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2010年3月の4件の記事

2010年3月25日 (木)

無い!来た!

 父の葬儀後から手続きを開始したにもかかわらず、いまだに完了していなかった共済年金の手続き。明日漸く申請書類を投函できることとなりました。
何故こんなに時間がかかったのか?

それは、行方不明だった年金改定通知書が、再発行されて我が家に本日漸く配達されたからであります。

 何を隠そう、茶の間の掃除と整頓を大々的に展開したときに、無用な書類に紛れさせてゴミ箱へポイしてしまった(推定)からなのです。

 親が病にふせっている時に、大掃除をしたオンナ。そして只でさえ忙しい社保庁に一仕事増やしてテロを放ったオンナ。

だって、お掃除しないわけにはいかなかったから・・・フキフキ "A^^;

と、各方面に目一杯お騒がせをして、とにかく一つは手続き完了なのであります(あくまで予定)。

 そしたら今度は注文した香典返しが品切れになっていた・・・(涙)


どこまで続くぬかるみぞ・・・

2010年3月20日 (土)

不条理な世の中で述べられた大変筋の通った話

 今日届いた郵便の中味は、先週手続きのために私が出した用紙と、もう一枚の紙が添えられていた。

 「お客様にお出し頂きました自動振替申込書は、口座番号未記入のため引き落とし手続きが出来ません。口座番号をご記入の上、至急ご投函下さい」

 なんてもっともな・・・

 てか、お手数かけてすみませーーーん(大汗)


 これが山ほど出した手続き書類の、不備の始まりだったらどうしよう(T_T)

2010年3月18日 (木)

3月5日のヤクルト

 死が近くなった頃、父のベッド脇には、朝食に付いてきて手をつけられずにそのままになったヤクルトが何本か溜まっていた。その中の一番新しいものは賞味期限が3月5日だった。私はそれを眺めて、父とこのヤクルトとどちらの寿命が長いのだろうかと思った。父はそれから数日後、ヤクルトよりずっと早く28日に息を引き取った。

 葬儀が終わってから、何度もこのヤクルトの事を考えた。物は壊されない限りそこに存在するけれど、命はある日ふっつりと消えてしまう。なんと儚いものなのだろうかと。ヤクルトに届かなかった命。

 しかし父にはヤクルトが製造される遙か前からの、数十年という人生があった。父の看病中に、決して多くはなかったけれど父が今まで生きてきた力、それは生きたい、生き延びたいという願望とは明らかに違う、なんというか生きるエネルギーそのものを感じた事が何度かあった。その時私はふと、人間は「生きる」を続けることでしか死ぬことは出来ないのではないかと思った。そんな風に考えた自分に面食らった。

 当時の私はこれから来るであろう身内の死に方しか考える余裕はなく、終わることしか考えられず、終わりの前に連綿と続いていた生きる力そのものを垣間見せられて、びっくりしただけかもしれない。それでも私が感じたエネルギーの様なものは、今思いだしても息を呑むような鮮烈な印象を残した。
多分父だけではなくて、人間は誰でも、生きとし生けるものは全て、あの時私が感じた鮮烈なエネルギーを輝かせて日々を過ごしているのだと思う。普段は気がつかないだけで。
数十年生きた人はもちろん、生まれたその日に命を落とした赤ん坊も、そのエネルギーは、見た目は小さいのにカゼイシロタ株満載のヤクルトより更に(と言っても菌も命なんだけど)、ずっとずっと濃密で尊いものなのだと、あの時を振り返って今はそう思う。


  死ぬとは、生きていなければ出来ない事。

 亡くなった全ての方の命に敬意を表して。

2010年3月 7日 (日)

父が亡くなりました。

 先月末、膵癌のため父が亡くなりました。発見されたときには既に手遅れで余命一ヶ月と言われました。
12月の半ば過ぎに調子を崩すまで、極々普通に生活し、ウォーキングも毎日続けていた父でしたが、実は病院嫌いで、ずっと病院に違う病気で通院していたにもかかわらず、調子を崩してから、家族が何と言おうと次の診察日まで病院に行こうとしませんでした。
なので医師から病状の説明を受けたときには我が家は後悔の嵐に見舞われました。どうして首に縄をつけてでも連れて行かなかったのだろうと。今までも何度もそれをやって来たのに何故今回だけそれをしなかったのかと。

 と、ドツボにはまった反動か、症状が出た時は手遅れで、初期で発見されても5年生存率が3割以下という膵癌の特殊性故か、医師の「・・・最後は昏睡状態になって死に至ります」という説明のお陰か、とにかく出来るだけ苦痛を減らしてゴール(死)を迎えねば!と、患者の意向無視でそこに焦点を絞ってしまった家族でした。実は医師の経験上からのアドバイスで父には膵癌であることを知らせませんでした。余命一ヶ月では皆さんパニックになってしまうそうで。

 それから父の入院生活が始まったのですが、有り難いことに最近は「緩和ケア」にも十分重点が置かれているのか、スタッフの方針も「いかに安楽にその時を迎えるか」に絞られており、父が苦しむことは本当に少なく痛みも殆ど無く、痛み止めオキシコンチンも一番小さい量から増えることがありませんでした。日曜日に亡くなるのに水曜日まで(私が食べさせたのは水曜日の夜が最後でしたが、木曜日の朝昼は食べたかも。聞き忘れてしまいましたが)食事が摂れてましたし。

 そして昏睡に入ってからは、看護士さん達に口腔ケアや清拭などかしずくように世話をしてもらいながら、何故そんな事を口走ったのか自分でも謎なのですが、
「お父さん、良い人生だったわね」
との私の問いに、「にまっ」と微笑んで、そのまま眠るように息を引き取りました。3月には86になるはずでした。


 という話をお通夜とお葬式でしたところ、参列の方々が「これこそがウォーキングの威力だ!」という話になり、「いかにしたら父のように何十年もウォーキングを続ける事が出来るのか」という話で、しんみりした席が一気に大盛り上がりに盛り上がってしまったのは、我が家クオリティのなせるワザなのでございましょうか(汗)

 この最後を思うと、下手に早く見つけなくて良かったかも、とも思いますが・・・。やっぱり複雑です。

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