

 いよいよ演奏の始まりです。

 最初に響いた音は「われ鐘」の様でした。

 この時、私の脳裏で万札に羽が生えて飛んでいく図が浮かばなかったと言ったら嘘になります。お年もお年ですし、本物に会えただけめっけもの。ポゴレリチの演奏を聴く態度を見ただけで十分ではないかと自分に言い聞かせようとしていると、ふと、音が変わってきている事に気がつきました。
 もともとリズムのとりにくいような曲ではあるのですが、そしてタッチミスも多いのですが、「われ鐘」音が、徐々に(今思えば急激にだったかも)改善されていくのです。

 正直我が耳を疑いました。さっきの音と違う。音がどんどん変化している、それも一曲の中で。

 と、またもや問題発生。今度はいびきが聞こえるんです。演奏が始まってまだ数分なのに。
 誰?と音のする方をみると、オールバックの長い白髪頭のてっぺんがうっすらと見えました。勘違いかもしれませんが先ほどのVIPらしく思われました。
 招待客ってこれだから困るわ、石でも投げつけたろか(済みません、これも本当にそう考えました)。と思ったものの演奏の進化が劇的で、すぐにいびきなど気にならなくなりました。

 一楽章のラリっている様なリズム。でもスタッカートは非常にキレがありました。実はこの時私はこの演奏を音楽として聴いてはいませんでした。何故ならば、一音一音が、ワンフレーズワンフレーズが、まるで探るように、よい音、あの「ホロヴィッツの音」を探している様に聞こえたからです。

 「このタッチでは?」駄目!「では、これでは?」ちょっと違う。「どう響かせるのがいい?」
 音の一つ一つがこんな台詞を言っているような雄弁さがありました。ホロヴィッツは初めての場所で弾きながら自分の音を探り出している。しかも目に見えて目標に近づいている。
 最初の曲の終楽章で私は一瞬ではありましたが、あの「ホロヴィッツの音」それも八割方のあの「響き」に会うことが出来ました。

 その後の「謝肉祭」
 これは聞き物でした。この曲でもどうすれば自分の音が出せるか、演奏が出来るかというホロヴィッツの挑戦は続いていました。概ね尻上がりに良くなったと言えます。
 最後の数曲、特に「ペリシテ人達を撃つダヴィッド同盟の行進」などは、全ての音の六割方が、絶頂期を聴いてないので何とも言えないのですが、多分彼にとっては六七割でしょうが、私にとっては涙が出るような素晴らしい音で、ミスタッチも気にならないくらい素晴らしい組立で、ホール一杯に響き渡っていました。
 あのNHKホールで。あのざるのような、野外ホールだってもうちょっとましなあのNHKホールで。
 
 蛇足ながらいびきの主様は、ダヴィッド同盟の一、二曲前で「クワッ」というご自分のいびきで目が覚められ、数秒間周りをきょろきょろしてらっしゃいました。クライマックス前にいびきが止まったのは幸運でした。

 前半の演奏が終わった時、私はそれが前半であるにも関わらず既にスタンディングオーベーションをする決意をしていました。
 でもコンサートも終わらないのにスタンディングオーベーションをするなんて日本人だけ、欧米のわらいもの、日本の恥。などという記事を読んだことがあり、困ったことに同じ列にその欧米の、しかも天才の呼び声高いピアニストがいるので、俄に日本の面目を背負ってしまった私は立つべきか立たざるべきか数秒悩みました。
 しかしこの演奏に敬意を表さずして何に敬意を表すのだと考え直して立ち上がりました。真横を睨み付けながら。

 「バカにしたければ、すれば?」

 本当に私がバカでした。
 ポゴレリチ氏は既に立ち上がっていました。そして熱心にスタンディングオーベーションをしていたのでありました。大事な時に出遅れ。欧米では絶対やらないなんて嘘書いたの誰っ!と叫んでみても後の祭り・・・。

 


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2006年5月26日 (金)

ホロヴィッツのコンサート(チケット争奪編)

 今から23年前の1983年、ホロヴィッツが初来日しました。白状いたします。コムスメの分際で、私そのコンサートに行きました。

 今までネットでもこの話は殆どしたことがなかったのですが、書くならばブログをやっている今が一番適切であろうと、自分の備忘録の意味も込めて書きました。

 当時日記に詳しく書いておいたのですが、その日記を捨ててしまい、はっきり覚えている部分と曖昧な部分があります。
 覚えている限り、出来るだけ記憶に忠実に書くつもりですが、いかんせん二昔以上も前のことなので、記憶に自信がない部分はそう書きます。
 また記憶の流れを追うため、全て時系列で書いたら、とんでもない長さになりました。なので興味のない場所はスルーして下さい。(大汗)

 それではまいります。

 「ホロヴィッツ来日決定」のニュースが流れたのは1983年の5月24日だったと記憶しています。
 何故か以前から「もしホロヴィッツが来日することがあったら、何が何でも行こう」と思っていたので、定期貯金の残高を確認し、確か翌日梶本へ電話しました。

 が、つながらない、つながらない。やっとつながって、チケット発売日(ちょっと不確かなのですが、5月の30日ではなかったかと記憶しています。)を訊き、事務所の場所(当時は銀座八丁目河北ビル内にありました。)も教えてもらいました。

 チケットがとれるかとれないか、判らないながらも始発電車で新橋に到着。新橋駅から河北ビルまでは徒歩5分なのですが、朝の五時、朝靄の中銀座のカラスが大挙してビニールのゴミ袋をつついている中に、遠目でも何処にあるのか判るくらいの行列が既に出来てました。

 この日のチケット発売は、梶本側も備えは万全でした。
 まずは整理券の配布(確か八時に配布開始だったと)。その後時間を区切って整理券の番号順にチケットを販売するという連絡を拡声器を持ったおじさんが行列を巡回しながら何度も連絡してくれたので、並んだ人たちもかなりのんびりと世間話に花を咲かせてました。
 私の二つ後ろの男の人は外務官僚だそうで。待っている間に赴任地の話とか聞こえてきました。

 晴れた気持ちのよい朝だったので待ち時間はそんなに苦にはならなかったと記憶しています。というか、緊張してそれどころではなかったというのが正直なところです。

 整理券配布開始となり、私は、かなり曖昧なんですが、400番代の後半だった気がします。この番号は11時半(多分)からチケットを売るのでそれまでは何処にいてもよいですよとの事で、朝の銀座にいてもしょうがないので新橋駅に向かって歩き出してびっくり。
 
 私が並び始めた時点で既に(ビル自体は駅の方を向いていた)歩道沿いにその区画をぐるっと回って反対側が行列末尾でした。
 が、整理券を手にして駅に向かった時には、その行列が更に伸びて、一周し、足りずに駅の方へ、道を隔てて続いていました。早く来て良かった。

 整理券はあると言うものの、心配で指定時間より早めに再び銀座八丁目へ。
皆同じ心配を抱くのか、やっぱり今度もぐるっと裏側まで行列。再び待つ身となりました。

 この時、「チケットぴあ」で待たずに買えたという情報を流したお兄さん、あなたの気持ちは判りますが、一緒に並んでいる私達まで道連れに脱力させないで下さい。(23年経ってまだ言ってる私。(爆))

 ちょっと気の毒だったのが、整理券が既に配られたことを知らずに列に並んでいた60代位の男性。若い女性が「係りの方が『整理券のない方はお引き取り下さい』と何度も仰ってましたよ」と教えたときの呆然とした顔。
 「それでは皆さんは八時前に?」との問いに、一同つい、きっぱりと「はいっ」と答えてしまったのはちょっと気の毒な事をしたかもしれません。

 そろそろ日差しが強くなって、しかもチケットが売り切れない保証もなくて、この時の待ち時間の方が疲れました。
 散々待って、ようやく河北ビルの正面へ。狭くてしょぼい階段をよたよた登り、通されたのは左側と正面が一面窓になっている部屋。会議室なのか事務室を急遽空けたのか判りませんが、その窓際に会議用の折り畳み机が並べられ、その向こうに何人もの私よりぼろぼろになった感じの事務所の人が。

 よろよろと部屋を突っ切って、女性の前へ。疲れた者同志、思わずほほえみを交わしてしまいました。1C15列に空席が二つあり、二人で「こっちですよね」と中央よりの席を無事ゲット。震える手で現金を渡しました。買えてよかったような、もう後戻りは出来ないような、複雑な心境でした。

 しかし、実はこの買わなかった席の三つ右隣に誰が座ったか。その時の私は知る由もなかったのでございました。

 チケット画像私の座席です。右隅にシート番号「1C15列27」と、判読できるといいのだけれど。


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後知恵編 (リンク)

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2006年5月21日 (日)

ロックケーキを作ってしまった

 ハリーポッターは読んでいると無性にお菓子が食べたくなる本なので、ハリポタ6を母の日のプレゼントにした私は、一緒にお菓子も与えなければなりませんでした。(親に向かってなんて言い方するんだろう(笑))

 せっかく食べるならば物語に関係したものがよかろうと、血迷った私はあろう事か自分で作ってしまいました。

 ロックケーキ完成図それも「ロックケーキ」

 そうです、ハグリッドがハリー達にふるまうあれです。

 文化出版局発行「メアリー・ポピンズのお料理教室」を見て作ったので、詳しい分量は著作権法上書けません。ごめんなさい。が、作り方と分量はバターケーキやクッキーと殆ど同じです。(にやっ)

 割合は、砂糖:バター:小麦粉が おおよそ1:2:4。それに卵1個、卵の重さよりやや多い分量のカラントまたは干しぶどう、ベーキングパウダー小さじ1程に牛乳少々が加わります。砂糖は卵の重さと大体同じ。小麦粉は切りのよい数字です。焼き時間は170度のオーブンで15分前後です。 

 さて、久々にロックケーキを作ったのですが、クッキーの類を作った人はご存じの通りで、

 ポマード状のバターを攪拌する→砂糖を入れて攪拌する→卵を入れて攪拌する→粉類をふるい入れて攪拌する。牛乳とカラントを加えて混ぜる。(これとは順番が若干違います。でもこれでも出来ます。)

 という、怒濤の攪拌が必要な、力命のお菓子なんですわ。お陰で翌日筋肉痛で泣きました。手が震えて下の画像ぶれているのがおわかりになりまして?(爆)

 出来上がりは、ごらんのように、4センチ位のクッキーとケーキの中間という大きさです。ロック(岩)と言うように、でこぼこしたラフな形。ベーキングパウダーが入っているので外はかりっとしてて、中はふんわり。缶に入れておけば長持ちするお菓子なんですよって本には書いてあるんですが、雨がざんざん降っている日に缶の蓋開けっ放しにされて、歯ごたえが固くなってしまいました。湿度の高い日本では、かりっふわっはそんなに長くは楽しめないのでしょうか。あんなに苦労したのに・・・(泣)

 それでもハリポタ発売日までは持ちました。今はもう残ってませんけど。(笑)

 ちなみに私は日本語版はまだ読んでません。手放さないんですよ。原書だけで記事は不安だ・・・。(笑)

2006年5月15日 (月)

眠いと大変

 粘膜が弱いのか、皮膚が弱いのか、(おつむは昔から弱いけど)夜中に突如背中が痒くなったりくしゃみを連発してしまうワタクシ。

 
そんな私の枕元にはいつも
    ←こんなものや(かゆみ止め)

     ←こんなものが(おはなに潤いを与えるスプレー)


 常備されているのでございます。


 でも、この二つ、効用は違うのにズームアウトして眺めると



こんなに形がよく似てる。


 寝ぼけて暗闇を手探りで探すと何が起こるか、聞かないで下さいまし。(涙)

2006年5月13日 (土)

母の日のプレゼント

 帰省する子供家族をターゲットにするためか、GW前の折り込みチラシから広告内容は既に「母の日フェア」系のものばかりだった我が生息地。
 さて、そんな中で某全国組織の大型スーパーの折り込みチラシは近年にないインパクトがございました。

 まずは普通にブラウス数点。春夏物の婦人バッグ、眼鏡ケースとハンカチセットという、当たり障りのない(疑問だけど(笑))商品の中に、ウォーキングシューズや「体脂肪計付き体重計」や各種のエクササイズ用品。隅にはしっかり「白髪染め」。
 そして、膝の悪い人が重宝しそうな「思いやり座椅子」とか、輪っか付きショッピングカーに折り畳み杖。金さん銀さんで名を馳せた荷物も運べて一休みも出来る手押し車。
 ここまで一生を定義して下さらずとも、と思いつつも読み進むと、広告の真ん中近くになんとダイソンの掃除機が鎮座しているではありませんか。

 「母の日」に掃除機、おまけにダイソンというかなり心をくすぐる機種を持ってくるなんて・・・^_^;

 これって父の日の朝、休日出勤すべく一人よたよたと起きたらテーブルの上に吸入式の「酸素スプレー」が置いてあった、という感じでしょうか。

 そう言えば父の日のプレゼントも定番はネクタイや手帳で、「働けっ働けぃっ!」な品物が多いですよねえ。世のお父様、お母様、本当にお疲れさまです。m(_ _)m

 ちなみに私は「母の日」のプレゼント、もう決まってます。
「ハリポタ6」5月発売でラッキーーーー!(笑)もっともまだ予約してないんですけど。σ(^◇^;)

2006年5月10日 (水)

鶴は病みき 岡本かの子

 岡本かの子は、文体独特の美しさ、画家で言えば色彩美のようなものをかなりはっきり持っている作家だと、個人的には考えています。
 しかしこの「鶴は病みき」に関しては、非常に美しくはあるのですが、何というのか岡本自身が持っている美しさとはかなり異質な美しさを読んでいる間ずっと感じていました。
 
 大正十五年八月。鎌倉雪の下。
F旅館(「藤屋」)に家族で逗留した坂本葉子(岡本自身)と同じく逗留客であった作家麻川荘之介(芥川龍之介)との間に起こった出来事が書かれています。
この作品が昭和十一年に発表された時、作家芥川に対する暴露本という見方もあったようで、宇野浩二は作品冒頭に出てくるX夫人の描写について

「これらの言葉は、女が女を見た意地悪に満ちている。これらの言葉は作家の目で見たものではなく、浅はかな女の心で見たものである。されば(以下略します)」

 と書いたそうです。

宇野氏の論評が、X夫人の描写発表当時にされたものとしても、岡本かの子の美意識は鋭いことが他の作品から判るのですから、これを美と呼ぶことに抵抗したとて、「女の心」で片づけるべき事柄だという主張には、私は賛同できません。

 確かにこのX夫人の描写について麻川(芥川)が念入りに布石をした後で反撃を開始した場面など、時も経っているのにかの子の辟易した気持ちが滲んでいるとは思いますが、他の部分、一緒にメロンを食べている場面は、事実メロンを食べたのでしょうが、麻川の苦痛、模索が伝わってきて、これは作家の目以外の何者でもないように思います。
X夫人の描写さえ、麻川が自分のイライラを作者にぶつけた為に、この不世出といえる作家の内面を覗くきっかけになったのですから、これは作家としてはずせるものではないと思うのです。

 五年後の昭和二年、熱海へ向かう電車の中で、偶然乗り合わせた麻川の描写も、それを鶴と絡めたのも、確かに熱海梅林に鶴がいたのは事実だろうけれど岡本かの子の胸中に、自分の羽を引きむしって機を織る、「鶴」の姿があったことは間違いないでしょう。

 そしてここまで読んで、作者と違うこの雰囲気は何処から来たのかようやく思い出すことが出来ました。それは「点鬼簿」の、そして「歯車」を書いている芥川龍之介の美しさにとても似ていると。

 特に「歯車」の

「どうもした訳ではないのですけれどもね、唯何だか何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから。・・・・・・」

 という文子夫人の言葉から最後までに。

 芥川が死んだとき、それを止められなかった無念さと、既に誰も止める事の出来ない領域に作家として踏み込んでいたという悲しい認識が文学界にあったそうですが(例が多くて参照を示せません。間違っていたら訂正お願いします。)、この「鶴は病みき」はその無念さと、最後の羽までむしってしまった芥川龍之介の姿を、自分の文体まで捨てて書き上げた作品ではないでしょうか。
 作家に対して、これほどの追悼はないのではと思います。川端康成が推薦文を付けたのも当然かと思います。

 「青空文庫」、「鶴は病みき」も、「点鬼簿」「歯車」も収録されています。

2006年5月 8日 (月)

連休明けはほんわかふんわか?

 初夏を思わせる陽気のGW明けの本日、私大ボケ小ボケを連続技で繰り出してしまいました。

 つい最近まで、若年性アルツハイマーではなかろうかと心中密かに恐れていた私。

 今、これは病ではなくて生まれついてのものではないかと、怖れ戦いております。(;△;)


  激しく追記です。

 CAMUS様より、本日我が親が名誉の「大ボケで賞」を頂戴いたしました。( ̄^ ̄)

 また子ヤギちゃん仲間も新たに発見されました。(祝)

 めでたひ・・・?フキフキ "A^^;
 さりげなく訂正したの、ばれました?

2006年5月 3日 (水)

「広場」投稿消失について返信がありました。

  本日(5月3日)、18時47分に、サポートセンター、前回と同じ担当の方から返信がありました。(前回のメールです。)
連休中にも関わらず、返事を頂いたのに、私がメールチェックを怠り、今頃掲載することになりました。申し訳ありません。(記事最後に追記しました。どうも深読みしていた気がしまして。)

 以下が返信メールです。

   本名 様

 アット・ニフティにお問い合わせいただき、ありがとうございます。
 メールサポートセンター◎◎です。

 はじめに、お問い合わせいただいた件について、調査にお時間がかかりまし
たことを、お詫び申し上げます。

 お問い合わせいただいた件について回答いたします。

 担当部署で確認を行いましたところ、以下の報告がございましたのでご案内
させていただきます。

 投稿記事の保存期間につきましては、日数による期限は設けておりません。

 長期的に保存できるよう努めて参りますが。万が一大量の記事が書き込みさ
れることによるサーバー高負荷等が発生し、安定したサービスが提供できない
と判断された場合は、やむを得ず削除を行わせていただく場合がございます。

 恐れながら、消去する具体的な記事数につきましてはご案内いたしかねます。
誠に申し訳ございませんが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。

 また、現在掲載されている投稿記事の活用につきましては、今後より良いコ
コログサービス運営を行っていく上で、様々なことを検討させていただいてお
り、その一貫として活用させていただく場合もございます。

 しかしながら、詳細についてはご案内いたしかねますので、何卒ご了承くだ
さいますようお願いいたします。

 お問い合わせありがとうございました。
 今後ともアット・ニフティをよろしくお願いいたします。

           アット・ニフティ メールサポートセンター :◎◎
=========================================================
<<お問い合わせいただく前に>>

【Q&A(よくあるご質問)】
http://support.nifty.com/support/faq/index.htm
=========================================================

 とのことです。

 サイクリック数を教えられないって、どういう理由なんでしょうか。
まあ、理由があるから明言できない訳ですが。

>今後より良いココログサービス運営を行っていく上で、様々なことを検討させていただいてお
>り、その一貫として活用させていただく場合ございます。

 との事なのですが、これは利用上の注意の文面と大した違いはない様な気もします。
ユーザー同士が質問しあう掲示板の作りがここまで秘密事項だとは正直夢想だにしませんでした。
 質問番号と総数の違いからメンテをしている事はユーザーからはみえるのですから、はっきり教えて頂いた方が、ユーザー側からも、例えば急遽「上級編」に質問を誘導するとか、対策も考えられるのですが、幾つで消えるか判らないと動きようがないです。
 
 もしかするとタイミングが悪かったんでしょうか。サイクリックが近づいている時にその数字を公表すると何が起こるか判らないという可能性もありますから。

 「スタッフブログ」にTBするつもりでしたが、ちょっと控えて様子を観てみます。

 私、脅しをかけすぎたんでしょうか。ここまで極秘にされるなんて。(いや、子供のおつかいを見抜かれて適当にいなされたとか。それが当たっていそう・・・^_^;)内容はともあれ、こういう質問に返事をもらえた事は感謝してます。出さなきゃいけない返事は山ほどあるでしょうから。

 (挟み込み追記開始します。)

 返信メール文中に

>長期的に保存できるよう努めて参りますが。 

 とあるのですから、これはスタッフさんは忙しい中「広場」のログを一生懸命に保存してくれると考えてよいわけですよね。では「ログ」は残ると・・・(にまっ)

 (追記終了です。)

 ◎◎さん、お忙しいところお手数かけましたが返信下さいまして有り難うございます。

 とはいえ・・・・(この一言は大変失礼いたしました。「ログ」を残すという内容をあの忙しい最中にご返答頂いたにも関わらず、このような一文を書いてしまいまして、本当に申し訳ございませんでした。)

幸せの黄色い財布

 一時期流行った「開運財布」。
その中の一つに
「風水に因る秘伝の数々を込めた開運財布」
「著名風水師秘伝の金運お守り付き」
「本皮手作りで数量限定で希少価値も高し!故に通し番号の入ったカード付き」
 と謳って、確かトラ模様の刺繍もしてある、ちょっと凝った財布がありました。そのせいかお値段も張って5ケタ台。
 広告の裏面には、「この財布を買ったら宝くじに当たった」「傾いた事業が盛り返した」等、利用者の喜びの声が、数量限定であるにも関わらず大量に掲載。というか、発売したてではないのでしょうか。^_^;

  それから暫く後。
 千円均一面白雑貨なるお店に入って遊んでいたところ、隅の棚でこの財布が大量に積まれているのを発見。
 黄色い財布は多々あれど、見間違いようのない「番号カード」「金運お守り」がしっかり添付。(笑)
  あれだけ開運の秘伝を込めたのに、バッタ屋さんに流れたのか、この財布は。
 
 丁度新しい財布が入り用だったのに何故か買い損ねました。本皮で作りもちゃんとしていたので千円ならお買い得とは言えるんですけど。^_^;

2006年5月 2日 (火)

人間の居場所

  先月、○十肩で呻いている頃、お向かいの息子さんが道で(と、言っても住宅街の道なので車も人も殆ど通らないんですが)スポーツしている音が、ひどく肩に響いたんですわ。健康な時ならばまるで気にならない音ではあったのですが、冷や汗も出てきたのでちょっとお願いして暫く練習中止してもらおうかなと思いました。けれど、結局それはしないことにしました。

  思い出したんですよ、自分の子供の頃を。そして思ったんです。人間が育つためには場所が必要なんだと。大人の管理下に入っていない子供が主導権を持てる場所。でも家や、親を含む大人世界からは完全に切り離されていない、庇護と独立の入り交じった空間が必要なのではないかと。こういう空間は人間が成長するのに必須なのかも、などと考えたわけです。
自宅の前(我が家の前でもある訳ですが)の道路はお向かいの息子さんにとって、まさしく今書いた場所だと思ったのです。そしてその人にとって代替地はあるのだろうかと思いを巡らすと、ここ以外にはちょっと考えつかない。場所は沢山あるんですよ。でも公園はもっと小さい子供達に必要な場所だし、グラウンドはスポーツをみんなで練習する場所なのです。

  私が自分の怪我のことを話して頼めば、息子さんは快く練習を止めてくれるでしょう。それは判りすぎる位判っているんですが、体に響くまで子供に必要な場所の事など考えたこともなかった大人の私に果たして頼む権利があるのか考えると、とても言い出せませんでした。

  都市部の子供はどうやっているのだろうと、ふっと心配になったのでした。そう言えばいとうせいこうの「ノーライフキング」は大人の手の届かない空間を共有する子供達の話でしたよね。あのストーリーは現在起きつつある事なのか、既に過去の話なのか、今頃気になり始めました。(^^ゞ)

2006年5月 1日 (月)

水木ワールド

 本日、免許証の更新に行って参りました。

 免許の写真なんてどう足掻いても「悲惨」の一語に尽きる出来あがりなので端から諦めてはいたんですが・・・

 でも、でもね。少なくとも「人間にみえる」ラインは死守してもらえると思ってました。

「黙って座ると妖怪に写る場合もあります。」なんて注意書き、なかった。(泣)

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