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2011年7月の3件の記事

2011年7月31日 (日)

タダほど高いものはない

 7月は、つぅる・ど・おふらんすの時期なのです。
毎年毎年、この時期になると指をくわえてサイトのレースレポを読んでいた今までの日々。それが今年は違いました。
何故なら、スカパー16日間無料お試しを、ツールに合わせて申し込んだから。

 テレビを買い換えたのは去年秋。その無料お試し権を今まで取っておいた私のなんという深慮遠謀。
申し込んだのは7月8日。この日からなら16日後はレース最終日の24日。万が一、きっかり16日で受信不能になったとしても、最終日はパリへの凱旋レースなので、それよりは一日でも余計にレースを観ようという更なる我が深慮遠謀。こう言う知恵がどうして他では回らない?

 
 毎日レースを観られる喜びに嬉し涙にむせんだのもつかの間、観れば初日から大規模な落車が続発し、かなりの有力選手が『既に』リタイア済み。去年の覇者は落車で低迷という、何やら嫌な予感が漂うもの。
更に日曜日の第9ステージでは、またまた救急車レベルの落車事故に、先頭集団では逃げの選手がテレビ局の車に選手二人がはね飛ばされるという大惨事まで発生(二人とも注射打たれながら走り続けましたが)。
この調子でいくと優勝候補が一人もいないレースになってしまうのかもと恐れおののきながら、録画だけで観るを能わぬ日々が続き、しかしレースはその後無事に進み、ピレネーを越え、アルプスステージに入る頃には近年にない面白い展開となったのでありました(ネット情報に依る)。

そこで私は決心しました。22日金曜日、第19ステージ、アルプスの難所『ラルプデュエズ』は寝ないで観ようと。
しかしテレビをつけると黒い四角の中に、「無料お試しはもうすぐ終了いたします云々」の文字。それが放送中15分おきに、数分間ずつ表示されてしまうのです。
終わる三日も前に何故?という事もさりながら、困るのが画面の1/4に迫ろうというこの大きさ。これが出てしまうと見えそうで何も見えないという状態に。
それが15分おき数分間。
しかもレースはデッドヒートのラルプデュエズ。幾らタダでもこの仕打ちはあんまりだ!スカパーなんて二度と観てやるもんかーーー!と叫びながら夜は更けたのでございました(号泣)
その後、放送だけでなく、録画(しかもお試し期間中の録画全部)にまでお知らせが現れることが判明し、絶望の中で残りの土曜日曜は終わったのでございます。

 そして期間が終わった月曜日の朝、ふとCSを観てみれば、何のことはない、まだ映っているのです。更にあの見苦しいお知らせ画面もどこかに消えて。結局見放題のおまけ放送は火曜日の夜まで続いたのでありました。

 散々邪魔しておいて、なんなの、このツメの甘さは!って、お金払っておけばよかったのかも(号泣)   

2011年7月 8日 (金)

さつきその後

数々の苦難を乗り越えた我が家のさつき。

 咲いてくれないのかとばかり思っていたところ、

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 こんな感じに咲いてくれました。


 しかし!

 咲いた直後に大雨、長雨。
花びらはあっというまに色あせ、しおれたのでございます。

 更に困難を極めたのが花がら摘み。雨に打たれてしおれた花びらは、ゴムのように葉っぱに茶色くへばりつき、取るに取れない状態に。
仕方が無いので、剪定の時に一緒に刈り込む事にしました。しかし剪定をするまでの間、しなびて張り付いた花びらから、病気が入らないか気が気ではなく。しかも剪定を阻むように連日の雨。

 そんなはらはらする日々の後、今月初め、やっと剪定をすることが出来ました。めまいの出そうな日でしたが、この日を逃したらもう切れない。そんな状態でしたので、さつきはみごとなウェーブ状に刈り上げられたのでございます。
波打つさつき。シュールです。

 そんな次第で我が家のメインイベント、さつき祭はなんとか幕を閉じたのでございます。


そういえば父は花が咲いたら即むしっておりました。もう少し眺めていたいと家族が言っても聞く耳持たず。


 一年頑張って覚りました。つまり、さつきって、一年間手間暇掛けて、咲いたら即むしらないといけない植物だったんですね。


   あ、あんまりな展開だわ(号泣)

崩れた人(社会ネタ)

 香山リカ氏は、今まで社会の色々な現象を、人々の多様性や個々の理由をかなり無視して論じ、かつ断じて来た人だと私は思っています。その氏がダイヤモンドオンラインで「今、反原発にのめり込んでいるのはニートや引きこもりである」と全く根拠無く断じた時、

「小出裕章氏が反原発のヒーローとなったもう一つの理由 」(リンク

 私だけでなく他の大勢の人は、氏が反原発に反感を持ち、その担い手を単純化することでこの運動自体を理性の通らないものだと見せたい、またはそう信じたいのであろうと思ったのですが、その後に出された氏の謝罪記事

「前回のコラムについて――お詫びと補足」(リンク

 を読んで、話はもっとグロテスクなものである様に思えました。

 氏は以前から反原発の立場であったのだそうです。そして反原発の立場でありながら何故あの様な記事を書いたのかという理由に、

 

 これは、いったい何なのか。原発問題の恐怖や不安といった現実の問題を超えて存在する、「原発問題がもたらす心の変化」とは何なのか。

 と、心の変化が起こり、

しかし、そう考えて原発について情報を集めたり基礎的な知識を学んだりしようとすればするほど、自分の関心が本質からずれて行ってしまう

つまり、原発問題を純粋に考えていたところ、この原発問題を含む領域の広さにひとつの小宇宙を感じたひとりは、他ならぬ私だったのです。この当初の使命感を超えて関心を示している自分の心理は何なのか。

 と、その変化を突き詰める為に、今までの様に反原発の活動が出来なくなったと書いています。

しかし氏が考える間にも世間の人は動いていた。

 そしてその人々を氏は

『 彼らには自分が抱えてきたルサンチマンが一気に晴らされた』
という理由で活躍している
『これまで一般社会にうまく適応できなかった、引きこもりやニートといった人たち』

と、断じた訳です。ニートと引きこもりはどちらも、氏が今まで紙上で思うままに診断し、分析し、判決を下してきた人々です。

 
『この原発問題を含む領域の広さにひとつの小宇宙を感じたひとりは、他ならぬ私』を尻目に活躍している人達は、

『 彼らには自分が抱えてきたルサンチマンが一気に晴らされ』

 た人達であり、氏とは別ベクトルで動いているのであり、氏は彼らの様に動く必要はなく、もっと言えば

『自分のこころに潜む問題について認識しておく必要がある』

 ので、動かないことには、彼らのルサンチマンとは大違いの深遠な理由があるのであると、突き詰めればそう書いてあるのです。

 あれだけの大震災でショックや不安を感じることは当たり前の事です。誰しも、脱原発で動いている人々でさえ、あの震災後から抜け出せてる人はいないのではと思います。
しかし、いつも社会現象を外から断じて来た氏には、自分が現象の渦中に巻き込まれている状態が、多分耐え難いもの、あるいは予想だにしたことのない事態なのでしょう。更に反原発運動に関わってきたとはいえ、氏は基本的にこの社会の仕組みを何一つ疑うことなく受け入れ、それを盤石で不変なものとして、他の人よりずっと寄りかかってきた人に思えます。
そんな人が震災後に受けた変化は、いつも社会に不安を感じていた人よりは当然強いはずですが、見た目リベラル路線だったために、曾野綾子氏みたいに「原発は安全」と言う架空の安全基盤を描きその幻想で自らを奮い立たせるという力技を使うこともできなかった。

 氏は今までニートや引きこもりのために記事を書いてきたわけではなく、自分の強靱さ、偉さを感じていたい、氏やその他の人達のためにニートや引きこもりについて断じる記事を書いてきたと思います。そして自分の強靱さを今までになく必要とする今、今まで使ってきた同じ道具を使って立ち上がろうとしたのでしょう。他人の道具にされる人々の困難さを考えることなく。
相手をくさすための単純化の方がまだ救われる。

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