いらっしゃいませ

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »

2010年5月の8件の記事

2010年5月22日 (土)

ちゃんと帰りました

昨夜九時過ぎ、ホクト文化ホールを出発したワタクシは、
暗い予想に反して、ぴんぴんしながら家に戻ることができました。

 しかしその道中は思いの外苦難の道のりでした。
その理由たるや意外や意外、何を隠そう車が少な過ぎた事(汗)

 信州新町を過ぎる頃には、私の前に車はなくなり、少し離れた後ろの車とたった二台の道中。
しかもここから先は道が暗くてカーブが多いのです。こんな場所を先頭で走るのは絶対嫌!
ということで、走っている車を探すべく、ナニゲに踏んじゃうアクセラレータ。
煽らないでと言っておいて、単独でスピードを出すこの矛盾。
でも暗いのは怖いの。先頭は嫌なの(汗)

かなり走って漸く見つけた一台の車。近づいてよくよく見ればなんと松本ナンバー。このままずっとご一緒ね♪
うれし涙に暮れるワタクシ。
が!しかし、何を思ったか、その車は最寄りの避待地で左ウインカーを出してあっさり停車。
ちょっと待って!さっきの接近は煽りじゃないの。
ちょっとナンバーを見ただけなの。老眼なの!近づかないとよく見えないの!
行かないで~、私の提灯車~(涙)

 そして別れの涙にむせびつつ、更に真っ暗で、一層くねくねの国道を、対向車に気を使いながらのハイビーム走行をしなければならない私。カーブの中心でハンドル切りながらライトを直すのは命がけなのです。煽られないのに事故ったら自爆です(汗)
 
 そんな器用な運転をしながら、必死で飛ばしても、この夜追いついた車はたった三台。
しかも後の二台も速攻で左に逃げられてしまいました。
こうなるとばば抜きなのです。誰しもくらい夜道の先頭は走りたくないのです。だから後ろの車も近寄ってこないのです(下手に近づいてウインカー出されたらアウトですもんね)。

夜道の大変さはわかります。でも、だからって、だからって、こんなに簡単に譲ってしまうなんて、非情すぎるーーー!

聞くけど、昼間だったら道譲る?余りにも勝手だわ(T_T)

 と叫びながら、最期は遠回りして明るい市街地を走ったにも関わらず、普通に一時間半で着いてしまった私です。生きてて良かった(涙) 

 
 ちなみに、団地に入る角を曲がったときのほっとした事と言ったら。ここから先ではどう考えても死亡事故など起こりようもないですものね(笑)でも、玄関先で転んでの頭蓋骨折には気をつけました。念のため。

2010年5月21日 (金)

終りました

終りました

これから夜道を帰ります。

2010年5月20日 (木)

音楽は命がけ

 明日21日、長野市ホクト文化ホールでクリスティアン・ツィメルマンのコンサートがあるのです。知り合いの下した評はズバリ「これは聴くべし」。 これを聞いて俄然聴きたくなってしまった私。行く言い訳に色々思い出したのでありました。

 その昔、ポゴレリッチが岡谷カノラホールで演奏した後、次に私が同ホールで聴いたのがツィメルマン。07年のポゴ襲来の後も、次に行ったコンサートはツィメルマン&クレメル。これが聴きにいきなさいという啓示でなくてなんでしょう(屁理屈などとは決して言わないように)。今回だって、チケットは買ってないけれどきっときっと行けるはず。行って、サントリーホールがお酒なら、ホクトホールでは休憩時間に茸を売るのかこの目で確かめられるはず(命名権を買ったのが茸会社なのです)。 

 という次第で、なんとか予定をつけるべく日々忙しくしていたところ、つい昨日・・・

 道路脇の標語をこの様に読んでしまったのでした。

 「スピード落とすな
     命を落とせ」

 なんとポゴレリッチ衝撃波の影響が消えていなかったのです。このままコンサートに行って、私、無事に帰って来られるのでしょうか。

 明日の夜、九時過ぎに19号線をのろのろ走っているサクラ色の小型車がいたら、絶対に煽らないで下さい。お願い、私にスピードを出させないで~~~!!

 時間がかかってもやっぱり電車で行くべきなのでしょうか?
いっそ泊まった方がおりこうなのでしょうか?

ピアノコンサートに命をかけるのが普通になってきた自分が怖い(T_T)

2010年5月 9日 (日)

お江戸行きあれこれ

 思いっきりご存じの事と存じますが、去る五月五日、ワタクシぽんずめは田んぼの真ん中にある生息地から、なんと花のお江戸は六本木に、はるばる出かけてしまったのであります。我ながら大胆!

 この日に必要なものは、予約切符を払うカードと、チケットだけ。その二つを握りしめ(コンサートチケットは実は忘れそうになった事は内緒)、松本駅に降り立ったワタクシ。早速予約の切符を買うべく、生まれて初めて「指定席券自動販売機」なるものの前に立ったのでありました。そして徐にカードをいれるとなんと、私が予約した指定席券がちゃんと表示されるではないですか。受付番号を手帖に書き留めて10回も確認した私の苦労はなんだったの?
安堵と徒労の入り交じった気持ちで更に先に進むと、暗証番号入力画面となりました。「ふんふん、これね♪」と鼻歌交じりに番号を入力すれば、暫くしてから番号違いの画面。あれ?なにか間違えたかなと再入力でも再び却下。ひょっとしてこの番号?と恐る恐る入力すると
「このカードは使えなくなりました」の文字。

 ええーーーっ!

 実は私の切符はカードオンリー。しかも受け取らなくても金額が自動引き落としにされるのです。つまりカードが無効になると切符を買ったのに乗れないことに・・・。
ここまで、ここまで来たのに聴けないなんて。そんな悲劇があるなんて(号泣)

 顔面蒼白になってみどりの窓口にたどり着けば、かわいらしい女性クラークの方が、「大丈夫ですよ。窓口でしたら暗証は要りませんので」とにこやかに一言。
働いてるのに遊びに行く私に嫌な顔一つしないで、なんて親切なの。ありがとう、おばさんは嬉しいです(涙)
と、安堵のあまりその場で崩れ落ちそうになりながら(実際そうなりました)、震える手で切符を受け取った、朝七時四十分のワタクシなのでありました。最初からここで受け取ればヘーワだったのよね^_^; 

 前回は迷いそうもない道で迷うし、今回は切符だし。どうして普通に行けないのでしょうか。それに行く先々でトンチンカンなことするし(サントリー美術館皆様、ごめんなさい)。

 ここまで苦労して会いに行った人物は、前回のたこ焼きを連想させる風貌から、肉団子甘酢あんかけへと進化していたのでありました。

 今度はどんな食べ物になるのか、今から心配しておくべきでしょうか?(おいっ)

2010年5月 7日 (金)

五月五日ポゴレリッチコンサート

 今回のポゴレリッチのコンサートで特筆すべき事は、それぞれの曲を通して作曲家像をかつて無いほど明瞭に、しかも説得力を持って聴衆に提示しきった事だと思う。

 最初のショパン「ノクターン作品62-2(55-2からの変更)」の冒頭は、強調された、骨太でよく響く低音がたっぷり拡がるものだった。優雅と言うより雄大と言えた。どの音もたっぷりと響き続けながら、作曲家が意図し、仕組んだであろう和声や対位法が素人の私にもそれと分かるほどはっきりと示し出される。前半に現れるトリルなど、違う曲ではあるが「ショパンは才能ある作曲家なのです。ショパンはこの音をここで響かせるための準備を既にここから始めているのです」と07年に開かれたマスタークラスでポゴレリッチ自らが話したように、長い音の準備の必然として、ショパンでなければ書けなかったであろう音として響き渡った。私はこれほどショパンでしか有り得ないトリルはあまり聞いた記憶が無い。
曲は全体として雄大で、愁いに満ち後半は哲学的でさえあった。途中死を思わせるようなモチーフも現れた様に思う。ショパンで死のモチーフと言えば私は83年ホロヴィッツの弾いた「英雄ポロネーズ」を思い出す。あの時も英雄の勇ましさより死に向かう英雄の悲哀が感じられた。当時私は作品を聞くとき、生身の演奏家などまるで眼中になかったから英雄は勇壮なものでしかなかった。しかし19世紀初頭にポーランドで生まれ育ったショパンを「ワルシャワ蜂起」の時代を生きていた人間として捉えれば、英雄はそれと知って死に向かっていく死のイメージであっても不思議ではないし、結核を患い続けた作曲家のノクターンに死のイメージが浮かび上がったとしてもこれまた不思議ではない。
 続くソナタ3番も野太い音だった。この曲はそもそもショパンのイメージ-華やかな社交界サロンの寵児が弾く曲とは、明らかに違う深さがある事は異論がないと思う。だから線の細い華麗な響きでなかったとしても驚きではないのだろうけれど、それでもぎょっとするほど太い音だった。こんなものを社交界のセレブ連の前で演奏した日にはどうなってしまうのか?本当にこの響きをショパンが求めていたという証拠は?
しかし私の頭にあまりに有名なこの言葉が浮かんだ。
「気分のすぐれないときには私はエラールのピアノを弾く。気分が良くて自分の求める音を得たいときはプレイエルを弾く。」
そして更に、来日直前のメールインタビュー(リンク)でポゴレリッチ自身が語っていたショパン像がこれに続く。

ショパンは素晴らしい才能をもっていたのにもかかわらず、彼をとりまく人々に関しては、あまり幸せな状況ではなかったといえますね。彼の才能をもっと周囲の人がサポートしてあげるべきだった。 私はショパンとは対照的に、健康的な生活を送ることに重点をおいています。精神的にも身体的にも頑丈でないといけませんからね

 もしショパンがもっと健康だったら。もしショパンがもっと気力に満ち、毎日プレイエルに向かえたら、果たして私がショパン的と信じて疑わない音色のままであったろうか。
私はショパンと言えば即エラールの繊細で優雅な音色を思い浮かべる。ショパンはプレイエルで音を作ろうとしていたにも関わらず。ならばこの響きがショパンでないと誰が断言できるだろう。
 
 昨年ワルシャワではこのプログラムでのコンサートはチケットも完売の上、大喝采を浴びたという。ポゴレリッチがポーランドで人気の高さが、彼の鮮烈なデビューが他ならぬショパンコンクールによるものだけであるなら、チケット完売は説明出来ても、演奏後の大喝采を説明しきれない。しかし、もし、彼の演奏が私の抱くショパン像(社交サロンの花形 パリの寵児 女性のアイドル)ではなく、若くして故郷を立ち、異国滞在中のワルシャワ蜂起、列強の祖国への無理解と無関心(一ポーランド人としてショパンの受けたであろう無理解と無関心)を経験した芸術家の、パトロンや聴衆が決して目を向けようとしなかった部分、つまりポーランドからみえるショパン像に光を当てているのなら、この喝采は十分説明が付くと思う。

安川加寿子先生は「ショパンは男性的です」とよく仰ったらしい。しかしそれを聞いた人々が(雑誌などで読んだ私も含めて)、彼女の言葉の真の意味をどれだけ理解しようとしていただろうか。


 二楽章は演奏者がマスタークラスでも、その前のインタビューでも指摘していたとおり、印象派を先取りするような響きが描き出された。そして三楽章、どの音もたっぷりと響き渡り、今まで知らなかった旋律が次々と現れて絡み合っていった。どの音にも作者の意図がはっきりみえるように響いた。ポゴレリッチの演奏で、私は初めてこの3楽章を長いとは思わなかった。最終楽章は盛大、華麗というよりひたすら深かった。しかしポゴレリッチの提示したショパン像ならばこの深さは十分妥当であるとしか私には言えない。

 リスト メフィストワルツ第一番

 ポゴレリッチの弾くこの曲は、当時の流行小説をあらゆる技巧と才能を駆使し、まるで映画化でもするように音にして描き出し、集ったお客達の度肝を抜いたであろう当時の様子を生き生きと描き出す。リストがレーナウの「ファウスト」を選んだのは、芸術的インスピレーションというよりは、当時の人気小説だったからに違いないと思えてくる。何故ならば、客が本を読んでいなければ、何を描いているかみえないからだ。単純でわかりやすく、みんな読んでいるから曲にした。その位描写は生々しく、猥雑で、しかも楽しい。当時、これを聴いている客の反応が目に浮かぶようだ。
 
人気小説の音楽化という商業目的の中に、はっと驚く程見事なパッセージや、唸りたくなる対位法を仕込んでいるリスト。ポゴレリッチの描くリスト象はお得意客を逆手にとるしたたかさに溢れ、サロン(メシのタネも当然ある)と体力的劣勢の中暗く哲学的な戦いをしていたショパンと対比をなして前半戦終了。この時既に一時間40分経過。


 午後4時、プログラム後半開始。この時、後半プログラム冒頭に、ブラームスの前奏曲作品118-2が加えられることがアナウンスされる。

 ブラームス 前奏曲作品118-2

 「メフィスト」と、「悲しきワルツ」という本案物に対する対比の間に、演奏家ではなく音楽家だけの道を選んだ(選べたとも言える)ブラームス作品を加えることにより、作曲家と時代(ショパンとブラームスは20歳以上年が違う)の違いも浮かび上がらせることが出来たと思う。ショパン、リストとブラームス、同じロマン派でも、決して十把一絡げに出来ない多様性がよく分かる。
演奏は沈思黙考方のブラームスとでも言えばよいのだろうか。思いっきり真面目な人が作った曲ですと言わんばかりの演奏(ごめん、この作曲技巧は私には歯が立たなかった)。
 
 シベリウス 「悲しきワルツ」

 プログラムから推測した時は、人間の生と死がこのプログラムのモチーフなのかと思ったけれど大外れ。
リストと違い、純然たる芸術的視点から作曲したように聞こえる(ポゴレリッチがそう演奏している)シベリウス。19世紀から20世紀にかけての、人々の音楽のとらえ方の変化がよく分かる演奏。作曲家シベリウスを通して、当時の人間の内面まで垣間見られる様な演奏。

 ラヴェル 「夜のガスパール」

 私はYouTubeにアップされたポゴレリッチとアリス夫人のレッスン風景(英語字幕付き)を見て、やはりベルトランの原作をみっちり読み込んでいたのだと納得したのであるが、その後でも、原典に当たろうとしなかった自分を演奏中猛烈に後悔した。
ラヴェルがベルトランの作品を元に描こうとした世界が、ポゴレリッチによって巨大拡大鏡を通したように巨大化され果てなく拡がっていく。確かにラヴェル、確かにガスパール。そして弾くのはポゴレリッチ。この三者が渾然一体となって繰り広げる音の絵画は唖然として巻き込まれるより他になす術がない。
三時間頑張った末に、目の前で巨大スカルボ(銀色の煙付き)に踊り狂われたお客の身にもなってほしい。

 全ての演目が終了したとき、私は立ち上がって拍手をした。他に何が出来たであろう。30年近く格闘した演奏家に完敗した気分だった。でも気持ちは良かった。この路線で行ってくれればいいとさえ思った。しかしそんなに上手くは行かないのだろうなともおもった。

 果たして、翌日の福岡では休憩なしで3時間、更に曲は全く別物のようだったそうな。更なる完全(と称するもの?)を目指して、この演奏家はまた進んで行く(号泣)

2010年5月 5日 (水)

行ってきたぞと勇ましく

今列車の中です。後もう少しで松本です。
ポゴレリチコンサート、どうにか行って帰って来られそうです(感涙)
ぽごのコンサートで立って拍手したのって、何年振りでしょう。もしかしたら始めてかも(私はポゴには厳しいファンでした)
しかし三時間とは、コンサートの時間とは思えません。
もうすぐ着くので続きは後程。

2010年5月 3日 (月)

それは突然やって来た

 四十九日の法要終了後、貯蓄型火災保険の手続きも済み、ほっとしていた連休前のとある夕方。それは突然配達されたのでありました。

 「霊園使用権継承手続き」

 ここ一ヶ月、何度となく足を運んでいたのに、この手続きは思い浮かびもしませんでした(笑)

 早速同封されていた書類に目を通していると埋葬をしていいか申請する書類があり、その紙の一番下にある決済欄には「この申請を許可して良いですか」の一文と大きな決裁印欄。

 ごめんなさい、ごめんなさい。ワタクシ10日も前に勝手に埋めてしまいました(汗)
うちの父は非合法埋骨者? フキフキ "A^^;

 と、恐れおののきつつ、30日に時間をとって慌てて役場に駆け込んだところ、何も言われずあっさり受理されてしまいました。
あれだけ脅かしてそれはあんまりな・・・。もっとも問題が起こっても困るのですが(笑)
それにしても火葬許可証って、納骨にも必要な書類だったのですね。私それをちっとも存じませんで。納骨なら納骨許可証だろうと今でも思ってます(笑)

桜日和

 父の四十九日法要と納骨は、目覚めてみたら世界が雪に埋もれていた(前記事に衝撃の画像有り)という幕開けからは、信じられないほどの青空の下、うらうらとしたお天気の中で静かに穏やかに進んだことは、前記事のコメント欄で述べたとおりでございます。
その中で何より印象深かったのは桜でした。菩提寺のしだれ桜、霊園の桜、霊園からの帰り道らある古刹のかなり有名な桜。どの桜も今を盛りと咲き誇っていて、桜の競演という様相を呈しておりました。正直、一日でこんなに色々桜を眺めたのは初めてかもです(笑)

 さすがにお墓で桜写真の撮影は憚られたので、当日はなにも写真を撮りませんでしたが、翌日、石材店にお支払いにいったついでに松本市の桜を撮って参りました(画像クリックで拡大します)。

Photo

   開智小学校の桜。

本当は目と鼻の先にある松本城の桜を撮れば良かったのでしょうが、疲れ果てていくのが嫌だったのでこれでご勘弁を(爆)

桜以外も撮影しました(こういうのは摂れるのよね、私)。

Photo_2


 心の灯火をというヤツでございましょうか。


Photo_3

 うーむ、あぢわい深い・・・

 こうやって我が家も少しずつ平静に戻っていくのでございましょう。


 とか思っていたら、とんでもないこと勃発(続く)

« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »

フォト

ぽんずの風景

  • 図書館の桜
     携帯で撮った写真です。 見事なまでのピンぼけ(とほほ)。 ご感想などおありでしたら 掲示板へどうぞ。

にゃんこ

  • 爆睡
    うちの故猫です。 可愛いと言って~!

友人リンク

猫リンク

勝手にリンク

私リスト

  • マイハイク
  • まいはてブ