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2009年3月の7件の記事

2009年3月26日 (木)

ピアニストにお茶を

 前記事でボランティア楽屋係をした四半世紀近くも前の事を懐かしく思い出したので、ちょっとつらつらと書いてみます。

 楽屋係は、演奏家の方を楽屋までご案内して、お飲物とお菓子をお出しするという、文字にするとたったそれだけの事なのです。しかし、私が思い出すと何故か異常に長くなりそうな予感がします(爆)

 第一話、忘れ得ぬ最初の楽屋係。

ピアニストの清水和音さんでした(笑)←何故笑う?

 既にベテランの楽屋係さんが居られる中、楽屋係初参加の私はお茶くみのお手伝い程度しかする事はないと思っておりました。
しかしどうした次第か、何だか判らない理由で、楽屋の変更からお茶淹れ、お出しするのまで、私が全部やりました。
確かにたった一人(いつも一緒に来る調律師さんは何かで先に帰られた)への御接待ですから、一人でも困りはしませんが、良いのでしょうか?慣れてない人間に全部やらせて(汗)

 実は当時、私は清水氏は気むずかしいのではないか?という怖れを抱いておりまして(そんな事はありませんでした)、私が粗相をしでかしてプログラム端折られたらどうしようなどという、今考えればプロがそんなことするか?な不安で生きた心地が致しませんでした。

ですから、淹れた日本茶を(私が淹れたんです(爆))お出しして頂こうと他の方々に声をかけた時、みんながニコニコと私を見て
「じゃ、お出しして」と言い放たれた時にはもう、お盆持ったまま固まりましたよ(涙)

多分他の人も同じ噂を聞いていたに違いないんです。そこへたまたま新人が入ったから使ってしまえという事に(笑)

 
 楽屋にいる間中生きた心地がしなくて、チケットもぎりの方がどれだけ気楽だったかと後悔しまくりました。
それに今だから告白できますが、急遽楽屋が変更になったため、替わった楽屋のお掃除、ちゃんと出来ていたか心許なかったんです。
ご案内したお部屋は(眺めの良い部屋はここだった)埃が積もっていたかもしれない(爆)

 本当に今でも不安です。

ただ、お出ししたお茶だけは、二番煎じを淹れてみんなと飲んだので味はわかっております。
しかしよく考えてみると、あの時は緊張でのどが渇いていたから美味しく感じただけかもしれない様な気がして来ました。私だけでなく、他の人の咽も渇いていたのかも(爆)


 清水氏におかれましては、ご無事で本当に何よりでございました。


 ちなみにお飲物のメニューは、日本茶、珈琲、紅茶、とあって、清水氏は日本茶をチョイスされたのでありました。日本茶しかなかった訳ではないので念のため(笑)

2009年3月17日 (火)

昔々を思い出した話

 市民芸術館に初めて出かけて、その前の建物、市民会館を何故か強烈に思い出してしまいました。市民会館に出入りをしていたのは、ハーモニーホールが出来る前、もう二十年以上前なのに。そして今の建物には何の痕跡も残ってないのに。

 当時私は労音に入ってました。昔は松本でコンサートと言えば大体主催は労音でした。そのせいかイデオロギー臭は限りなくゼロで、名前も途中から「市民コンサート」に変わってしまいました。
労音は年会費を払って通年聴けばとってもお得な仕組みなのですが、当時から実はメニエールだった私は無理が利かず、入会中コンサートに全部行けた年はありませんでした。勿体ない(笑)

 労音と言えば「割り勘で」の他に「ボランティア」。私も参加しました。チケットもぎりと楽屋係。
そうです、楽屋係。
記憶に鮮明に残るのは清水和音氏、前橋汀子氏、ドレスデン歌劇場室内オーケストラ、そして白眉とも言えるマイヤ・プリセツカヤとボリショイバレエ団にその時起こった熱湯風呂事件。
熱湯風呂事件、危うく忘れかけていたわ。いえ、忘れてる。どうしてあの人はあんな事態に?(爆)

 楽屋裏ではいつもかけずり回っていた気がします(笑)
市民会館の裏にあった深志公園は今は芸術館に潰されてしまって池の一部しか残っていないのですが、とても静かでほっと出来る場所でした。
他の会員さんはよくお散歩されたそうですが、私は結局一度も散歩することはありませんでした。いかんせん、あそこへ行くと外へ出る暇がなくて(爆)
ただ一度だけ楽屋の窓から景色を眺めた事があります。一番眺めの良い窓だったのでしょう、よい景色だとしみじみ思いました。一緒に部屋に入った方も同感の様でした。「いいですねえ」とおっしゃったので。ただそれがコンサートを控えた清水和音さんだったので、私はそれ以上眺め入る事は出来ず、そそくさと退散したのですが(笑)

芸術館へ入ったとき、これらの事が一挙に思い出されました。まるでわき上がってくる様に。思い出すとは夢にも思っていなかったので、しばし呆然としてしまいました。

 大昔キエフ・バレエ団が踊り、レオニード・コーガンが演奏した場所。私の時代ではチモフェーエワ、プレトニョフetc.が演奏した場所は、建物が替わってもその余韻がきっとどこかに残っていたに違いありません。
市民会館に出入りしたのはほんのわずかな間。それなのにこんな風に昔の事を思い出し、また観たお芝居が二十年の時を軸に、人生と過去と現在を扱うピランデッロの「ヘンリー四世」だったというのも不思議な気がします。

最後に
芸術館ではチケットもぎりやクラーク係をするボランティアの方々が頼もしかったです。きっと今も誰かが走り回っているに違いない(笑)

もう一つ
Fukashi

 かつて眺めたのとは反対側からの池の眺め。
どどーんと突き出てしまったのが芸術館。もちろん公園そのものも消滅。
そこまで伸びなくてもいいのに(涙)

2009年3月16日 (月)

市民芸術館に行ってきた

 3月15日日曜日、市民芸術館にお芝居を観に行きました。
この芸術館は百数十億という巨額の建設費で市民の間から反対運動がわき上がり、02年の知事選ではその問題について問われたH候補がTVで「わたし、知りませ~ん」と発言、その後落選。
完成直後の04年3月にはこの芸術館の建設を強力に推進し、自宅で開いた工事関係者との焼き肉パーティー代三十数万円を交際費に計上して返還命令が出てしまった当時の市長もまた落選。
故にオープニングセレモニーは反対派も担いだ新市長の手で行われ、現在問題は多いものの平成中村座を含む数々の公演が催されているのであります。

そんな完成前からなかなか芸達者だったこの建物に、やっと、やっと、私は初めて足を踏み入れる事が出来ました。めまいのない日に観たい公演の当日券有りという状況に、5年目にしてやっと恵まれたのでありました。

 それもヒランデッロ作「ヘンリー四世」(リンク
串田和美 白井晃プロデュース作品の三度目の正直です(嬉涙)

 という記事を昨日のうちにアップしそこねた理由はこちら→リンク

 この急な客席は何。入り口が一番上なんです。降りるときにめまいが出そうで出そうで死にものぐるいでしたよ。
ちょっと見てみたら上の席はかなりの高さです。そこから見下ろしていたら途中でギブアップです(涙)
今回運良く前の席で事なきを得ましたが、外に出たらゆらゆらしてました(涙)先月ピーピング・トムの公演があったのですが、この座席に不安を感じて行かなくて良かった。この角度でダンスでは完全に撃沈です。

当日券があっても、場所によっては諦めざるを得ないかも。もう一つハードルが出来てしまった(涙)

2009年3月13日 (金)

寒風大疾走

 春めく陽気から一転冬に逆戻りした朝、私はいつものように慎重な運転手でした。
道幅に余裕があるからと言って、前を走る自転車を無理に追い抜くのは危険な事なのです。静かに後に付き従いましょう。

付き従った先は、絶対に追い抜けない幅の狭い橋でした。あるのは勿論知ってましたが・・・。

 後に大量の車を付き従えた私と、その先を進む自転車。

ちらりと振り返る自転車氏。

と、その瞬間自転車猛ダッシュ。寒風の中、時速30キロで橋を駆け抜け続ける自転車。

この展開を夢想だにしていなかった私は大狼狽。おろおろしながらも割と遠慮なく直後を走るワタクシ。まあ、30キロって車では余裕ですし、何より私が後続車から煽られておりましたので(汗)

 車幅が元に戻り、自転車をパスする大量の車。ミラーで後方を確認すれば、道路脇へふらふらと流れ着く、出涸らしになったような自転車氏の姿。よく考えると、橋の手前って結構長い登り坂でした。
ごめんなさい。すみません。こんなに爆走して下さるとは思いもしなかったのです。本当に申し訳ないです。

 「小さな親切大きなお世話」をまたやってしまった(涙)。

また?

なんか、前にも自転車に同じ事した気がしてきたんですが。

というか、あの自転車、前にも見た気がするのですが。

私、前にもお宅様を爆走させましたでしょうか?

 やったかもしれない(T.T)

2009年3月12日 (木)

村上春樹「僕はなぜエルサレムに行ったのか」を私なりに受け止めてみた

 読ませていただきました。「文芸春秋」四月号、村上春樹独占インタビュー&スピーチ「僕はなぜエルサレムに行ったのか」

 実は発売日の一昨日10日は心臓カテーテル検査を受ける家族の付き添いで半日病院に、昨日は別の家族の付き添いで前日とは違う病院へと忙しく、とても読めそうもないと思っていたところ、ふと前に(家族の入院時。一年以上前)病院の売店で「文芸春秋」を見た気がする・・・。という訳で待ち時間に売店にひとっ走り。
やはりありました。さほど広くない雑誌コーナーの一角に大量の(7冊位あった)「文芸春秋」だけと、その隣には「Will」と「諸君!」(まだ廃刊じゃないのね)が一冊ずつという、一度見たら簡単に脳裏から消し去れない品揃え。これで良いのかS大病院(汗)。


 で、読みました。

 村上氏は日本からエルサレムの人々に話をするために出かけて行った訳です。そして出かけた後に、こんどは日本の氏の受賞に異を唱えた人に向かって、行動の意味を問いかけるボールを投げたのが今回のインタビュー記事だと感じられましたので、私なりに反応してみました。答えろとは誰にも言われていませんが、パレスチナへの世の中の関心を維持するには答えた方がいいかもと(汗)。

 最初の部分は受賞の打診から受賞発表までのかなり複雑な経緯が、村上氏が昔からパレスチナ問題にコミットしていた事や迷いを、受賞発表後の世間の反応なども絡めて語られていました。インタビュー中話すのは不得意と仰ってましたけど上手いです。そしてずるい(誉めてます)。読んでいるうちにこの決断は大変だったんだなあと身につまされました。私は「行かない方が良かった派」なのですが。 

 それからイスラエル滞在中の話になるのですが、受賞スピーチの中の

「来ないことよりは、来ることを選んだのです。何も見ないよりは、何かを見ることを選んだのです。何も言わずにいるよりは、皆さんに話かける事を選んだのです」

を裏付けるようにここがインタビューの中心だと私は思いました。 

 この部分で一番私がなるほどと胸に落ちたのは、イスラエルの個々の人々に関しての部分です。

 町の人は素朴に裏表なくいろんなことを話してくれましたが、多くの人は多少の差こそあれ、日本人の感覚からすればかなり愛国的です。彼らはイスラエルの公式歴史観をかなり強く注入されているという印象を受けました。学校でたたき込まれ、十八歳から三年間兵役につき、そこで思想教育を受ける。女性の場合は二年です。兵役が終わっても、四十二歳まで年に1ヶ月の予備役があり、会社を休んで軍隊に勤務しなくてはならない。
 

 かなり徹底した歴史観の強要がありながら、氏も述べている様に「独裁国家じゃないし、基本的には言論の自由な国」に住むという複雑さでした。

 私は人間は個々違うというのは当たり前の事だし頭では解っていたつもりでした。しかし「公式歴史観」や「公式国家観」を受け入れる状態というのは、金太郎飴の様などこを切っても同じ反応が返って来るに違いないと思いこんでいた節があります。勿論公式の返答は存在するでしょう。村上氏のインタビュー記事の中にもそう反応した人が登場します。

 ウェストバンクでは有刺鉄線と監視塔のある壁が、ハイウェーに沿って延々と続いています。この壁はイスラエル全土で六百キロ以上あります。ためしに運転手に「この壁は何のためなの」と聞いたら、「動物がハイウェーに出てこないように囲っている」という。動物除けのために、二十億ドルもかけて高さ八メートルの壁を建てるかよと思うけど。  でもそういう発言に対して僕はあえて反論しませんでした。どうしてかというと、そういう主張をする人も、心の底では何か割り切れないものを感じているという雰囲気を強く感じたからです。

 金太郎飴的公式返答をする人に対してさえ感じる割り切れない雰囲気というのが、とてもよく判る気がしました。
実は私は先月「パレスチナ1948・NAKBA(完全版)」の第一章をたまたま観ていました。その中でインタビューを受けるイスラエル人7人の内、マツペン(1)のアキバ・オール氏、イラン・パペ氏を除いた5人中4人が(一人は良く判らなかったのですが)、歴史と自己の矛盾に対して、肯定するにも否定するにもあまりにも違う多様な反応を示していたのです。マツペンのシュロモー・ザンド氏(多分そうだとおもうのですが、違ってたらどうしよう。違うかも。)でさえ、オール氏やパペ氏とは明らかに違う煩悶を示していました。反応も多様なら苦しむ部分(酷い苦しみ方だった)も様々で、金太郎飴とは対極のものでした。この反応を一口で語ることは殆ど不可能に思えて、私は観る前はするつもりだった感想文アップを断念しました。
これが独裁国家ならば人々は公式返答だけをするでしょうから、その答えの下で生身の人間が何を抱えているか、なかなか見えづらかったと思います。また独裁国家ならば罪は独裁者だけのものと割り切れます。しかし民主主義だとそれはできません。自分の責任を感じればこそ反応も複雑になるのでしょうし、その事について自分で考える事を放棄してしまうかもしれません。

 最後に村上氏はイスラエルの持つホロコーストの過去、日本の過去、オウムのサリン事件を織り交ぜながら、氏がシステムと呼ぶ国是や主義等々に取り込まれていく人間を語ります。そしてそんな悲劇は誰にでも起こりうると言います。私も同感です。何処でも誰にでも起こりうる事です。

 イスラエルに住んでいる「漂流博士」さんの一月十二日のブログ記事「日常感覚で冷静に」(リンク)を読むと最初はガザ攻撃に反対だった世論がロケット攻撃を止めさせる為の攻撃賛成に傾いていく様子がよく判ります。過去8年間南部のロケット被弾を放置し補助金もすぐには出さなかった状況の後、

テルアビブに避難してきたり、多くの国民がすっかり南部に釘付けになったことでロケットの恐怖と言うものが随分広く認知されたことは事実だろう。私がかつて留学していた、ガザから40キロ離れた南部最大の街にまで何発も着弾するとは、さすがに多くの国民も思っていなかった。これまで気がつかなかったことへの反省、そして、気がついたら南部は結構大変なことになっている、という認識

 が、ガザ攻撃賛成に結びついた様です。
放置しておき、事が起こったら大々的に不安を煽る。世論を誘導する上手い手です。
そして誘導された世論の結果が、そもそもロケット攻撃を阻止する為のものだったのが、1300人の犠牲者を出した最新兵器によるガザ攻撃になってしまったのです。しかしこれも責任ではあります。


 ドイツは戦後、戦前ドイツとの断絶を敢えて行ったそうです。その話を聞いて、私は断絶それ自体は血の滲む大変な作業だったと思いますが、そのお陰で戦前の体制を外から眺める事が可能となり、徹底的な過去との決着をつける事が出来たのではないかとも思いました。
日本は断絶しなかった、つまりはヒットラーを出せなかった故に、戦前をいつも自分の内側の事として捉えていかざるを得ない様な気がします。エルサレムの人々も民主主義であったが為に建国の歴史の責任を永遠に自分の内側の事として扱わなければならない部分にとても似たものを感じます。そして断罪を自分の存在への疑義と受け取り頑なになる人がでてしまう部分も。
きっぱり断罪できればそれに越したことはないとは思います。しかし実際問題として、責任を内側に抱えたままでの責任の取り方の模索、相手を頑なにさせない決着の模索は、日本とイスラエルだけの話ではない、世界中で進行している様々な迫害や虐殺を終わらせる為にもとても重要で喫緊の課題だと思うし、氏が「白か黒かでは割り切れない」と述べた部分と重なるのではないかと思った次第です。

 これが受賞反対を表明した(リンク)私の、このインタビュー記事に対する受け止めです。


3/21追記

asahi.com 「無抵抗のガザ市民殺害 イスラエル兵証言次々、軍調査へ」(リンク
ここが民主主義国家故の展開だと思いました。召集された一般人もガザに足を踏み入れたということ。
聞いた話によると、イスラエルって国家を持った軍隊と言われるくらい軍関係予算が多いみたいです。
対アラブ戦が存在の大前提となるプロの軍人とそれ以外の一般人の認識の乖離でしょうか。
もっともこの告発を政府に都合良く解釈、または展開させる可能性もあるのでなんら喜ばしいニュースではありませんが、自治区の実態をイスラエル国民に報せるきっかけになってくれればと願います。

蛇足
 このインタビューは全文読んで欲しいのですが、いかんせん他の記事がもの凄く、ちらっと眺めただけでウルトラE難度の論理の飛躍があったりするので、買わずに図書館というのがお薦めです。この雑誌に750円はムゴイ。そもこれが「文芸雑誌」ってところが信じられない!


1
 マツペンはイスラエル内でパレスチナ問題を正しく捉えようとするグループです、確か。すみません。チカラが尽きて調べ直すことができません(大汗)。

2009年3月 5日 (木)

使うべきか、使わざるべきか

 「定額給付金」が昨日の関連法案成立で支給されることになりました。
最初は生活給付の為という話で、2兆プラス経費3百数十億円も使うなら、母子加算の廃止延期とか生活保護とか、ばらまかずに最も必要としているところへ使えばいいと思って反対しておりました。ところが、いつの間にか「消費刺激」「内需拡大」の為の給付と言うことに。

 本当は困っているところに重点的に使って欲しいと今でも思っているのです。でも未曾有の経済危機を乗り切る為に協力するのもこれまた重要。とはいえ先行きも不安なので貯金もしたい。
故に我が家は昨日からこのお金をどうするべきか、侃々諤々の大論争となったのでありました。給付なんて早くても5月とか言われているのに(汗)

 でもって出た結論がこれ


 麻生首相が辞任してから使う。

 

 びびりな結論で申し訳ないです。でも、でも、今この時期、こんな首相の元で先行きを考えずにお金なんて使えません。もっとまともな総理大臣が出るまではしっかり貯金することにします。

 って、やっぱり我が家は小心者の一般ピープル~

2009年3月 1日 (日)

現在熟成中

 まだあるからと次を用意しないとすぐ無くなるのが化粧品。
でも早めに準備をするといつまで経っても無くならないのも化粧品。

 なくなりそうだからと買ったファンデ、出番を待ち続ける事既に10ヶ月。

 思えば、今使っているファンデーションを使い始めたのは数年前。

買ったのは・・・、更にその1年前。

 私が使っている物は、ファンデではなく発酵ファンデかも。

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