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2011年6月の4件の記事

2011年6月11日 (土)

想定はいつでも軽く越えられてしまう。


 
  今週、やっと免許の更新を済ませる事ができました。
免許の写真など、なにも期待していない事に変わりはありませんが、5年前の、あの衝撃(リンク)は避けたい私でした。

 しかし、風に吹かれてぼさぼさなお髪を直す暇さえなく、いつものように、あっというまに撮影終了。

 敗北感を噛みしめつつ2階講習室へ。ビデオを見ながらも出来上がる写真の不安に戦く私。
講習を終え、手にした新しい免許には、

  なんと、マメダヌキが一匹写っておりました。


 今度は動物ですか。この展開は想像していなかったわ(T_T)


 蛇足
交通安全協会の会費、逃げ延びることが出来ずに払わされてしまいました。
事故に遭うと10万円の補償も付くみたいですが、この補償、死なないと出ないのね。
これもなんか悲しい(T_T) 

2011年6月 7日 (火)

しみじみ語るにゃんこのおもひで ハエトリグサのお話し

 うちの故息子猫ほっしい(アイコンの猫です→)は、朝私を起こすのに部屋を泣きながらかけずり回るのをルーティンにしていました。でもないて走っただけでは労多くして実りはない。故にそのコースに私の顔上を含めて走っていたのです。それも走りながらキックもすれば、悔しながら効果大(~_~;)
 
 ある朝の事、いつもの様に顔面走行をしていたところ、私が開けていた半口の、その隙間に後ろ足がずぼっ!それも踏ん張ろうとして爪が全開で(^◇^;)

 むせながら飛び起きてみると、ほっしいは私に向かって涙の抗議。反射的にごめんと謝っても許してくれず、鬼でも見るような目つき。この怒りの抗議、数日続きました。

 ひどいと思いました。私だって、いえ、私こそ被害者なのですもの。だって、トイレの後でその足洗いましたか?あんまりだわ。私はずっとそう思っていました。
でも、今よくよく考えてみると、私は、あの衝撃に、ひょっとして、思わずかじってしまったのかも。ほっしいの後足を・・・・。

 刺激を受けると閉じるんです。口がハエトリグサの飼い主でごめんなさい。

2011年6月 5日 (日)

もげた!&土砂降りの予感

 毎度お騒がせな庭のさつきと花々たち。今年も咲かずの庭かと諦めていたところ、今頃になってつぼみがついた木が何本も現れたのでございます。

 いやーん、うれしい(^^)←前に咲いたのはさつきではなくつつじだったのでは?というツッコミは無しね。

 と、喜んだのは10日前。しかしその直後、いつになく早い梅雨入りと、更に追い打ちをかけるような台風二号の到来で、

 せっかく付いたいたいけなつぼみちゃん達は咲く直前に

Cwh4uyw00up


 もげかけてしまいました! あまりに強い雨脚で上向きから下向きに!

 もげないまでも、咲くときに雨降りだったら花は持ちませんよね(涙)

 
 しかしもっとかわいそうなのはこの子。Cwh4uyw14up

 咲いた途端に土砂降りに遭ったフリージア。三つ球根を植えて、前の二つは咲いた途端に何故か土砂降り。最後の望みのこの株も、なんと開花から丸二日間、見事なまでの大豪雨に曝されました。長野県では土砂崩れさえ起こりましたわ。

 匂いがよいフリージアですが、香りなんて全くしませんでした。雨に打たれすぎてアロマが漂う余地もない(涙)


 と、何かに祟られた感のある我が庭ですが、ここ数日の暖かい陽気で花も咲き始め、つぼみも続々、花も続々咲き始めたのでございます。

 でもね。3株咲き終えたはずのフリージア。花芽がまだ残っていたらしく、今朝また咲いたんですよ。これは絶対・・・・

 今夜は土砂降りだーーー!

 花達の運命やいかに(T_T)


謹んで追記
     かみなり付きの土砂降りでした(T_T)

2011年6月 2日 (木)

同じ鉄を二度踏むな

 国会では仮設住宅完成の進捗ばかり論じられていますが、阪神大震災では早期完成を急ぐあまり仮設住宅が不便な場所に作られ、その為にそこに入る事が出来ない人も大勢いました。しかも仮設住宅が全て完成すると、それを理由に避難所が閉鎖されました(95年8月末)。

昨日の朝日新聞に当時の話が詳しく出ていました。

『仮設住宅 数の復興にとらわれずに』牧秀一(NPO法人よろず相談室理事長)
朝日デジタル(7月末まで無料 要登録)

発生から7カ月後の1995年8月、必要な戸数の仮設住宅が完成したとして、国は避難所の運営費用を打ち切った。これに伴い神戸市では小学校など約200カ所の避難所が廃止。食事の配給もなくなった。

 しかし、すぐには移れない被災者が数千人いた。仮設が造られた場所は不便な遠隔地も多かったため、仕事や子どもの学校などの事情で残らざるを得なかった人たちだ。アパートなどを自力で借りる資力にも乏しかった。
同市は避難所の代わりに、炊事設備のある「待機所」を学校など12カ所に設けた。「仮設に移るまで待機する場」という意味だ。だが、収容可能人数は一気に縮小されて約2千人。直前までいた避難者数の4分の1程度しかなかった。このため、廃止された避難所に「不法占拠」と言われながら残ったり、公園にテントを張ったりする被災者が相次いだ。

 その後、待機所は97年3月まで残された。

 避難所閉鎖の時だけは、行き先の無い人達についての報道もありましたが、それも次第に無くなったように記憶しています。待機所が97年まであったことも知りませんでした。

仮設に入居した人も、地域などを無視して割り振られたため、人里離れた見知らぬ土地で、全員見ず知らず同士状態から近所づきあいを始めなければならず、被災者のストレスは大変なものだったようですし、孤独死なども何度も報道されました。建築に300万、撤去に100万掛かるという仮設住宅も、被災者にとっては入っても地獄だったのかもしれません。
その上国の復興計画が大型事業に偏って人々の生活再建は十分とは言えなかったせいか、仮設入居期限の2年を過ぎると仮設後に行き場のない人が続出し、結局阪神大震災で仮設住居が無くなったのは地震発生から5年後だったのは有名な話です。

 今回の大震災では、避難所や仮設住宅に対して今までにない柔軟な措置が特例としてとられたため、岩手県住田町では木製の仮設住宅が出来たり、仮設住宅の他に、仮設商店街や集会所宅幼老所を造る案が出たりしています。これらが上手く行けば人里離れた乳母捨て山ではない、生活再建の足場になれる仮設住宅が実現するかも知れません。
でも、2年の期限が付くために、仮設代わりにアパートに入居しにくかったり、仮設から仮設へ転居できない規則のために、仮設入居に慎重になる人が沢山いたりという、避難所や仮設住宅を縛る「災害救助法」に根本的に切り込まないと解決しない問題も多いのです。これらに一々特例を出していたのではスピード感に欠けるのも道理。しかし議論も報道もこの本質には少しも触れず数と速度の話ばかり。どうしてもう少し実のある話ができないものかなと、なんか絶望的な気分。

 というより

阪神はこうだった、早かった、すぐ決めた!とわめく議員は、あの惨劇をもう一度繰り返したいわけ?と思うのです。

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