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2006年8月27日 (日)

これって編集者の力量不足ってことではないでしょうか。

 読んだことのない作家の悪口を言うのも何ですが、はい、日経新聞「プロムナード」に掲載された坂東眞砂子氏のコラムの話です。

 「子猫殺し」についてはもうなにをか況やなんですが、その前に掲載された「天の邪鬼タマ」も読んでみたら「子猫殺し」と同じ位レベルが低いのね。

 この記事は「天の邪鬼タマ」について書いたものです。「子猫殺し」については別記事にアップしました。


 この人雄のクマと雌のミツ、そしてその娘のタマという3匹のジャーマンシェパードを飼っているのだけど、クマとミツには与えられている犬小屋が何故かタマには無くて、またタマはコラムのなかでは過去二回の出産で一度目は母犬に子犬をとられ、二度目は作者に始末されたらしく、その二度目の出産の後

朝の散歩の後、ミツとクマは自分のねぐらに入るのだが、出産後のミツは自分の仔を置いている逆さにしたボートの下にもぐりこんだ。 するとタマが、ミツの犬小屋に入りこんで、ちょこんとおさまった。 こんなことは初めてだ。 それから毎日のように、この調子だ。しばらくすると出てくるのだが、タマがいないなと思うと、ミツの犬小屋を占領している。

 というタマの行動を、続けて

タマはミツになりたいのだ。ミツならば、子供がいなくなることもない。 立派な犬小屋だってある。 犬なりにそれを悟ったのだろう。 タマは単純に、ミツの小屋にいれば、ミツになれると考えたのだろう。

と、唐突にこれをタマの変身願望と結論付け、加えてなりすましの昔話「天の邪鬼と瓜子姫」の話を引き合いに出しているのね。

そして畳みかけるように

誰かの場所に納まることは、人間にとっても身近な行為である。 最も手っ取り早いのは、ファッションだ。 憧れのスターが身に着けてるというだけで、そのブランド品が売れるのも、ここに源泉がある。 ファッションだけでは満足できないと、その地位を分捕ることになる。

 とか、

会社や政界における地位争いから、妻の座を奪おうとする愛人の行為にまで、この天の邪鬼心理が市民権を得ている社会ではないだろうか。

 なんて繰り返しつつ話を広げ、最後は

「右にならえ」のファッションの傾向、「後釜に座る」習慣、モノマネ大会やカラオケの流行など、この会社は、天の邪鬼心理に流されやすい。 これを人は文化と呼ぶが、実は犬並みの本能からくる習性に過ぎないのではないか。

 と話を文化に結びつけて締めくくってしまう。

 異形の体現としての天の邪鬼と人間である姫の違い、姫とアウトサイダーというヒエラルキーは考えもしないらしくって。おまけに犬の本能と書いてるのに示された例はタマの行動だけだし、その行動だって作者のいうような、能力も無いのにミツの座を焦がれ狙ったものではなくて、単に一方には犬小屋を与え、もう一方は放し飼いの宿無しにしている飼い主に対する犬の意思表示にしか私にはみえないのね。
能力のある犬は自分で犬小屋を作れるというのが一般的に受け入れられている理屈だと、作者は思ってるのかな・・・・(汗) 

 この原稿を、届いたからと言って右から左へ掲載したとしたら編集者は何のために存在しているのかしらん。
 思い返せば新聞のコラムってこの手のトンデモ文がよくあって、別の新聞だけど、インタビューに来た女性記者が夕方明かりをつけて欲しいと頼んだ事をもって「夕暮れの美しい光りを愛でる自分(男性)と、その美しさにさえ気付けない記者(女性一般)」を論じてしまって、話は出来てもメモは書けない明るさはあるぞ、と当時小学生だった私にさえ突っ込まれたコラムもあった位だから、総じてレベルは低いのかも。
 原稿料も高くなくて、だから編集者も上がってきた原稿に文句は付けられないのかも知れないけど、そんなコラムならいっそ止めちゃってそのスペースを記事に回した方が良いと思う。

 載せるなら持ってきた原稿をビシバシ書き直させて、少なくとも理屈として成り立つレベルにして欲しいわ。文句を言ったら誰も原稿書いてくれないからそのまま載せちゃう、ではなくて、ビシバシやられても書いたものを載せたいと書き手に思わせるレベルを追求するのが本当ではないでしょうか。少なくともこんな駄文をお金払っている購読者に提供しちゃまずいと思うんですけど。

 なんかあまりにもひどくて、思わずこんな記事をアップしてしまいました。日曜日なのに。


追記です。
 何を血迷ったか作者の名字を間違えてしまいました。お詫びして訂正します。
また、このコラムが全文掲載されているサイトを見つけました。タイトルはすごいですけど。「鬼畜子猫殺し坂東眞砂子」wiki

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

通りすがりに拝見いたしました。
日経掲載記事を見ていないのですが、坂東さんもタイヘンだなと思います。確信犯的フルマイとして騒ぎを起こすつもりで書いたものかもしれないなとも思います。そうでなければ、坂東さんは、小説を書く力はあるものの倫理的感覚の欠けた単なるバカなのかもしれません。
ムカシ、風流夢譚という作品をモノし(ソコには天皇の首がスッテンコロコロコロコロと転がるという文章を書いたのだそうですが)た作家がおります。その作品を掲載したものかどうか編集者はダイブ迷ったそうです。執筆者は、オフザケ程度の意識だったようですが、ソレがもとで、掲載した出版社の社長宅が右翼に襲撃されお手伝いさんが殺されるという事件がありました。その作家は深沢七郎というのですが、その作品は今でも全集には掲載されておりません。
小説化が文化人で知的選良でその書くところすべて敬意に値すると考える傾向が現社会にあろうかと思います。また逆に知的選良らしくあるべきという暗黙の了解のようなものがあるようにも思います。しかし、実際にはソンナコトはないわけであって、立派な人物もいればドウシヨウモナイ奴もいるはずです。わたしは「ああコンナこと言ってる」(ゆえに、こいつはバカである、あるいは、敬意に値する)と思っていれば、そして個人としてソノ人物とのスタンスを決めればソレでイイだけのハナシだと思います。
環境大臣の誰某女史が、わざわざ今回の坂東さんの記事でコメントまで出していますが、それも作家=知的選良というアヤマッタ見方が遠因のように思います。
今回の件で「坂東はよろしくない」と反応できたかたは、良心的に自らをよろしいと思っていればいいことのように思います。

ぽんず様
編集者や出版・新聞社の評価は、ソノ発表・掲載するものでオノズト量られるものと思います。ぽんずさんの記すとおり、編集者には、(ソノ責任として)作家にビシバシ言うことも可能の筈です。
(モチロン今回の件ですが)生じうる騒ぎを十分承知して掲載しなかったのであるとすれば、日経の編集者は、ヨッポド粗悪な編集者であろうと思います。ついでに言えば、新聞社の評価も量られようかと思います。

閑居堂様

 この記事、普通に読むとやっぱり作者の主張に疑義を
呈しているように読めてしまうんですね。
そう思われない様に気をつけたつもりなのですが
読んでそう見えてしまうなんて、お恥ずかしい限りです。

 閑居堂様の仰る事は私も同感なんです。
taco-pooさんの所でもコメントしたのですが、
私も今回の日経の掲載は良かったと思ってますし、
あのコメントに付け加えれば、主張によって
掲載の有無を決めさせるのは検閲そのもの
と思ってもいるのです。

  だからこの記事はタマの行動と天の邪鬼の話、それと
ファッションやカラオケを結びつけるのは、
理論が飛躍しすぎていて、編集者には飛躍を埋める
書き方を提案して欲しかった、という主張にした
かったのですが、書いているうちにちょっと私の
手に余るような気もしたのです。

 コラムのスペースをなくせばよいなどと書いて
話を広げすぎたのが良くなかったかしら。
もう、ミイラ取りがミイラです。 

閑居堂様

 私が人違いをしてましたら申し訳ございません。

ひょっとしてここへ良くいらっしゃる閑居堂さんとは、別な方でらっしゃるのでしょうか。

文体は違うのですが、何故か似ているところもありまして、問題が問題だけに閑居堂さんが書き方を変えられたのかと思いまして。

ぽんず様
taco-pooさんのブログで、阪東さんの「子猫殺し」全文読みました。
わたしはナンの違和感もなく阪東さんのカンガエを読むことができました。
阪東さんは「確信犯」です。自分のカンガエが糾弾されうることを重重承知しています。

タヒチという環境で、猫を飼育し、猫の「生」の充実を中心に据えて猫を飼育しようとするナラバ、阪東さんという個人は、去勢手術ではなく「子猫殺し」を選択する。しかし、その痛みを共有する覚悟をもってソウする。ソモソモ愛玩動物を飼育するということ自体人のワガママなのだ・・

阪東さんの主張の中心は『愛玩動物として獣を飼うこと自体が人のわがままに根ざした行為なのだ』以降の部分だと思います。

フランスの動物愛護“法”によると「子猫殺し」は犯罪になるようですが、そのようなことも含めて、神ではない人間がカッテニ決めた決め事である、ワタシとしては飼育する人間の責任として、(殺す痛みを引き受け、法に抵触し、ナンラカの処罰を受けるにしろ、世の動物愛護家の糾弾を浴びようとも)「子猫殺し」を選んだ・・・というのが阪東さんの(腹をくくった)主張であると思います。

「殺す」というのはコワイ言葉です。しかし、私たちは動物のいのちを毎日いただいています。宮沢賢治は魚を食べることが出来なかったと聞きます。殺生という仏教の教えに従うということよりも、ホントウニかわいそうで食べられなかったと聞いています。

愛猫家の方たちにとっては特に「子猫を“殺す”」などトンデモないことに違いありませんが、似たようなことを別なことばで行なっているのも事実です。

「魚を(殺してその命を)“いただいています”。」「牛(を殺して、そ)のお肉を“いただいています”。」

「ソレは食用になる動物でしょ!今考えているのは愛玩動物のことデショ!」と言いたくなるところだと思うのですが・・・、ソコでアラタメテ、愛玩動物を飼育するとは、社会(環境)の中で、どのようなことを意味するのか、飼育するに者はドノヨウナ覚悟がいるかを、糾弾覚悟で、問いかけたのが今度の阪東さんの記事と言えなくもないような気もいたします。

わたし(閑居堂)個人としては、子猫殺しもしたくないし去勢もさせたくないので猫は飼わないという選択をするのですが・・・

*閑居堂さんが他にいるのですね。ぽんずさんのところは初めてお伺いいたしました。ココログに自分のブログを持つことを考えて、チョッとお邪魔しようと思いましたら、最新の記事の一覧に、騒がれている一件が出ておりましたので・・・
丁寧なコメント感謝もうしあげます。

閑居堂様

 ほんとに失礼いたしました。
コメント、長かったので記事にアップしてみました。
http://ahoudori.tea-nifty.com/blog/2006/08/post_d022.html

>ココログに自分のブログを持つことを考えて、

 そうなのですか。ココログはPCに詳しい人によると、機能拡張できる部分が多く、そう言う意味では使い易いのだそうです。また「マイフォト」の写真は画質が良いという意見もありました。
 私はPCに詳しくはないので宝の持ち腐れですが、ご参考まで。

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» 阪東眞砂子の「子猫殺し」 [《楽天気楽:閑居堂》Blog]
阪東眞砂子が日経新聞に掲載した「子猫殺し」について騒がれている。 わたしは、結論からいえば、阪東さんは「確信犯」で、ペットブームに恐怖の一矢を投じて、騒ぎを起こすのが目的であり、騒げば騒ぐほど喜んでいるのではあるまいかと思いもするのだが、 実際のところ、ソレほど騒ぐほどのことではないと思うのである。 その辺の理由も含めて書こうかなとも思っていたのであるが、ソノことを記した他の方のブログに比較的長いコメントを書いたら、くたびれてしまった。 ソレデ、「そのコメントを見てやろう... [続きを読む]

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