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2010年5月 7日 (金)

五月五日ポゴレリッチコンサート

 今回のポゴレリッチのコンサートで特筆すべき事は、それぞれの曲を通して作曲家像をかつて無いほど明瞭に、しかも説得力を持って聴衆に提示しきった事だと思う。

 最初のショパン「ノクターン作品62-2(55-2からの変更)」の冒頭は、強調された、骨太でよく響く低音がたっぷり拡がるものだった。優雅と言うより雄大と言えた。どの音もたっぷりと響き続けながら、作曲家が意図し、仕組んだであろう和声や対位法が素人の私にもそれと分かるほどはっきりと示し出される。前半に現れるトリルなど、違う曲ではあるが「ショパンは才能ある作曲家なのです。ショパンはこの音をここで響かせるための準備を既にここから始めているのです」と07年に開かれたマスタークラスでポゴレリッチ自らが話したように、長い音の準備の必然として、ショパンでなければ書けなかったであろう音として響き渡った。私はこれほどショパンでしか有り得ないトリルはあまり聞いた記憶が無い。
曲は全体として雄大で、愁いに満ち後半は哲学的でさえあった。途中死を思わせるようなモチーフも現れた様に思う。ショパンで死のモチーフと言えば私は83年ホロヴィッツの弾いた「英雄ポロネーズ」を思い出す。あの時も英雄の勇ましさより死に向かう英雄の悲哀が感じられた。当時私は作品を聞くとき、生身の演奏家などまるで眼中になかったから英雄は勇壮なものでしかなかった。しかし19世紀初頭にポーランドで生まれ育ったショパンを「ワルシャワ蜂起」の時代を生きていた人間として捉えれば、英雄はそれと知って死に向かっていく死のイメージであっても不思議ではないし、結核を患い続けた作曲家のノクターンに死のイメージが浮かび上がったとしてもこれまた不思議ではない。
 続くソナタ3番も野太い音だった。この曲はそもそもショパンのイメージ-華やかな社交界サロンの寵児が弾く曲とは、明らかに違う深さがある事は異論がないと思う。だから線の細い華麗な響きでなかったとしても驚きではないのだろうけれど、それでもぎょっとするほど太い音だった。こんなものを社交界のセレブ連の前で演奏した日にはどうなってしまうのか?本当にこの響きをショパンが求めていたという証拠は?
しかし私の頭にあまりに有名なこの言葉が浮かんだ。
「気分のすぐれないときには私はエラールのピアノを弾く。気分が良くて自分の求める音を得たいときはプレイエルを弾く。」
そして更に、来日直前のメールインタビュー(リンク)でポゴレリッチ自身が語っていたショパン像がこれに続く。

ショパンは素晴らしい才能をもっていたのにもかかわらず、彼をとりまく人々に関しては、あまり幸せな状況ではなかったといえますね。彼の才能をもっと周囲の人がサポートしてあげるべきだった。 私はショパンとは対照的に、健康的な生活を送ることに重点をおいています。精神的にも身体的にも頑丈でないといけませんからね

 もしショパンがもっと健康だったら。もしショパンがもっと気力に満ち、毎日プレイエルに向かえたら、果たして私がショパン的と信じて疑わない音色のままであったろうか。
私はショパンと言えば即エラールの繊細で優雅な音色を思い浮かべる。ショパンはプレイエルで音を作ろうとしていたにも関わらず。ならばこの響きがショパンでないと誰が断言できるだろう。
 
 昨年ワルシャワではこのプログラムでのコンサートはチケットも完売の上、大喝采を浴びたという。ポゴレリッチがポーランドで人気の高さが、彼の鮮烈なデビューが他ならぬショパンコンクールによるものだけであるなら、チケット完売は説明出来ても、演奏後の大喝采を説明しきれない。しかし、もし、彼の演奏が私の抱くショパン像(社交サロンの花形 パリの寵児 女性のアイドル)ではなく、若くして故郷を立ち、異国滞在中のワルシャワ蜂起、列強の祖国への無理解と無関心(一ポーランド人としてショパンの受けたであろう無理解と無関心)を経験した芸術家の、パトロンや聴衆が決して目を向けようとしなかった部分、つまりポーランドからみえるショパン像に光を当てているのなら、この喝采は十分説明が付くと思う。

安川加寿子先生は「ショパンは男性的です」とよく仰ったらしい。しかしそれを聞いた人々が(雑誌などで読んだ私も含めて)、彼女の言葉の真の意味をどれだけ理解しようとしていただろうか。


 二楽章は演奏者がマスタークラスでも、その前のインタビューでも指摘していたとおり、印象派を先取りするような響きが描き出された。そして三楽章、どの音もたっぷりと響き渡り、今まで知らなかった旋律が次々と現れて絡み合っていった。どの音にも作者の意図がはっきりみえるように響いた。ポゴレリッチの演奏で、私は初めてこの3楽章を長いとは思わなかった。最終楽章は盛大、華麗というよりひたすら深かった。しかしポゴレリッチの提示したショパン像ならばこの深さは十分妥当であるとしか私には言えない。

 リスト メフィストワルツ第一番

 ポゴレリッチの弾くこの曲は、当時の流行小説をあらゆる技巧と才能を駆使し、まるで映画化でもするように音にして描き出し、集ったお客達の度肝を抜いたであろう当時の様子を生き生きと描き出す。リストがレーナウの「ファウスト」を選んだのは、芸術的インスピレーションというよりは、当時の人気小説だったからに違いないと思えてくる。何故ならば、客が本を読んでいなければ、何を描いているかみえないからだ。単純でわかりやすく、みんな読んでいるから曲にした。その位描写は生々しく、猥雑で、しかも楽しい。当時、これを聴いている客の反応が目に浮かぶようだ。
 
人気小説の音楽化という商業目的の中に、はっと驚く程見事なパッセージや、唸りたくなる対位法を仕込んでいるリスト。ポゴレリッチの描くリスト象はお得意客を逆手にとるしたたかさに溢れ、サロン(メシのタネも当然ある)と体力的劣勢の中暗く哲学的な戦いをしていたショパンと対比をなして前半戦終了。この時既に一時間40分経過。


 午後4時、プログラム後半開始。この時、後半プログラム冒頭に、ブラームスの前奏曲作品118-2が加えられることがアナウンスされる。

 ブラームス 前奏曲作品118-2

 「メフィスト」と、「悲しきワルツ」という本案物に対する対比の間に、演奏家ではなく音楽家だけの道を選んだ(選べたとも言える)ブラームス作品を加えることにより、作曲家と時代(ショパンとブラームスは20歳以上年が違う)の違いも浮かび上がらせることが出来たと思う。ショパン、リストとブラームス、同じロマン派でも、決して十把一絡げに出来ない多様性がよく分かる。
演奏は沈思黙考方のブラームスとでも言えばよいのだろうか。思いっきり真面目な人が作った曲ですと言わんばかりの演奏(ごめん、この作曲技巧は私には歯が立たなかった)。
 
 シベリウス 「悲しきワルツ」

 プログラムから推測した時は、人間の生と死がこのプログラムのモチーフなのかと思ったけれど大外れ。
リストと違い、純然たる芸術的視点から作曲したように聞こえる(ポゴレリッチがそう演奏している)シベリウス。19世紀から20世紀にかけての、人々の音楽のとらえ方の変化がよく分かる演奏。作曲家シベリウスを通して、当時の人間の内面まで垣間見られる様な演奏。

 ラヴェル 「夜のガスパール」

 私はYouTubeにアップされたポゴレリッチとアリス夫人のレッスン風景(英語字幕付き)を見て、やはりベルトランの原作をみっちり読み込んでいたのだと納得したのであるが、その後でも、原典に当たろうとしなかった自分を演奏中猛烈に後悔した。
ラヴェルがベルトランの作品を元に描こうとした世界が、ポゴレリッチによって巨大拡大鏡を通したように巨大化され果てなく拡がっていく。確かにラヴェル、確かにガスパール。そして弾くのはポゴレリッチ。この三者が渾然一体となって繰り広げる音の絵画は唖然として巻き込まれるより他になす術がない。
三時間頑張った末に、目の前で巨大スカルボ(銀色の煙付き)に踊り狂われたお客の身にもなってほしい。

 全ての演目が終了したとき、私は立ち上がって拍手をした。他に何が出来たであろう。30年近く格闘した演奏家に完敗した気分だった。でも気持ちは良かった。この路線で行ってくれればいいとさえ思った。しかしそんなに上手くは行かないのだろうなともおもった。

 果たして、翌日の福岡では休憩なしで3時間、更に曲は全く別物のようだったそうな。更なる完全(と称するもの?)を目指して、この演奏家はまた進んで行く(号泣)

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コメント

コンサート評、拝見しました。
あの夜が甦ってきました。
それにしても凄い、演奏会でしたよね。
現在ふぬけ状態です。
待つ期間は長く、演奏も長かったけれど・・・、終わってみると時間が経つのが早いです。もうずいぶん前のように感じられます。ちょっと幻だったような感覚。
「夜のガスパール」をもう一度じっくり聴きたいです。
実家の母は、「そんなに長く弾いてくれるなんて、ずいぶんと安い演奏会だったね。」と・・・・。

はるぴょん様

 はるぴょん様もですか。
私もフヌケてます。もうだるくてだるくて(笑)

>>「夜のガスパール」をもう一度じっくり聴きたいです。
 わかります!
それから突発的に曲が頭の中に鳴り響きませんか。私はリスト→オンディーヌと鳴り続け、今朝からショパンの終楽章に襲われてます。頭痛いです(T_T)

>>ずいぶんと安い演奏会だったね。」と・・・・。
 確かに!一分当たり幾らとかなら断然お買い得ですよね。あの場でその真理に気がついたお客がもっと多かったら良かったのに。
今思ったんですが、マエストロって、量り売りがお好きなんでしょうか。
ひょっとして「同じ値段で、ほらこんなに!」
みたいなサービス精神の発露だったりして^_^;

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