ホロヴィッツのコンサート(後知恵編)
これは今にして思えばの、本当に後知恵なのですが、あれは実に不運の重なったコンサートだったと思います。
一つ目は、ピアノとホールとの相性の悪さです。
今日本には残響○秒と大書きできる音楽ホールがごまんとありますが、当時音がよいと言えば、昭和女子大人見記念講堂か、五反田の簡易保険ホールあたりだったと聞き及んでいます。そしてNHKホールは、ホールではありますが、あれを音楽ホールと言うのは無理があろうかと思います。
「弘法は筆を選ばず」と仰る向きもありましょうが、ピアノは特別に運ばれたホロヴィッツ専用のスタインウェイ。調律を含めスタッフもスタインウェイ本社から直々派遣されたと聞きました。
残響の良いホールでの仕事が多いスタッフが、あの特別ピアノをあのNHKホールに置いて、果たして観客が入った状態を正確に計算して調整することが出来たのかどうか。私は無理だったのではないかと考えています。
あの楽器の持つふくよかな響きは、生を聴いた人はお判りかと思いますが、ピアノの響きと言うより何かもっと特別なものがありました。
その音が、特に「弱音」が、あのホールとはとことん相性が悪かったのではないかと思います。
あのベートーヴェンのソナタで「われ鐘」の様に聞こえた事でそう思いました。
リハーサルなしだったのも、急な来日で会場を押さえられなかったという記事を目にした記憶があります。がこの記憶は確かなものではありません。
そんな状況で、ベートーヴェンとシューマンの「謝肉祭」この二曲を、あの場所で自分の音を出せる試みをしつつ弾き通した事は事実だったと私は思います。
マスコミ報道もセンセーショナルなものでした。
「ホロヴィッツ初来日」は音楽ニュースではなく、社会ニュースの扱いでした。
コンサートの始まる前から、チケットの値段、借りたホテルの部屋の値段、エールフランスで舌平目を空輸など、音楽以外の話題が流され、かなり揶揄された書き方をされていました。
これも今では信じがたい事ですが、ホロヴィッツ専用のスタインウェイが運ばれた事さえ、贅沢さを示すかのように書いた記事もありました。
正直言って「あの」スタウインウェイではなく、ホール備え付けのスタインウェイだったら、私は二度と聴けないかもしれないホロヴィッツのコンサートであっても決して5万も払ったりはしなかったでしょう。当時のレートは確か1ドル200円台だったんじゃないでしょうか。私は為替レートを考えてやむを得ないかなと判断したんですが(私は、そう言う計算は必ず間違える人間であることを長じてから思い知りましたが。)。
そして、あの評論家吉田秀和氏の感想です。
私が目撃したあのインタビューは評論家吉田秀和氏に対してのものだったのです。私は氏の評論は沢山読んでいましたが、当時、氏の顔は知りませんでした。
あの時、あの会場に数多いた著名人達にインタビューする為にカメラクルーが色々な場所を廻っていた事は覚えているのですが、吉田氏へのインタビューがたまたまそんなクルーに遭遇したための結果であったのかどうかは、どうしても思い出せません。
またVIP氏と吉田氏が同一人物なのか、これは挨拶で何度も横を向いているのでかなりの確率でそうだったと私は思っていますが、寝ていた人物とVIP吉田秀和氏が同一人物であったか?については、23年も経っていますし、よく似た人相風体、同じ様なヘアスタイルの人物がVIP氏の側に座っていなかった保証はないので、これについては私は何も申し上げるつもりはありません。
しかしあのインタビューがコンサート終了後に行われたものではなく、「休憩時間」に行われたものだと言うことは23年経っても私は断言できます。これは出口の番号が一瞬背景に映り込んでいたので(録画をお持ちの方は確認してみて下さい)、当時私が間違いないと周りに断言したので良く覚えています。
そういう事情を放送の中で断らなかったとも記憶しています。
なのであの発言を、全てを聴いての批評だと思っている人は多いのではないでしょうか。
演奏についてですが、後半は全体的に音が地味でした。
良い言葉が見つからないのですが、装飾をそぎ落として、輪郭を際だたせた様な、そんな音楽だった気がします。
手を抜くのではと考えた「3つの練習曲」は、小粒ながら非常に精密に研がれた美しいもの(宝石という様なきらびやかなものではなくて)を彷彿とさせた理由ではないかと思います。
それについて私は当時、前半終了時の罵声が聞こえてしまって、ここの客が演奏の善し悪しを「タッチミス」の多寡でしか判断しない連中であると考えて、レベルの追求より、ミスの少ない演奏にシフトした、あるいは、音響との闘いに疲れて、最後まで演奏できるレベルを自分で決めて、その維持を図ったと勘ぐっていました。
ホロヴィッツならばレベルを落としても、あの位出来るだろうと。
しかしその後のコンサート復活などを知った後、改めて当時を振り返ると、ホロヴィッツはあのコンサートで新しい境地に踏み出そうと試みていたのではないかと考える様になりました。
「謝肉祭」の中の何曲かについても、終曲の「ダヴィッド同盟」は確かに迫力がありましたが、「エルネスティーネ」だったか何でしたか、曲名は失念しましたが、静かながら、奥深い響きのある演奏が、何曲かありました。
ホロヴィッツと言えば「トロイメライ」が有名ですが、抒情的な曲でさえ、独特の華やかさを持っています。
しかしあの時のものは、今までの演奏とは違う、一つ壁を越えたような、老境の円熟とでも呼べる、枯れた美しさの片鱗が確かにあり、それは後のライブにつながるものでした。
そもそもプログラムの冒頭にベートーヴェンのあのソナタを持ってきた事からも、また、あれから約二年の時を経て、復活した時の演目で、今まで録音しなかったスカルラッティのソナタ ロ短調 L.33が度々演奏された事、またジュリーニとスカラ座で録音したモーツァルトの協奏曲イ長調 K.488の2楽章(YouTubeなどを思い出していただくと私の書きたいことがお判り頂けるのではないかと思います。
あの後半は(そもそも前半からそう意図されていたのでしょうが)、ホールの音響や客の嗜好と手を打ったものではなく、彼が最初から意図していた境地だったのではなかったのか。その新境地を、ホロヴィッツは熱心なファンの多い「日本」で最初に披露するつもりだったのではないでしょうか。我々が理解できると信じて。そう考える事が度々あります。
恥ずかしながら、私は昔の華々しい音楽をあのコンサートに求めていました。そして彼の指し示す新境地を理解するのにそれから何年も必要としてしまいました。
また、吉田秀和氏のインタビュー内容は、
まず、女性アナウンサーから感想を求められて
「・・・壺だね。」
「古い骨董の壺・・・。・・・・それも所々にひびが入っている。」
「良い音も・・・あるにはあった。少しだけどね。だけど・・・(後はちょっと忘れてしまいました。)」
私の記憶している限りでは上の様なものでした。
そしてこれは吉田氏にとっても不本意な事でしょうが、全国に流れたあの発言は「全てを聴いた後」のものではありませんでした。
その後随分経ってから、次のコンサートまでの空白期間に彼が薬物依存になっていたなどと報じられました。
その事をあの日のコンサートの原因の様にいう人も居ますが、仮にそう言う事実があったにせよ、薬物依存が、果たして原因だったのか、結果だったのか、原因であったにしても、もし日本でのコンサートがあのような罵声に包まれなければ、その後の完全復帰はもっと早かったのではないかと思います。最晩年の活躍を考えると残念でなりません。
お客が少なくなっても、そのコアなファンの為にカーテンの端から恥ずかしそうにひょこっと姿を現し、はにかむようにほほえむホロヴィッツの姿を思い出す度に、私の様な青二才が、一生に一度あるかないかの大散財であっても、その後しばらく、洋服は殆どお古、壊れた靴は糸で繕って履いたとしても、あんな場所へ出かけたのは、実に不遜なことだったと思われ、判る人に譲るべきだったと反省しています。
最後に、人間の記憶などと言うものは非常にあやふやで、いいかげんなものです。また一つの事象について、個人個人がそれぞれ自分の欲する結果を導くような見方をすることも事実です。
この記事を書くに当たって、出来るだけバイアスを排除しようとは努めましたが、どの程度効果があったかは、自分では判りません。ここに書かれた内容については、読んだ方お一人お一人がご判断下さい。
チケットのシート番号です。
NHKホールの座席表へのリンクです。PDFファイルはもっと詳しく出ています。
6月11日、TV放送で流れた吉田秀和氏の発言が、あまり正確に引用されていなかった事を思い出しましたので、インタビュー内容を追記しました。を追記訂正します。この記事のコメントにて94丁目様が正確な内容をお知らせ下さいました。94丁目様は16日(二回目)のコンサートについてとても詳しい報告をされてらっしゃいます。リンク先の掲示板はフレーム内です。サイトはホロヴィッツ賛!田中太郎のピアノページ様です。また83年の来日時の吉田秀和氏の朝日新聞評を94丁目様がコメント欄にて全文アップしてくださいました。またこの記事の書かれた当時の他の新聞評もホロビッツ研究所内掲示板にアップされています。
最後に
このコンサートビデオをアルゲリッチが観た時の様子が仮装ぴあにすとさまのブログ
「~Agiato で Agitato に~『骨董の鑑識耳』」(リンク)に詳しくかかれております。
勝手にリンクしてすみません。いつもこっそり楽しく拝読させて頂いてます。
関連記事
演奏編(近くにポゴレリチ) (リンク)
演奏編2 (リンク)
ポゴレリチ追跡編 (リンク)
コンサート映像 (リンク)
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たまたま15年ほど前の文芸誌を手にする機会があったのですが、いきなりカラーグラビアに吉田秀和氏の写真が(笑)
これが、例のいびき(?)の・・・と思って見てしまいました。偶然とはいえ絶妙のタイミング。ぽんの念力でしょうか。
そういえば、ホロヴィッツのCDを一枚だけ持っていたことを思い出しました。文中にも出てくる晩年のモーツァルトのピアノ協奏曲。たぶん今もどこかにあると思います。
番外も期待してるので、またアップして下さいまし。
投稿: そうし | 2006年6月 9日 (金) 03:21
そうし様
文芸誌にグラビアですか。
さすが全集出してる大御所だけの事はあるわ。(笑)
>ぽんの念力でしょうか。
最近ボケが進んで念力なんてとんでもないです。(笑)
おお、あのCD持ってますか。あれ、いいよね。
いいなあ。私持ってないのよ。(自爆)
>番外も期待してるので、またアップして下さいまし。
こんな長々記事を読んで頂いた上に、
痛み入りますです。
モッズ・ヘアからアップスタイの提案様
初めまして。いらっしゃいませ。
ここへは「ヘアスタイル」で検索されての
お越しでしょうか。
吉田氏をモッズヘアでサマーシニョンに、とは
素敵なユーモアをお持ちでらっしゃいますわ。
TB残しておきたいのですが、クリックすると
『ボット』を仕込むサイトがあるので
安全の為やむを得ず削除させて頂きます。
残念なんですが、ほんとすみません。
投稿: ぽん | 2006年6月10日 (土) 08:48
吉田秀和さんの、NHKホールでのインタビュー、こんな感じでしたよ。朝日新聞に載った評論も、打ち込んでますが、ここではちょっと長すぎますので・・・
NHKで放映された初日のリサイタル、その休憩時間に行われた吉田氏へのインタヴュー。「僕は実際には聴くの初めてでね、とっても期待して聴きました。何て言っても今世紀を代表するピアニストですからね・・・しかし今、やっぱり歳をとったな。そして僕は人間をそういうものに例えるのは嫌いだけども、一種の骨董品だと思う・・(略)・・だけどもう少し早く聴きたかったねぇ。骨董としても、ちょっとヒビ入ったな・・・」
あと神谷郁代さんが、ショックを受けてひきつりながら、言葉を選んで「素晴らしかった」と言っていたのは、痛々しかったです。
投稿: 94丁目 | 2006年6月22日 (木) 23:21
僕も'83年来日について、長い思い出を書いたことがあります。もし興味あれば呼んでみてください。下の掲示板(現在更新中止中)で過去記事を2回ほど押していただいて、2004年1月2日から書いてます。ペンネームは同じ「94丁目」です。
http://tubox.gaiax.com/home/ht_02/main
そして、現在’86来日のほうを出筆中です。20周年なので。こちらは「ホロビッツ研究室」というところの掲示板です。どちらも自分のHPではないので、心苦しいのですが・・・
投稿: 94丁目 | 2006年6月22日 (木) 23:39
94丁目様
この記事を探し当てて下さって本当に有り難うございます。
と言いますのも、ホロヴィッツ賛!や研究所に行ったのですが、94丁目さんの16日のコンサート記事までは行き着けませんでした。早速読ませて頂きました。TV放送の細かい部分まで丁寧に書かれていて、本当に読みでがありました。16日は行かなかったので余計にです。なるほど、94丁目さんはその様にお聴きになったんですね。「あやふやな部分もあって」などと書かれてらっしゃいますが、とんでもない、私なんかより遥に鮮明に覚えておいでです。あのサイトの皆様に比べると私がコンサートに行ったこと自体とんでもない所行のような気がします。
また吉田氏のインタビュー内容も教えて下さって感謝です。私はTV放送時氏の発言を聞いて怒り狂って暴言を吐いていたので良く聞いてなかった可能性があります。今でこそ23年前ですが、当時は昨日の今日で自分の記憶は確かだったと思ってたので。
ポゴレリチの「日本に来なければ」云々のコメントは、ポゴレリチサイトの掲示板で開設者のよしこさんが書き出してくださいまして、私の思いこみかもですが、かなり誉めている様に思いました。URLはここですが。
http://bbs2.on.kidd.jp/?0209/pogo81
94丁目さんのメールアドレスが表に出ていてスパム業者に拾われるとまずいと思い消して置きましたが、ホロヴィッツ賛!掲示板には出ているので元に戻した方が良いでしょうか?
コメント欄の文字数が気のなるので一旦終わりにします。
投稿: ぽんず | 2006年6月24日 (土) 21:34
レスありがとうございます。またアドレスへの配慮ありがとうございます。確かに、最近無意味なメール(女性紹介の・・・)が殺到しております(苦笑)今回は伏せておきます。
ポゴレリッチは、亡くなった奥様含めかなり不遜な発言をした時期もあったようですね。ホロヴィッツ夫人を怒らせたのは(トスカニーニの娘さんです)「20世紀の素晴らしいピアニストは、ラフマニノフ、ホロヴィッツ、そしてポゴレリッチ」という発言でした。私が知っているポゴレリッチの'83時の発言は「ホロヴィッツが、日本に来なければ良かった:というものでした。
吉田さんの発言は「ひびわれた骨とう品」という部分だけが残ってますが、テレビのインタビューでも、新聞評でも、本質を付いた鋭いものだと思います。実はホロヴィッツは、'83の演奏を間違った音をたくさん出した、ということを意識してますし、楽屋裏では奥様が「ホロヴィッツのお葬式よ。もうホロヴィッツの演奏を聴くことはないは。ひどい、ほんとうにひどい」と泣いていたそうです。しかし日本の聴衆の熱狂的な反応に、少し救われたところがあって、もっと演奏を続けられると考えていたと言う証言もあります。マネージャーのゲルプ氏の発言です。それで朝日新聞の英訳された評論をみせたところ、ホロヴィッツは「真珠湾攻撃よりひどい」といって精神的にまいっていしまったそうです。しかしそのことがなければ、ホロヴィッツの奇跡の復活はなかったのですよ。そのまま薬漬けで生涯を終えることになっていたと思います。ショーンバーグ(ニューヨークタイムズの主席音楽評論家)の本によると。その後ホロヴィッツは生活を全く変えたそうです。薬漬けにした主治医をクビにし、そして'85になって本当に復活しました。その結末が'86の奇跡の復活演奏会です。
そして吉田さんは、今度はホロヴィッツを魔術師と呼んでます。吉田さんこそ、荒療治ながらホロヴィッツの復活のきっかけになった人だと、僕は思っていますよ。
それにしても、社会面にとりあげられるような音楽家、本当にいなくなってしまいましたね・・・・。
吉田さんの新聞評、長文ですが、ここにのっけてよければのっけますし、メールででも送ってかまいませんよ。ぜひご一読いただくと、なるほどと思われると思います。
投稿: 94丁目 | 2006年6月24日 (土) 22:02
94丁目様
早速のコメント、本当にありがとうございます。
本当に言葉というものは一部分ではなくどんなときにどんな文脈の中で語られたのかで受ける印象が変わってしまいますものね。出来るだけ正確に知りたいものです。それで吉田氏の新聞評、宜しかったらコメント欄に載せて頂けますでしょうか。
コメント欄なら将来たまたまこの記事を読むかもしれない人の参考にも大いになると思います。
ただ長文との事で、PCでのコピー&ペーストとは違い入力するのは大仕事です。94丁目さんのお手数でなければというのが大前提ですが。
>ぜひご一読いただくと、なるほどと思われると思います。
記事の書き方が悪かったみたいで済みません。いびきをかいて寝ていた人物が某氏だったと今言い張る気はないと明確にしようとしすぎて却って曖昧に。23年経ってしまい、正しかったとも間違っていたとも私自身は明言する術がないのであのように書きましたが、私が目撃した事に対する認識は当時も何度も検証したのですが、変われなかったのです。
今回チケット画像を載せたのもひょっとして「私はかなり離れた所に座ってましたが隣には吉田秀和氏が居ました。」などと証言して下さる方が現れてこの問題にケリをつけてくれないかという気持ちもあっての事です。
あの問題が私の目の前にある限り、私は吉田氏のインタビューでの発言について非常に語りにくい訳なのです。広げれば天性の批評家の直感に必要な時間は凡人と同じと考えてよいかとか、鋭い推察と実地で違いがあるかあたり迄いってしまいそうで。(大汗)
そんな理由もあってこの記事は座席表以外一切下調べなしで書きました。書いた後やっとネットを読めましたが(その時にご紹介頂いたサイトへも行った訳です)、教えて頂いて読んだ94丁目さんの投稿も含めて色々な方の色々な感想を読めば読むほど、かのコンサートの広がりが感じられて、当時なかなか言葉で言い表しにくく、23年経ってもまだ表現出来得ないような演奏をしてしまうホロヴィッツの凄さを改めて感じました。
先日テープが傷みそうで聴けなかった11日のコンサート、ラジオ放送エアチェック、23年振りに聴いてみました。今聴いても言葉で表す以上のものがありました。
投稿: ぽんず | 2006年6月25日 (日) 16:19
いえいえ、これほど23年前のことを細かく書いたものを読むのは、めったになかったことなので、同じようなことをやった身として、嬉しい気持ちで、ついちょっと書いてしまったのですよ。 嬉しいのは、当時知るよしもなかったぽんずさんと、ホロヴィッツを通じて、23年後に少しでも同じ思い出を共有できることです。僕は当時大学の2年生でしたが、今や順当に(あたりまえ!)中年街道まっしぐらです(笑)。20年も経っていればかなり事実も歪曲され、思い出せないことも多数です(トホホ・・・)。そんな中、ぽんずさんの経験した人でしか書けない文章は、とても新鮮でした。
吉田さんの文章、実は田中さんのHPのもうすこし後に打ち込んであるんですが、それをここに持ってきましょう。最初に言っておきますが、長いです。でも抜粋では良くないと思うので・・・
朝日新聞 ’83.6.17 夕刊 文化欄
音楽展望
ホロヴィッツを聴いて 吉田秀和
遅すぎた伝説の名演奏
ショパンに至芸の片鱗
百聞一見に如かず。ホロヴィッツをきいている間、私はこの言葉を何度も噛みしめさせられた。その味は、いつも、苦かった。
ホロヴィッツは今世紀きっての名手と称えられたピアニストである。その人が79歳の誕生日まで幾か月という時になって、ついに、はじめて日本のステージに姿を現した。
私たちはこれまで、彼についていろいろな話を聞いたり、批評、評論を読んだりしてきた。レコードもたくさんきいた。演奏会の実況をTVで接する機会も、これまで2回与えられた。それでも、以上の全部を束にしても、今度実際に自分の耳と目で経験したものの重さには対抗できなかった。
事実の重みが苦く
重みとは何か。今のホロヴィッツには過去の伝説の主の姿は、一部しか認められなかったという事実のそれである。私としては、彼の来日を可能にした人たちや、全演奏会を翌日一挙に放映したNHKの労を大いに多とする。しかし、この人にはもっともっと早く来てほしかった。
私は人間をものにたとえるのは、インヒューマンなので好きではない。しかし、今はほかに言いようがないので使わせて頂くが、今私たちの目の前にいるのは、骨董としてのホロヴィッツにほかならない。骨董である以上、その価値はつきつめたところ、人の好みによるほかない。ある人は万金投じても悔いないかもしれないし、ある人は一顧だに値しないと思うかもしれない。それはそれでいい。
だが、残念ながら、私はもう一つつけ加えなければならない。なるほど、この芸術は、かつては無類の名品だったろうが、今は―最も控えめにいっても― ひびが入ってる。それも一つや二つのひびではない。
彼の演奏では、音楽が続かなくなった。少し進んだかと思うと、ひびの割れ目におちて、音楽が途切れてしまう。忌憚なくいえば、この珍品は、欠けていて、完全な形を残していない。
それは特に、ピアニストが絹糸のような繊細で強靭な弱音で、陰影の濃い音の生地を織り続けようと努力している時、際だって見えてくる。それは、もう、昔の出来事というより、心の中の出来事と呼ぶにふさわしい。そこにある種の感動を誘う力がないわけではない。けれども、ピアニストは、音が全く消えたわけではないことを証明するかのように、思いがけぬ力強さでバスを鳴らしたりする。それは必ずしも、いつも、前後との論理のつながりが明らかでないので、聴衆を驚かす効果に終わってしまうことが多い。個々の音の輪郭がはっきりしない場合もよくある。それは子音が明確でないので、意味の通じにくい、この人の話し方を連想させずにおかぬ。
この夜の曲では、最初のベートーヴェン(作品101のソナタ)よりシューマン(謝肉祭)がまし、シューマンよりショパン(ポロネーズほか)がもっとよかった。特にショパン、それも練習曲(作品25の7)の演奏では、話にきく、ほかに比較するものなく、かけがえもない魅惑の一端にふれることができた。
やはり。この人は正真正銘、混ざり気なしのピアニストであることを手応えで実感できた数分間である。これはベートーヴェンよりシューマン、それよりショパンが、最もピアノの精髄に根ざす音楽を書いた証拠といってもいい。ピアニストの本能が、それによって呼びさまされるのだ。
私は去年のロンドン公演を録音した最新のレコードをきいて、この人はもう誰それの何という曲をひくというのでなく、ある曲を前に、自分が何を見、何をきくかということだけを、心の赴くままに語る巨匠になったのかと想像した。しかし、それは半分しか当たってなかった。あのレコードは、どこまで忠実な再現だったのだろう。もっとも、演奏は、器械を通じて経験すると、どうしても何かが変らざるを得ない。ホロヴィッツも実演の翌日TVでみたが、ここでも、前夜の痛々しいまでに風穴のあいた印象はずっと柔らげられていた。
たしかに、何をひこうと、彼はそれを完全に手中のものとし、自分の音楽にしきってひいている。<謝肉祭>では興味深いアクセントづけが随所にあった。ベートーヴェンでは、あの沈鬱で内政的な開始の仕方は、かつてみない着想だと思った。しかし遺憾ながら今彼には、その着想を充分に肉づけして提出する力が充分にはなくなった。あれでは油絵を白黒写真で複製したようなことになる。せめて、第一期のTV放映のあったころ、できれば、その前、長い沈黙のあとカムバックして間もないころ来ていたら、私たちにも、全盛時代の幾分かが伝わってきたろうに。
敏感な本能生きる
今度の演奏から推測できる限り、彼の芸術は、ほとんど本能的といってもよいほどの異常に敏感な感性に根ざすもので、全盛期でも、彼は全く余人の真似を許さぬ演奏をしたのだろう。それはまた、彼の独特の不思議な指使いその他の技巧と不可分だった。それが、第一回のTVの時、私に強烈な印象を与えた基になったのだが、今みると、その両者の結びつきにがたがきている。もう思ったようにひけない。だが、本能は生きている。
もちろん、79歳という高齢だから、肉体が衰えるのは当然の話だ。だが、高齢の名手は、彼が最初でも、唯一でもない。コルトー、ケンプ・・・・・・・私がザルツブルクでバックハウスをきいた時、彼は実に84歳だった。その時、かつては鍵盤上の獅子王と呼ばれた老人は、思いもよらぬ温かく深く柔らかな音で、ブラームスの第二ピアノ協奏曲のソロをひきはじめ、ひきおえた。それはブラームスの音楽であると同じくらい、彼のものであり、ピアノ音楽になりきっていた。
もちろん、人間の年のとり方は千差万別。八十の人にできることが七十の人にできないといって責めるのは正しくない。だが、現役で働いている以上、批評の対象になるのはさけがたい。ホロヴィッツが、ショパンで往年の至芸の片鱗を垣間見させたのは事実である。だが、それは名品の一片だ。今の彼はどんな気持ちでステージに立っているのだろう。彼が、やれるだけのことを、誠実に、一生懸命にやっているのは事実である。跳躍の多いパッセージで見苦しい音のはずし方はしまいと、テンポをゆるめても一つ一つていねいに打鍵している様子は感動的ですらあった。「これ以上何を望むのか。過去の先入観からではなく、今の自分をきいてほしい」と彼はいうのだろう。だが破天荒の謝金を払う興業主、空前の入場料を払って集まった聴衆が、彼のかつての名声と無関係でないのは、彼も充分心得ているはずである。
こんなことを書くのが、渡来の老大家に対し、どんなに非礼で情け知らずの仕打ちか、私も心得てないわけではない。だが、大家に向かって、いまさら外交辞令でもあるまい。
霧の彼方になおも
こういう私でも、かつての彼の天才ぶりを疑うことはできない。あの、ピアノを鳴らすことにかけては天下一品の名手、自分の天分に底ぬけに楽天的自信をもっていたルービンシュタインが、名声の絶頂期にいる時、ホロヴィッツのデビューをきいて、絶望し、自殺を考えたというのは、彼が自伝で告白している。ホロヴィッツの演奏に関し、これ以上の専門家の鑑定書はあるまい。それがどんなに輝かしいものえあったか、どんな高みからピアノ演奏の芸術を支配していたのか。このことは、今度の実演をきいた後も。きく前とほとんど変わらない位、遠い霧の彼方に残ったままだった。(音楽評論家)
投稿: 94丁目 | 2006年6月25日 (日) 21:53
'83だけ読むと、吉田さんはなんてひどいことを書いたのか(真実を突いているとはいえ)、とも思われかねないので、3年後の再来日の時に書いていたこと(朝日新聞)ものっけときます。吉田さんを恨んでいるホロヴィッツファンもいましたが、僕は当時から鋭く本質をわかった人だと思っていました。それを読んで、一部の都合の良いところだけとりだして、ほら見たことか、と飛びついていた野次馬達のへの嫌悪感のほうが大きかったです。でも、いずれにしても、ホロヴィッツは3年後に奇跡を起こしたんです!
長いのと、'83年ほどには全文読まないと誤解しかねないということもないので、冒頭と終わりだけ紹介します。
ピアニスト・ホロヴィッツ
神秘世界にいざなう魔術師 吉田秀和
美しい小さな宝石
三年前この人は伝説の生きた主人公として私たちの町に来た。が、その演奏は、私たちの期待を満たすにほど遠く、苦い失望を残して立ち去った。こんどの彼は一人のピアノをひく人間として来た。彼は前よりまた少し年老いて見えた。
が、その彼は何たるピアノひきだったろう!!
音楽が人生と同じ広さと深さと高さを持ちうるとしたら、このピアニストが今も完全に手中にしているのはその一角にすぎない。だが、それは最も精妙な宝玉の見出される一角である。
それを彼は私たちに惜し気もなく示した。
(中略)
再訪に心から感謝
いずれにせよ、この人は今も比類のない鍵盤上の魔術師であると共に、この概念そのものがどんなに深く19世紀的なものかということと、当時の名手大家の何たるかを伝える貴重な存在といわねばならない。二日目、聴衆に大歓呼の中で突然どこかで鋭い騒音がした途端、彼は大急ぎで両耳を塞ぎ背中を向けた。それをみて、私は彼がどんなに傷つき易く安定を失いやすい精神と神経の持ち主かようくわかった。それだけにまた、けん土重来、はるばる再訪してくれたことに、心から感謝せずにはいられない。
長々とすみませんでした。
投稿: 94丁目 | 2006年6月25日 (日) 22:19
94丁目様
素早い記事アップありがとうございます。
それと、す、済みません。掲示板に既にアップされてらしたのですね。本当に申し訳ありませんでした。
83年の吉田氏の新聞評はこの様に書かれていたのですか。こうやって改めて読むと意義深いものがありますね。とても興味深い。
86年も前回来日時からの一連の思考の流れが伺いしれるようでとても参考になりました。
長々なんてとんでもありません。アップしていただいて本当にありがたかったです。
記事内にリンクを貼らせて頂きます。
> 同じようなことをやった身として、
>嬉しい気持ちで、ついちょっと
>書いてしまったのですよ。
こちらこそ94丁目さんの投稿を嬉しい気持ちで拝読いたしました。私が26日の朝(26日だったんですね。読めて良かった。)私があのブロックの反対側に並んでいた時に94丁目さんは河北ビルの前に並んでいらっしゃったんですね。お互いまだ若くて(笑)。そして何故かどちらもあのビルの階段について書いているし。
86年のコンサートについての投稿もゆっくり味わいながら読ませて頂きます。94丁目さん、ほんとうに今回のコメント有り難うございました。
投稿: ぽんず | 2006年6月26日 (月) 20:19
はじめまして。通りすがりの者ですがとても興味深く拝見しました。いろんな意味で歴史に残るホロヴィッツの来日コンサートの模様がとても臨場感をもって知ることができました。ありがとうございます。ご存知かもしれませんが83年のコンサートがyoutubeにアップされています。やはり本当にすごい演奏ですね。
投稿: ます | 2007年1月 4日 (木) 16:36
ます様
はじめまして。おいで下さいましてありがとうございます。
お返事遅れてしまいまして申し訳ございませんでした。
おまけにこんなに長々書いてしまった記事を読んでいただき、
こちらこそありがとうございます。
YouTubeですね。私も人に教えてもらってあの映像観ました。
本当に23年前とは思えないすばらしい演奏だと私も思います。
昔の映像がアップされ、沢山の方とこうやってお話ができるというのは本当に楽しいものです。
コメント本当にありがとうございました。
投稿: ぽんず | 2007年1月 5日 (金) 19:27
ぼんず様
はじめまして!
転妻さんのリンクからお邪魔させていただきました^^
ホロヴィッツの初来日の時の模様や吉田氏の当時の
コメントなどが臨場感溢れるように書いてありとても
胸躍るように読みました!
ぼんずさん、ポゴとも遭遇してるんですね、本当にスゴイ!!
私も、
ホロヴィッツの演奏、生で聴いてみたかったな。。(笑)
本当に、興味深いお話ばかりですごく楽しいです。
時間を忘れそうになるぐらい!
またこちらにきます♪
投稿: りょうちゃんまん | 2007年2月 3日 (土) 02:11
りょうちゃんまん様
いらっしゃいませ。
こちらこそ、初めまして!
書いた本人が後で呆れたこの長文を、
読んで下さった上に、こんな風に仰って頂けて、
本当に嬉しいです。ありがとうございます。
昔の事なのに夢中になって書いてしまいましたので
読みにくいと思いますのに・・・(大汗)
>ポゴとも遭遇してるんですね
これはほんと、我ながらびっくりでした。
来てるかも、とは思いましたが、まさかあんなに
近くとは。でももっと近くの人もあそこにはいたわけですよね、その人ブログ始めないかしら(笑)。
>ホロヴィッツの演奏、生で聴いてみたかったな
聴けた代わりに私は今中年してます(笑)。
でも、冗談は抜きで、素晴らしい音でした。
先月のポゴレリチのコンサートの後、
上にコメント下さった94丁目様が話して下さったのですが、
フルオーケストラより、良く響いたそうです。
投稿: ぽんず | 2007年2月 3日 (土) 20:06