人生は平凡だと思っている人達へ・・・
私は周りはたんぼしかないような場所に住んでいますが、そんな地域でも、ある日車の運転中、道ばたにある胡桃の木の下に、美味しそうな胡桃がふんだんに転がっており、なのに道は狭く、車を停めて拾いたいけれど後続車もいれば対向車も来て、車を停めることなど出来そうにないのに、胡桃は美味しそうに光り輝き、拾わざれば車に潰されるばかりの体。
私は通交を妨げて胡桃を拾うべきか、それとも社会の慣行に従い自然の恵みを踏みにじるべきか、煩悶しつつも世間体が気になり結局停まれず、自分の優柔不断を呪いながら、その先を左折し、更に百メートルほど行った交差点を越えた後、
どうしたわけか数十メートルに亘って、度キッパリと右側通行をしたのです。これは踏みつぶされた胡桃の怨念のなせる技なのかは知りませんが、はっと我に返ったときの恐怖と、後続車の、必要以上にキープレフトを保った及び腰のぎこちない運転が平凡などと言ったら、スパイ映画など退屈の極みと申せましょう。
これが田舎に住むおばさんの私に、ほんの数日前に起こった出来事なのです。
スリルに満ちた出来事はごく一部の人にしか起こらず、普通の人は取るに足らない人生を送っていると考えている人がいます。それは違います。どんな人にも色々な、様々な日々があるのです。ただそれらは記録に残らないだけで、中味がないわけではないのです。
人生というものはその人だけのかけがえのないもので、他の誰かがその価値を云々する事ができる筋のものではないのです。
ただしこの出来事は記録には残ったけれど中味はないわ。それは認める(・_・)
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