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2009年2月の8件の記事

2009年2月25日 (水)

オープンレターの中身(思いつき)

 内容は能力のある方が詰めればいいと思いますが、発案した手前ちょっと書いてみただけなので読んで頂かなくても結構です。←なんという高ビーな書き方。間違いです。他の単語の間違いです。他の単語が何かが思い浮かばなかっただけ(涙)

内容その1
 村上氏に受賞スピーチの転載を許可してもらう。

本当はアーサー・ミラーのものも許可してもらいたいのですが、そのやり方が判りません。ソンタグとミラーと村上と3セットで批判スピーチが行われた事をアピール出来れば、スピーチの内容はどうあれ(あらゆる方面の方々にすみません)イスラエルに対する反対意見を世間に印象づける事が出来る筈です。
国内ではプリントアウトをしたものを本屋の村上コーナーにフリーペーパーとして置いてもいいことにしてもらう。できれば氏にそれを本屋さんに要望してもらうとか。
内容について様々な議論がある事は判っています。でもそこまで考えて読む人は少ないのも事実です。本屋へ入って受賞スピーチの紙がパレスチナに関心の薄い人たちの視界の片隅に入るだけでもやらないよりは良いと思います。

内容その2
 中東とイスラエルの問題に対する圧倒的な報道の不平等に対して、「表現の自由を守られているからこそ活動できる発信者」としてのフェア会員や村上氏に異議を呈してもらう様頼んでみる。


 イスラエル大使館のサイトからリンクされている受賞動画は、信じられないほど都合良く編集されています。イスラエル国内では政府に都合の良い情報が圧倒的に多い可能性もあります。もしそうでなかったらイスラエルの選挙結果も違っていたかもしれません。
イスラエルだけではありません。米国政府はイスラエルへの毎年30億~50億ドルの資金提供と武器の無償供与をしていますが、この事が米国民に正しく理解されているか甚だ疑問です。
米国は今財政赤字の下、金融危機に対処しなければならない状態で日本に米国債の買い増しを要求しています。これだけの金額があればかなりの事ができるはずです。
麻生首相がオバマ大統領との会談で何を手みやげにしたのか考えると、米国のというより日本の大問題とも言えます。そして「遠いパレスチナより国内問題」といって支援を渋る人々にも有効だと思います。何より世界は思わぬところで繋がっている事が実感してもらえる要求でもあると思います。

 これしか思い付かないんです。なんてこと(汗)

村上春樹の利用法

 村上春樹氏がエルサレム国際ブックフェアのオープニングで行ったエルサレム賞受賞スピーチについては、ネットではスピーチの意味、作家が作家として政治を語る事の限界など様々な意見が出、大変勉強になりました。でも本当は私はパレスチナの人々からは無理でもせめてアラブの反応を知りたいと思いました。アラブ世界と言っても一枚岩では勿論無いわけですが。

 と思っていたところこれが出ました。

2009年02月23日付アル・ハヤート紙(イギリス)HP文化面【アブドゥ・ワージン筆】(リンク

アル・ハヤート紙とはesnnさんのブックマークコメント(リンク)によると、「Wikipediaによるとロンドンに本部を置くサウジ系のリベラルな高級日刊紙 」だそうです。

ノーベル賞と関係あるかは疑問ですし(1)、サウジ系の新聞に色々言われたくないというパレスチナ人の声も聞こえて来そうですが、私にとってはこの部分が胸に迫りました。


 イスラエルは、この「汚れた」賞を下心をもって適切な時期に与えてみせた。ガザ虐殺の直後である。日本人であれ、世界的文学者を歓待するような文明国がイスラエルなのだと世界に示すことが目的であった。


 イスラエル国際ブックフェアは隔年開催ですが開催時期は年により異なる様で、ソンタグの受賞式は01年5月17日、アーサー・ミラーは03年7月17日でした。イスラエルの主張どおり攻撃されての自衛ならば、去年のうちに延期されてもおかしくないのに予定通りに開催された事で、最初から攻撃とセットで予定を組んでいたと思う気持ちも判ります。
更にエルサレムにわざわざ出かけての村上氏のスピーチは、イスラエル国民に向けられたものでは厳密にはありません。会場にいた大多数はブックフェアに世界中から招かれている著名な編集者、批評家などのブックフェア会員と、やはり招かれていた作家達です(2)。

 村上氏はエルサレムへ出かけないのがパレスチナ側にとっては一番望ましい事だったのだろうとは思いますが、村上氏が出席を拒否したなるとフェアにいた文学界の錚々たるメンバー全員に、彼らの欺瞞を面と向かって突きつけてしまう事になります。悪いことではありませんが他人から自分の欺瞞を指摘されて良い感情を抱けるかが人それぞれであれば、それをしなかったからと言ってこれからも文学で生きていく村上氏を非難だけすれば済むというものでもないでしょう。
勿論非難する事は間違ってはいないとは思いますが、私としては非難は出来かねます。

 しかし一番望ましい結果ではなかったにせよ、今回の氏の受賞とスピーチは日本国内では何度も報道され、世界のメディアからはオープンレターや反対運動と共に取り上げられたのですから、人々の関心を引いたという事で利用できる余地がまだ十分残っていると思います。そしてガザの封鎖解除は利用できるものを選ぶ程の余裕は私はないと思います。

 それで色々考えてみました。イスラエルにせめてガザの封鎖解除をさせる為の機運を盛り上げる為の村上春樹の利用法を。

 村上春樹氏と受賞会場にいたブックフェア会員達に向かってパレスチナ支援(少なくともガザの封鎖解除に対して)への協力を願うオープンレターを出す、というのはどうでしょうか。

 「卵の側に立つ」と言った人物(作家にこだわる必要は既になし、言った張本人です。更に言ったその日は嘘をつかない日と本人が言ってます)と、それに拍手で応えた人々ですからよもや嫌とは言えますまい?


 書簡を出して「有言実行」をして頂くのです。あの惨憺たるガザ攻撃直後にエルサレムに集った方々へ要求をする事に、なんら躊躇を感じない私がいます。
勿論世間の共感は必須なので、文面はパレスチナフォーラムのオープンレターの様な丁重なものが望ましいと思います。躊躇は感じませんが封鎖が解除されるなら、それを隠すくらい造作もありません。

 と、色々考えたので、皮肉でもなんでもなくパレスチナに用のある(リンク)mojimojiさんのご意見を伺いたく、TBかけさせて頂きます。こんな提案は駄目でしょうか?もし良かったら内容の煮詰め等、お願いして良いでしょうか?

 とTBしたのですが、変に暴走したらどうしようと心配になり(そんな影響力はこの記事にあるわけがないのですが、万が一が心配な小心者故)、mojimojiさんに頼んでTBを消してもらいました。ものすごいはた迷惑な私(大汗)。でもこの出来事をパレスチナへの注目に繋げたい気持ちはまだあります。パレスチナ問題の根というか、引き起こした人間の考え方、態度というものが、決して特殊なものではない、私自身にも十分当てはまるものだと思えるからです。


 関連記事

 「村上春樹のエルサレム賞受賞 アーサー・ミラーの場合を見る」 (リンク
「エルサレム国際ブックフェア」(リンク

 1
1991年 エルサレム賞を受賞したグレアム・グリーンの死に際し当時のエルサレム市長TEDDY KOLLEK氏が、ニューヨークタイムズ紙に寄せた追悼文はこの一文で結ばれています(リンク)。

 With all the regret that he was never a Nobel laureate, I can only say that in the world to come, it is surely the Jerusalem Prize that carries more weight.

 まことに遺憾な事に彼はノーベル賞受賞者になれませんでした。ただ私に言える事は、来るべき未来には、「エルサレム賞」の方がより重要になる事は確かであるという事です。

 振り返ってみたら、ノーベル賞受賞者よりエルサレム賞受賞者の方が重要だったという状態を狙っているのならば、エルサレム賞受賞者にはノーベル賞は逃してもらいたいと思うのでは?18年間あれば状況は変わりますが。


2 

 ミラーの録画受賞スピーチでエルサレム市長が激怒したというオブザーバー紙?(今見たらガーディアンになってる)の記事中(リンク)で、ハアレツ紙の文学編集者Michael Handelzalts氏が「聴衆の殆どは外国から来ていてミラーの話すヘブライ語が判らなかったのだから」と言っていたのを昨日思い出しました。

2009年2月22日 (日)

迫り来る岩石化と戦ふ(普通ネタ)

 ありふれた日常の話です。そしてひねりを加える気力もないのでたらたらと書いてしまいます。

 今思えば十日ほど前から、朝起きるとチクチクひりひりしたのでした。乾燥しているんだなと思ってました。
鏡を見ると瞼がはれぼったいんですね。疲れて浮腫んでいるんだわとそう考えてました。


 でも腫れも引かずひりひりチクチクも日増しに激しさを増し続けたまま数日経ったとある夜、あまりの痛みによくよく顔を触ってみれば、ぶつぶつざらざらの鮫肌状態。

 これは乾燥ではなくアトピー性皮膚炎ですね。

 そう思って新たな視点で鏡をよくよく見れば、顔が岩石になっているではありませんか。というか目の上に岩がくっついてお岩さん(シャレではありません)になっている。

 この顔を変だと誰も思わなかったのか周りに訊いてみました。「そういえばそうだったかも」だって。顔が岩になってるんだから気付いてよ(涙)


 初期治療に出遅れた為かなりなお岩さん状態になり、あまりの痛みとかゆみで吐き気まで催した後、ようやくステロイドの塗り薬が効き始めたのでありました。普通に呼吸ができる様になるまで四日がかりでした(ぜいぜい)。


 P.S..

「NAKUBA」行ってきました。行ってオリーブ石鹸買いました。でも今は痛くて石鹸は使えないのでオリーブオイルを買えば良かったと後悔してます。何しに行ったんだか(大汗)

「ナクバ完全版」試写会 in 松本

「非戦・反戦・平和  関連情報・ながの 2008」サイト(リンク
でこれを見つけました。ご連絡まで。
当日アップで申し訳ないです(汗)

 2月22日 午後1時30分


第2回「ナクバ完全版」試写会
広河隆一アーカイブス・パレスチナ1948NAKBA
 第1章1948年に何が起こったか「ユダヤ人が記憶した歴史」(35分)
                     「歴史の真実を求めて」(118分)
13:30~16:15
長野県松本勤労者福祉センター大会議室
入場無料

主催:「1コマ」サポーター松本 協力:松本映画研究会

 映画「NAKBA」については新聞等の報道でご存じの方も多いと思います。
公式サイトもありました。(リンク
↑あるなんて、知らなかったワタシ(汗)

 会場の「勤労者福祉センター」の地図(リンク

 松本以外の開催情報は「アル・ガド」にありました(リンク


 このサイトには他にも色々載っているのですが
こんなのも。

 3月27日

ガザを考えるPart2-「占領」と「人権」と女たちの闘い
ドキュメンタリー映画「Women in Struggle」
お話・岡真理(京都大学大学院准教授・現代アラブ文学)
18:45~
松本市中央公民館(Mウィング)6Fホール
参加協力費:800円

主催:パレスチナの虹・シャマーレアフガニスタン
問合せ:0263-27-4020(村井) 

 どちらも「第二回」
地道に活動している人が沢山いるんですね。
私ですか?
サイトを読んだだけです。発見したのも今朝。
これだって良いのよ、多分・・・(大汗)
ただし行けない可能性大(自爆) 

 肩肘張ったガチガチの運動は実は苦手なゆるゆる人間なので、
これが精一杯かも。

2009年2月18日 (水)

エルサレム国際ブックフェア

 村上春樹のエルサレム賞受賞について記事を書いて以来(リンク)、ブックフェアについてももっと詳しく調べてみなければと思っていたところ、こんな記事に背中を押されました。

ynet.com 'Murakami mustn't accept Jerusalem Prize' (リンク

 ここではP-Navi infoのビーさんが パレスチナフォーラムが村上氏に宛てたオープンレター(リンク)がかなり長く引用され、またパレスチナフォーラムの主張も載せられた後、ブックフェアのベテラン製作責任者Zeev Birger氏にこの様に述べさせています。(済みません、土下座して謝ります。何を血迷ったのかパレスチナフォーラムとパレスチナ情報センターとを昨夜取り違えてしまいました。英語で間違えるならまだしも、日本語で考えていて間違えるとは。本当に申し訳ありませんでした。)

 "the people behind the letter are apparently unfamiliar with the facts and are unaware of literature's role in bringing people closer together. "Had they bothered to study the facts they would have learned that the fair has been promoting serious and non-political cultural dialogue for the past 40 years,"

 この手紙の背後にいる人々は、どうも事実に疎く、そして人々をよって結ばせる文学の役割に気が付いていない様だ。
もし彼らが事実を学ぶ労を厭わないでいてさえくれたら、このフェアは真摯で、非政治的、文化的対話を過去40年にわたって促進してきた事が判るだろうに。


 なるほど。調べれば判るのか。と言うわけで、調べさせて頂きました。
 
まずはハアレツ紙記事から

 24回エルサレム国際ブックフェアは40カ国から出版業者、エージェント、編集者、作家など1200人を集めて行われるとの事。「文学カフェ」という(恒例らしい)イスラエルの作家と外国から招かれた作家が語り合うプログラムもあるそうです。

そして検索で見つけたのが次の二つでした。
天気が良かったのでブックフェアに夫と出かけてみましたという一般参加者からの報告もあったのですが、ブックフェアそのものに招待された参加者の記事が良かろうと絞ったところ、私に見つけられたのは次の二つでした。なのでこの組み合わせは意図的なものではありません。

 まず今年のブックフェアのリアルレポート(リンク

 PWという雑誌??のウェブ版?(Reed Bisinessというアメリカの出版会社らしいです)が、数人のブックフェア会員(つまり招待された編集者など。このフェアにはフェローシップ制度がある)に頼んだ感想や経験談が載せられています。訳すのが面倒だったので要旨だけかいつまんで(汗)
 
 2/16日付けのレポート。
まずフェアの代表製作責任者Yoel Makov氏の暖かい出迎えを褒め、イスラエルとパレスチナの複雑な関係や、最近の選挙についてのセンシティブな話題はいつでも供されたとの一文の後、ディナーに遠足に水泳などなど楽しいプログラムについての感想と、もてなし側をも含めた色々な人々との会話の充実が述べられています。

 2/13日付でレポート
このブックフェアの前に参加したParaty(ブラジル)のフェアをひいて、どちらのフェアも楽しそうな雰囲気に溢れている事や、ゲスト(作家)の選択に注意を払っている事(Paratyではトニ・モリスンが招待された事。エルサレムでは勿論村上春樹)
Paratyはかつて植民地貿易の地であり、エルサレムは聖書の地である事。そして今の21世紀の資本主義が陰鬱なスパイラルに出版界を引きずり込んでいる時、このような上辺だけの場所で出版人が会合をする目的は作家を見つけたり取引権やe-readersやそれよりはやや軽い会話をする為と書かれています。

 さて、次(実はこちらの方を先に見つけてました)

 The Guardian, Saturday 26 February 2005 のAida Edemariam 氏の記事(リンク)の後半部分です。

 05年のブックフェアでイスラエルとパレスチナの作家達をイスラエル占領下のヨルダン、西岸地区の中間地帯(No man's land)へ一緒に連れて来るという試みが行われたが、パレスチナ側の作家は殆ど現れず、参加した一人(ここまでは要旨です)、

Sayed Kashua said that in addition to all the daily challenges, there are few presses, little publicity. Hence they find themselves submitting to a grand irony: to ensure being heard, they must write in Hebrew.

 Sayed Kashua氏が言うには、日常の難題のその上に、あまり報道陣がおらず、殆ど世間に知られなかった。したがって、彼らは大いなる皮肉-確実に聴いてもらう為にはヘブライ語で書かなければならない-に屈した事を知った。
記事終わり


 
 まずリアルレポートですが、最初のレポートは多分ブックフェアのこぼれ話的読み物を要求されての記事でしょう。楽しそうな状況が伝わってきます。そして二番目は、ブックフェアの眼目について。どちらも人と会うというブックフェアの眼目を落とさずきちんと書いていますし、良いコントラストといえるでしょう。普通のブックフェアならば。
しかしイスラエルはほんの半月前の停戦までハマスのロケット攻撃に曝され、自衛の為のやむを得ない反撃をしていた(イスラエルの主張です)はずなのです。その地に足を踏み入れて、自分の命の危険をまるで感じていないかの様な記事になっています。ガザは1000人以上の死者が出ています。生死の境が近くで繰り広げられていたにも関わらず、それらが全く語られないだけならまだしも、語らない理由さえ語られないことで(普通なら触れるでしょ?やっと平穏を取り戻したとかなんとか)、このレポート自体に不思議な、ある種の非現実的な雰囲気を含ませたように思います。これがフェアの雰囲気なのか、レポーターの状態なのか私には判りかねますが。

 次のAida Edemariam 氏の記事ですが、イスラエルとパレスチナの作家を一緒に連れてくる試みというのがBirger氏の言うような対話の促進を目的としたものであるならば、その場へ報道陣を連れてくる責任はフェア側にあるでしょう。パレスチナ人の作家が勝手に記者会見を開いた訳ではないので、ヘブライ語で語らなかったという方向へ持っていくのは皮肉にしても無理があるばかりでなく、この皮肉のため普通なら落ち度とも言えるフェア側の不手際をひどく見えにくくしてしまっています。
デイリーな小記事を連ねたものなので、記事と言うよりは日記に近いかもしれませんし、売れない作家に接する機会も多い仕事柄、聞き手がいなかったという作家の苦情は慣れっこだった事もありましょう。しかしその傍らでは「文学カフェ」があり、イスラエルと外国の作家(05年は判りませんが07年はフランスから招かれました)との対話が行われているのです。この方はカフェに招待された外国人作家にヘブライ語が出来るかお訊きになられたのでしょうか?

 
 リアルレポートも、05年のフェアの記事も、普通だったら目の前にぶら下がっているような出来事、避けるにしてももう少し配慮をするような大きな出来事(戦争と交流とは名ばかりの催し)への素通りが共通しているようです。これはこのフェアの伝統なのでしょうか。もう一つ皮肉を言えば「人々を結ぶ文学の役割」でBirger氏やイスラエルが過去40年にわたって結ぼうとしてきたのは、誰でもない、自分たちだけのお友達関係だったのではないかとさえ思えます。 
どう考えても国家戦略としてのブックフェアにしか見えません。フェアの主催はイスラエル外務省ですし。

 ここで「ねこねこブログ」のねこねこさんがわざわざアップして下さった、筒井康隆の「文学部唯野教授の女性問答」の一部を引用させて頂きます(リンク)。

政治的、ということでは、だから筒井先生だって例外じゃないんだよね。政治的には無党派で、時には無政府主義者だなんて言われたりもしてるけど、(政治体制側の出した)金沢市の出してる泉鏡花文学賞貰ってるんだしさ。もう、どんな批評家だって、作家だって、否応なしに政治的にならざるを得ないんです。でも別にそれがいけないってわけじゃないの。いちばんいけないのはむしろ、文学理論の中には政治に左右されない純粋なものがあり得るって考え方です。何度も言うけど、無自覚に政治を無視したりしていると共犯関係がもっと密接になっちまうんだよね。ぼくがマルクス主義批評を評価するのは、あなたの言う「逆説的に」とは違うかもしれないけど、そうした立場(文学の逃れられない政治性を自覚している立場)からです。

 Birger氏もリアルレポートを書いたフェアの会員もEdemariam氏 もそれぞれの立場、考えからそれぞれの発言をしたと思います。それがいけないわけではない。
*私はどんな意見であってもその存在自体を否定する事は絶対にいけないと考えてます*(*追記挿入です)
でもそれが文学である事を理由に、あたかも非政治的で中立であるかの様に見なされ扱われることはどう考えてもまずいだろうというのが、今回このブックフェアを調べた私の感想です。やっぱ声上げといて良かったわ。

 そしてそのブックフェアに受賞しに村上春樹氏は出かけたのでありました。彼は出版仲良しさん達の真ん中で踊ったのか?踊らされたのか?

 踊るつもりだったのなら度胸ありすぎ。というかすごいかも(汗)

追記
 PW(publishers weeklyの略らしい)サイトで楽しそうな遠足レポを書いた方はドイツから来たという立場上、ああいう書き方しか出来なかったのだろうと思っていました。私でもああなるだろうと。
でもさっきふと思ったんですが、あれだけ楽しげに遠足だの景色だの(死海が見渡せるなら他もみえるのでは?)ワインだのごちそうだのおもてなしだのと書いてあると、レポを装った告発レジスタンス記事?などとも読めそうな気がしてきました。皆様結構したたかかも。出版人ってそうなのかもね。

 それから村上春樹の受賞スピーチの一節(注:会場にはこの会員達がいたわけです)

"You are the biggest reason why I am here."

やっぱり意味深


追記その2

 ハアレツ紙が掲載した村上春樹の受賞スピーチ(リンク)の全訳が出ています。

47トピックス【日本語全訳】村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ(リンク


 それから受賞スピーチの感想をブログに書いた方々に声を大にして言いたいのですが、
会場はクローズなものであり、招待客の多くはブックフェアに来た出版人と思われます。

つまり受賞会場にいた人=イスラエルの国民ではありません。

 あの受賞スピーチを聴いたイスラエル人はとても少なかった可能性があるのです。

 

関連記事

 「村上春樹のエルサレム賞受賞 アーサー・ミラーの場合を見る」 (リンク

 「村上春樹の利用法」(リンク

2009年2月14日 (土)

けふの占い-世代によって意識は変わる


 さっき何気なくテレビを見ていると、今日の私の運勢は

 「旅立つには最良の日」

 なんだとか。

 
 なんというのか、脳溢血とか心筋梗塞でも起こすのかなと・・・・

 晴れ晴れとは・・・しない(号泣)

2009年2月 6日 (金)

その手に気が付かなかった私はお○鹿

 活版印刷も火薬も、スペースシャトルでさえも作った人類が、どうしてこの方法に今まで気が付かなかったのでございましょう。

「ラフマニノフの手はでかかった」
     Igudesman&Joo(Jew=Ju=주?)←Jooはジョークかと思ったら違いました(汗)

 ラフマニノフ 「幻想的小品集 第2曲 前奏曲 嬰ハ短調(モスクワの鐘)」

 涙が出るほど笑いました。この曲を聴いて笑うことがあるとは・・・(爆)

 そして不明瞭であるにも関わらず、「黒猫カフェ」(リンク)の黒猫3匹*さんが翻訳して下さいました。

「ラフマニノフはとても手が大きかった!」
(音声不明)
「私は韓国人だからスモールハンズ!」

 と話しているのだそうです。Joo氏、観客が韓国語判らないと思って嘘しゃべってない?(笑) 


 

 mixiコミュで見つけてくれた方に大感謝しつつ、カテゴリー音楽にとまどいを感じる私。良いのでしょうか、これでフキフキ "A^^;


  追記

 大変失礼いたしました。
JooさんはRichard Hyung-ki Jooさんと言って、バイオリンのイグデスマンさんと同じくユーディ・メニューイン音楽学校で学び、ストラヴィンスキー国際ピアノコンクールでグランプリと言う経歴の、世界的なピアニスト・作曲家でした。コメディ『も』得意なピアニストというところでしょうか。
ラフマニノフをあの速さで弾いていたので、タダモノではないとは思いましたが、あらゆる意味でタダモノじゃないわ、この人(汗)

2009年2月 1日 (日)

村上春樹のエルサレム賞受賞 アーサー・ミラーの場合を見る

 長い前置きです。
 村上春樹氏のエルサレム賞受賞について、私はmojimojiさんの記事(リンク)や更にtoledさん他ののP-Navi info記事(リンク)の英訳(とスペイン語訳とフランス語訳)記事(リンク)にも賛同したのですが、それは何が何でも止めて欲しいと村上氏に要求したいというよりは、出来れば出ないでくれたら胸をなで下ろすだろうという私の考えの表明の意味しかないつもりでした。mojimojiさんの記事もその様に読めましたし。つまりある考えの表明の様な。

ある意味チャンスですよ、村上さん。事と次第によっては、こちらのリストに載ることになるのでしょう。 >「注意深くお金を使うために」  この話、是非、あちこちで話題にしましょう。どうにかして村上春樹氏の耳に入らないかと思うわけですが、どうしたらいいんだろ?

 確かに最後に村上氏の耳に入らないかと書かれてはいますが、話題にして目に付かせる緩さに安心できました。この記事に賛同した人の中には同じ様に考えた人も多いのではと思います。ただ話の流れからそうは思われてなさそうなのをみて、私の考えについてだけは、自分が説明不足だったと今は反省しています(mojimojiさんやtoldさんには当然それぞれの考えがおありだと思います)。
繰り返しになりますが、私は村上氏に自分の考え通りに行動してもらうことを要求しているのではなく、彼の今回の受賞に対してパレスチナの現在を考えると決して手放しで喜べない、という意見表明をしたいだけなのです。そう言う考えもあるのだと。

 それでは何故手放しで喜べないのかと言えば、これはy_arimさんの記事
「個別論と一般論、具体論と抽象論のすれ違い、問題のレイヤーの違いについて」(リンク

「Aをフルボッコにして大勢から非難を浴びている最中のBが人望厚いCを褒め、モノをくれるという。Aは息も絶え絶えだ。果たしてCはどう振舞うのか、多くのひとが注目している」
 

 これに集約できると思います。特に今はイスラエルのガザ攻撃がちょっと停止したばかりです。この時期に「エルサレム賞」とパレスチナ問題を全く離して考えることは難しいと思います。

 そしてこの賞について調べてみたところ、この賞に付随した部分で、今のパレスチナのおかれている状況と大変似た部分がある事が判りました(やっと本題です)。

 05年の受賞者は劇作家のアーサー・ミラーです。彼は先約があるとして授賞式には出席せず、受賞スピーチを録画して送ったのですが、これは当然予測された事ではあったのですが、その内容はイスラエルのパレスチナ占領を批判するものであり、たまたまウルトラ保守だったエルサレム市長はそれに対し癇癪(Fit of temper)を起こした(1)というオマケが付きました(2)。

 これだけならば良くある事ですが、問題はその出来事について言及している米紙の記事がどう考えても少ない様に思える事なのです。

 ニューヨークタイムズは、「エルサレム賞」についてはほぼ毎回受賞者決定時に報道しているにも関わらず、またグレアムグリーンの受賞については、授賞式でグリーンがそれに相応しいかという抗議があったと話が読書欄とはいえ出ていますが(3)、ミラーの受賞インタビューに関する記事は見つかりませんでした。またミラーの死に6ページに及ぶ追悼文を掲載したにも関わらず(4)、その中でもこの事には触れていません。
ワシントンポストでも記事はありませんでした(あったらごめんなさい)。
アーサー・ミラーに関しての検索もしてみましたが、彼の経歴には「2003年 『エルサレム賞』受賞」とだけあるのみです。enウィキペディアにも書かれていませんでした。
 先に挙げた記事はそれぞれ、オブザーバー紙(英)、ガーディアン紙(英)、左翼の雄ともいえる雑誌ネイション(米)のものです。

 これは無視できる些事なのでしょうか。

 ブックマークでもコメントしましたが、E.W.サイードは「イスラエルと世界(主に米英)はあたかもパレスチナ人がいなかった様にふるまい、そのナラティブ(物語)を奪いとっている」という趣旨の発言をあちこちでしていたのですが、ミラーの行動に対する反応もこれに近いのではないでしょうか。

 「エルサレム賞」が悪い賞だとは思えません(調べて余計にそう思う)。しかし賞の趣旨とは裏腹に、それが利用されている向きも否定できないと思います。

「どうぞ授賞式には何でもなさって下さい。ただし伝えるのは私の意向で」

 ソンタグは何を言うかは明白でしたし、受け入れを表明した方がイメージアップに繋がるでしょう。では何故、やはり苦言を呈しそうだったミラーは駄目だったのか?
穿ち過ぎかもしれませんが、この時の市長の対応を衆目に晒したくなかったのではないでしょうか。ミラーのスピーチはこの賞の中に忍び込んだある種の欺瞞をはぎ取ったのかもしれませんが、それが知られる事がないならば、彼の行為に何の意味がありましょう。

 この姿は私には一般人でも家庭人でもなくテロリストとしての存在しか望まれないパレスチナ人の姿と重なります。少し前のNYTで、読者がガザ在住のパレスチナ人レポーターに質問する記事中に「(一般人の被害が出ていると報道されている事に対して)どうやって一般人とテロリストを区別出来るのですか?区別しているのですか?」という質問がありました。テロリスト以外のパレスチナ人は想定の範囲外かの様です。
何故そうなのか。パレスチナ人に対してテロ以外の部分について殆ど報道されていないからです。パレスチナ問題は今までずっと、この報道の不均衡(特に米国内が酷いですが)という問題が付いて回りました。そしてアーサー・ミラーの受賞スピーチも、それと似た不均衡が見られます。作家のナラティブを黙殺し、都合の良い受賞のみを伝える不均衡が。

 米国に住みながらも、しようと思えばネットなどの情報や本、雑誌などに普通の米国民よりは接する機会の多いであろう村上氏が、他ならぬナラティブを紡ぐ作家としてこの賞をどう踊るのか、または踊らされるのか、踊るつもりが踊らされたようにしか見えなくなるのか、ご本人にとっては難しい判断だと思います。
勿論その判断を私は尊重しますが、それでも私はこの受賞を喜ぶ気になれませんし、喜ぶ記事に賛同することもできません。何をやってもナラティブを都合良く改造してしまう文学賞に対してなぞ。

2/3 追記します
 書いた後、ちょっと無理筋だったと反省していたのですが、今読み返すと、やはり何をやっても都合良くしか(少なくとも米国内に於いて)報道しない事が判っている賞の存在は、全ての作家にとって問題があるのでは?と思ってしまいます。どの記事で読んだのか忘れてしまったのですが、授賞式は招待客のみのクローズなものだそうですし。
授賞式に出席して、ただ受賞して帰ってくるのが村上春樹らしいと仰る方もいらっしゃるのですが、この賞に関してはそれをすると「作家」としてどうよ?と。まあ、アーサー・ミラーの件だけでそう決めつけるのは短絡ですが。
追記終わり。

2/6 再び追記

 「作家としてどうよ?」部分が上手く説明できずにいたのですが、
きちんと説明して下さったブログが存在していました。

 「地を這う難破船」(リンク

 「エルサレムと表現」(リンク

最後に
 05年受賞者のAntónio Lobo Antunes(ポルトガル)と07年のLeszek Kolakowski(ポーランド)については調べ切れませんでした。すみません。


 関連記事

「エルサレム国際ブックフェア」(リンク

↓ちょっとだけ追記しました(太字部分)
 1
 アーサー・ミラーについてのガーディアン紙の記事(リンク


2
 「エルサレム賞」授賞式の様子 オブザーバー紙(リンク
市長は受賞スピーチの返事で「(ミラーの)絶頂期は50年前だった」などと言ったそうです。
そしてミラーはビデオスピーチだったので、市長とスピーチライターは事前にこれを見ている筈とか
(そうしないとお返事スピーチが書けないので)。

 受賞スピーチの全文  雑誌ネ-ション(リンク

 ついでにネーションのソンタグの記事(リンク
「行くな!受けるな!と散々言われた」というソンタグのエルサレムポストでのインタビューを引用して、
「はい、私たちがそう言いました」と書いてあります。

ソンタグについてはニューヨークタイムズでは受賞を伝える短文とこの記事だけがヒットした(多分。漏れてたら済みません)(リンク
その「この記事」には、批判はするつもりというソンタグの言葉と上に挙げた受賞拒否の圧力がすごくて大変だったというエルサレムポストのインタビューだけが載っていたのでした。

3
 ニューヨークタイムズの記事(リンク
オブザーバー紙の編集委員がグリーンの作品にある「アンチ・セミティズム」を非難した、という記事です。

nofrillsさんよりブックマークコメント(リンク)でご指摘を頂きました。
その通りです。オブライエン氏は「グリーンの作品が社会の中での個人の自由についてだったなんて、自力では思いもしなかったろう」と言った???のであって、「アンチ・セミティズム」は受賞後に議論が起こったと書かれておりました。お詫びして訂正させて頂きます。

お詫びついでに、TB頂いたnofrillsさんのブログ「tnfuk [today's news from uk+]」の「コナー・クルーズ・オブライエンについてのメモ」(リンク)にオブライエン氏の発言とその後の議論としての文学教授の投稿文のきちんとした訳が載せられていますので、そちらをご覧頂くようお願い致します
訳して下さって本当にありがとうございます。助かりました。
そして更に、nofrillsさんが調べて下さって判ったのですが、このコナー・クルーズ・オブライエン氏、
サイードの「ペンと剣」に登場しています(ちくま学芸文庫59p)
その部分の抜粋もnofrillsさんの記事に載せられていますので、是非どうぞ。

4
 ニューヨークタイムズの追悼文(リンク

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