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2006年5月10日 (水)

鶴は病みき 岡本かの子

 岡本かの子は、文体独特の美しさ、画家で言えば色彩美のようなものをかなりはっきり持っている作家だと、個人的には考えています。
 しかしこの「鶴は病みき」に関しては、非常に美しくはあるのですが、何というのか岡本自身が持っている美しさとはかなり異質な美しさを読んでいる間ずっと感じていました。
 
 大正十五年八月。鎌倉雪の下。
F旅館(「藤屋」)に家族で逗留した坂本葉子(岡本自身)と同じく逗留客であった作家麻川荘之介(芥川龍之介)との間に起こった出来事が書かれています。
この作品が昭和十一年に発表された時、作家芥川に対する暴露本という見方もあったようで、宇野浩二は作品冒頭に出てくるX夫人の描写について

「これらの言葉は、女が女を見た意地悪に満ちている。これらの言葉は作家の目で見たものではなく、浅はかな女の心で見たものである。されば(以下略します)」

 と書いたそうです。

宇野氏の論評が、X夫人の描写発表当時にされたものとしても、岡本かの子の美意識は鋭いことが他の作品から判るのですから、これを美と呼ぶことに抵抗したとて、「女の心」で片づけるべき事柄だという主張には、私は賛同できません。

 確かにこのX夫人の描写について麻川(芥川)が念入りに布石をした後で反撃を開始した場面など、時も経っているのにかの子の辟易した気持ちが滲んでいるとは思いますが、他の部分、一緒にメロンを食べている場面は、事実メロンを食べたのでしょうが、麻川の苦痛、模索が伝わってきて、これは作家の目以外の何者でもないように思います。
X夫人の描写さえ、麻川が自分のイライラを作者にぶつけた為に、この不世出といえる作家の内面を覗くきっかけになったのですから、これは作家としてはずせるものではないと思うのです。

 五年後の昭和二年、熱海へ向かう電車の中で、偶然乗り合わせた麻川の描写も、それを鶴と絡めたのも、確かに熱海梅林に鶴がいたのは事実だろうけれど岡本かの子の胸中に、自分の羽を引きむしって機を織る、「鶴」の姿があったことは間違いないでしょう。

 そしてここまで読んで、作者と違うこの雰囲気は何処から来たのかようやく思い出すことが出来ました。それは「点鬼簿」の、そして「歯車」を書いている芥川龍之介の美しさにとても似ていると。

 特に「歯車」の

「どうもした訳ではないのですけれどもね、唯何だか何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから。・・・・・・」

 という文子夫人の言葉から最後までに。

 芥川が死んだとき、それを止められなかった無念さと、既に誰も止める事の出来ない領域に作家として踏み込んでいたという悲しい認識が文学界にあったそうですが(例が多くて参照を示せません。間違っていたら訂正お願いします。)、この「鶴は病みき」はその無念さと、最後の羽までむしってしまった芥川龍之介の姿を、自分の文体まで捨てて書き上げた作品ではないでしょうか。
 作家に対して、これほどの追悼はないのではと思います。川端康成が推薦文を付けたのも当然かと思います。

 「青空文庫」、「鶴は病みき」も、「点鬼簿」「歯車」も収録されています。

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