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2006年10月20日 (金)

わたしたちが孤児だったころ カズオ・イシグロ

 1930年代、英国で最も著名な探偵の一人であるクリストファー・バンクスには、ずっとつきまとって離れない未解決の事件があった。少年だった彼が住んでいた上海での、彼の両親の不可解な失踪事件である。世界が戦争へと向かっている今こそ、幼少を過ごした上海へ戻り両親の事件を解決する時が遂に来たのだと、彼は気が付く。彼がベストを尽くすより他に、近づいてくる破滅から世界を救う道はない。

 ペーパーバックに載っていた概要(前半のみです)のいい加減な訳です。これだけ読んだら最後の部分、なんじゃ、こりゃ?と思うのですが、読んだ後これを再読すると含蓄の深さが身にしみます。
 
 手に取った私が迷わず買ってしまう位平易で判りやすい文章です。でも単語は変だったんですよ。literaryやformalの使用度が異様に高くて(というか、ほぼ全部に近いものが)、時代を表すのにわざと現実離れした語を使ったのかと訝った位です。

 実際に前半は出来事も浮世離れして主人公が語る世界は夢の様です。大英博物館の閲覧室の静けさ。全てが順風満帆のキャリア。子供時代の理想化された母の姿などなど。それらを少年時代、上海の回想も織り交ぜて描く、という全編回想手記形式。その手記が記された日付事の、7部構成になっています。この日付と7回に分かれているのもしっかり仕込みですね。

 もちろん伏線はばっちりです。
全てが静かで優雅で完成されている中で、何故セァラ・ヘミングズ嬢(もう一人の孤児です)だけが、グロテスクとも言える書き方をされるのか?
上海で隣に住んでいた日本人少年アキラとの事は、美しい靄にも優雅さにも包まれず、何故あったことの様に地に足の着いた(それでいて楽しげな)書き方をされるのか? 

 怪しみながら読みすすめていたのに、主人公が上海のナイトクラブで地元社交界から歓待されるグロテスクなシーンは爆弾物でした。ここで初めて作者は主人公の物の見方、つまり主人公が手記に何を書いて、何を「書かなかった」かを読者に示すのです(私はこの時点で頭がやぶけました)。
その後の展開は、主人公の見方を意識して読まされて(あるいはその正反対です。その読めば言わんとするところが・・・)、心の痛々しさががんがん伝わってきます。

 読み終わった後、手記に書かれている出来事を読者がどう受け止めるかの選択が読者に委ねられているのも(と、思うんですが)深かったです。
人間の複雑さを(敢えてトラウマの深さとは書きません。んなもん誰にでもあるし)、一人称独白形式の強みをフルに使って書いた、かなり好きなタイプの作品でした^_^;

 それから私個人にとって、文章が簡単だからという理由で原書の文学作品には手を出すな、という孫子に伝えたい教訓を残した一冊でした(号泣)。
 
 冒頭の概要はFaber and faber 社のペーパーバックより写しました。

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