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2009年2月18日 (水)

エルサレム国際ブックフェア

 村上春樹のエルサレム賞受賞について記事を書いて以来(リンク)、ブックフェアについてももっと詳しく調べてみなければと思っていたところ、こんな記事に背中を押されました。

ynet.com 'Murakami mustn't accept Jerusalem Prize' (リンク

 ここではP-Navi infoのビーさんが パレスチナフォーラムが村上氏に宛てたオープンレター(リンク)がかなり長く引用され、またパレスチナフォーラムの主張も載せられた後、ブックフェアのベテラン製作責任者Zeev Birger氏にこの様に述べさせています。(済みません、土下座して謝ります。何を血迷ったのかパレスチナフォーラムとパレスチナ情報センターとを昨夜取り違えてしまいました。英語で間違えるならまだしも、日本語で考えていて間違えるとは。本当に申し訳ありませんでした。)

 "the people behind the letter are apparently unfamiliar with the facts and are unaware of literature's role in bringing people closer together. "Had they bothered to study the facts they would have learned that the fair has been promoting serious and non-political cultural dialogue for the past 40 years,"

 この手紙の背後にいる人々は、どうも事実に疎く、そして人々をよって結ばせる文学の役割に気が付いていない様だ。
もし彼らが事実を学ぶ労を厭わないでいてさえくれたら、このフェアは真摯で、非政治的、文化的対話を過去40年にわたって促進してきた事が判るだろうに。


 なるほど。調べれば判るのか。と言うわけで、調べさせて頂きました。
 
まずはハアレツ紙記事から

 24回エルサレム国際ブックフェアは40カ国から出版業者、エージェント、編集者、作家など1200人を集めて行われるとの事。「文学カフェ」という(恒例らしい)イスラエルの作家と外国から招かれた作家が語り合うプログラムもあるそうです。

そして検索で見つけたのが次の二つでした。
天気が良かったのでブックフェアに夫と出かけてみましたという一般参加者からの報告もあったのですが、ブックフェアそのものに招待された参加者の記事が良かろうと絞ったところ、私に見つけられたのは次の二つでした。なのでこの組み合わせは意図的なものではありません。

 まず今年のブックフェアのリアルレポート(リンク

 PWという雑誌??のウェブ版?(Reed Bisinessというアメリカの出版会社らしいです)が、数人のブックフェア会員(つまり招待された編集者など。このフェアにはフェローシップ制度がある)に頼んだ感想や経験談が載せられています。訳すのが面倒だったので要旨だけかいつまんで(汗)
 
 2/16日付けのレポート。
まずフェアの代表製作責任者Yoel Makov氏の暖かい出迎えを褒め、イスラエルとパレスチナの複雑な関係や、最近の選挙についてのセンシティブな話題はいつでも供されたとの一文の後、ディナーに遠足に水泳などなど楽しいプログラムについての感想と、もてなし側をも含めた色々な人々との会話の充実が述べられています。

 2/13日付でレポート
このブックフェアの前に参加したParaty(ブラジル)のフェアをひいて、どちらのフェアも楽しそうな雰囲気に溢れている事や、ゲスト(作家)の選択に注意を払っている事(Paratyではトニ・モリスンが招待された事。エルサレムでは勿論村上春樹)
Paratyはかつて植民地貿易の地であり、エルサレムは聖書の地である事。そして今の21世紀の資本主義が陰鬱なスパイラルに出版界を引きずり込んでいる時、このような上辺だけの場所で出版人が会合をする目的は作家を見つけたり取引権やe-readersやそれよりはやや軽い会話をする為と書かれています。

 さて、次(実はこちらの方を先に見つけてました)

 The Guardian, Saturday 26 February 2005 のAida Edemariam 氏の記事(リンク)の後半部分です。

 05年のブックフェアでイスラエルとパレスチナの作家達をイスラエル占領下のヨルダン、西岸地区の中間地帯(No man's land)へ一緒に連れて来るという試みが行われたが、パレスチナ側の作家は殆ど現れず、参加した一人(ここまでは要旨です)、

Sayed Kashua said that in addition to all the daily challenges, there are few presses, little publicity. Hence they find themselves submitting to a grand irony: to ensure being heard, they must write in Hebrew.

 Sayed Kashua氏が言うには、日常の難題のその上に、あまり報道陣がおらず、殆ど世間に知られなかった。したがって、彼らは大いなる皮肉-確実に聴いてもらう為にはヘブライ語で書かなければならない-に屈した事を知った。
記事終わり


 
 まずリアルレポートですが、最初のレポートは多分ブックフェアのこぼれ話的読み物を要求されての記事でしょう。楽しそうな状況が伝わってきます。そして二番目は、ブックフェアの眼目について。どちらも人と会うというブックフェアの眼目を落とさずきちんと書いていますし、良いコントラストといえるでしょう。普通のブックフェアならば。
しかしイスラエルはほんの半月前の停戦までハマスのロケット攻撃に曝され、自衛の為のやむを得ない反撃をしていた(イスラエルの主張です)はずなのです。その地に足を踏み入れて、自分の命の危険をまるで感じていないかの様な記事になっています。ガザは1000人以上の死者が出ています。生死の境が近くで繰り広げられていたにも関わらず、それらが全く語られないだけならまだしも、語らない理由さえ語られないことで(普通なら触れるでしょ?やっと平穏を取り戻したとかなんとか)、このレポート自体に不思議な、ある種の非現実的な雰囲気を含ませたように思います。これがフェアの雰囲気なのか、レポーターの状態なのか私には判りかねますが。

 次のAida Edemariam 氏の記事ですが、イスラエルとパレスチナの作家を一緒に連れてくる試みというのがBirger氏の言うような対話の促進を目的としたものであるならば、その場へ報道陣を連れてくる責任はフェア側にあるでしょう。パレスチナ人の作家が勝手に記者会見を開いた訳ではないので、ヘブライ語で語らなかったという方向へ持っていくのは皮肉にしても無理があるばかりでなく、この皮肉のため普通なら落ち度とも言えるフェア側の不手際をひどく見えにくくしてしまっています。
デイリーな小記事を連ねたものなので、記事と言うよりは日記に近いかもしれませんし、売れない作家に接する機会も多い仕事柄、聞き手がいなかったという作家の苦情は慣れっこだった事もありましょう。しかしその傍らでは「文学カフェ」があり、イスラエルと外国の作家(05年は判りませんが07年はフランスから招かれました)との対話が行われているのです。この方はカフェに招待された外国人作家にヘブライ語が出来るかお訊きになられたのでしょうか?

 
 リアルレポートも、05年のフェアの記事も、普通だったら目の前にぶら下がっているような出来事、避けるにしてももう少し配慮をするような大きな出来事(戦争と交流とは名ばかりの催し)への素通りが共通しているようです。これはこのフェアの伝統なのでしょうか。もう一つ皮肉を言えば「人々を結ぶ文学の役割」でBirger氏やイスラエルが過去40年にわたって結ぼうとしてきたのは、誰でもない、自分たちだけのお友達関係だったのではないかとさえ思えます。 
どう考えても国家戦略としてのブックフェアにしか見えません。フェアの主催はイスラエル外務省ですし。

 ここで「ねこねこブログ」のねこねこさんがわざわざアップして下さった、筒井康隆の「文学部唯野教授の女性問答」の一部を引用させて頂きます(リンク)。

政治的、ということでは、だから筒井先生だって例外じゃないんだよね。政治的には無党派で、時には無政府主義者だなんて言われたりもしてるけど、(政治体制側の出した)金沢市の出してる泉鏡花文学賞貰ってるんだしさ。もう、どんな批評家だって、作家だって、否応なしに政治的にならざるを得ないんです。でも別にそれがいけないってわけじゃないの。いちばんいけないのはむしろ、文学理論の中には政治に左右されない純粋なものがあり得るって考え方です。何度も言うけど、無自覚に政治を無視したりしていると共犯関係がもっと密接になっちまうんだよね。ぼくがマルクス主義批評を評価するのは、あなたの言う「逆説的に」とは違うかもしれないけど、そうした立場(文学の逃れられない政治性を自覚している立場)からです。

 Birger氏もリアルレポートを書いたフェアの会員もEdemariam氏 もそれぞれの立場、考えからそれぞれの発言をしたと思います。それがいけないわけではない。
*私はどんな意見であってもその存在自体を否定する事は絶対にいけないと考えてます*(*追記挿入です)
でもそれが文学である事を理由に、あたかも非政治的で中立であるかの様に見なされ扱われることはどう考えてもまずいだろうというのが、今回このブックフェアを調べた私の感想です。やっぱ声上げといて良かったわ。

 そしてそのブックフェアに受賞しに村上春樹氏は出かけたのでありました。彼は出版仲良しさん達の真ん中で踊ったのか?踊らされたのか?

 踊るつもりだったのなら度胸ありすぎ。というかすごいかも(汗)

追記
 PW(publishers weeklyの略らしい)サイトで楽しそうな遠足レポを書いた方はドイツから来たという立場上、ああいう書き方しか出来なかったのだろうと思っていました。私でもああなるだろうと。
でもさっきふと思ったんですが、あれだけ楽しげに遠足だの景色だの(死海が見渡せるなら他もみえるのでは?)ワインだのごちそうだのおもてなしだのと書いてあると、レポを装った告発レジスタンス記事?などとも読めそうな気がしてきました。皆様結構したたかかも。出版人ってそうなのかもね。

 それから村上春樹の受賞スピーチの一節(注:会場にはこの会員達がいたわけです)

"You are the biggest reason why I am here."

やっぱり意味深


追記その2

 ハアレツ紙が掲載した村上春樹の受賞スピーチ(リンク)の全訳が出ています。

47トピックス【日本語全訳】村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチ(リンク


 それから受賞スピーチの感想をブログに書いた方々に声を大にして言いたいのですが、
会場はクローズなものであり、招待客の多くはブックフェアに来た出版人と思われます。

つまり受賞会場にいた人=イスラエルの国民ではありません。

 あの受賞スピーチを聴いたイスラエル人はとても少なかった可能性があるのです。

 

関連記事

 「村上春樹のエルサレム賞受賞 アーサー・ミラーの場合を見る」 (リンク

 「村上春樹の利用法」(リンク

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コメント

難しいのお。どこにも、オチが、ないし。
あったら、変ですよね。

風の歌を聴け,1973年のピンボール,羊をめぐる冒険 まで、学生時代に初版を買って、何とか読みました。でも、以後が、続きませんでした。

最近、スコット・フィッツジェラルドのグレート・ギャツビーの翻訳本を買ったくらい。まだ、読み終わってません。読みかけです。
当然、ノルウェイの森、すら読んでません。


JohnClark様

>オチが、ないし
 オチどころの騒ぎではありません。
土下座では済みそうもない大ボケをしてしまいました。
自分でリンクしたオープンレターを取り違えたんですよ。
信じられますか?(号泣)

 これは私だけではないと思うのですが、
オチ記事って書くの大変で疲れるではないですか。
でも普通の記事は精神的疲労はそれほど酷くないので油断してしまったんだと思います。調べる方は手抜かりがないように何度も確認したのに、なのに思わぬところで大間違いを。

 もうビーさんや英訳した方にどう謝ったら良いのか(大号泣)

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