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2015年5月の2件の記事

2015年5月30日 (土)

続・芸術家達にお茶を プリセツカヤさん追悼

 もう一ヶ月近くも前の事になってしまいましたが、バレリーナのマイヤ・プリセツカヤさんが5月2日心臓発作のためドイツの病院でお亡くなりになりました。享年89歳。


 私は前に「芸術家達にお茶を」(リンク)という記事で、プリセツカヤさんにお紅茶を淹れた話を書きましたが、プリセツカヤさんといえば、公演翌日、お見送り要員としてかり出され、特急あずさ車内で私が「ダスヴィダーニャ」とつてを頼って前日習ったばかりのロシア語(通じたのかは疑問)を発した時の姿、
華奢で、知的で、淡いピンクのシャネルスーツ(だと思うんですけど)をお召しになって、本当に上品で、パリの高級住宅でマホガニーの家具に囲まれていそうな彼女が、とても気さくな感じで優しく微笑んで下さった、その優しい笑顔とその時の姿が今でも目に浮かびます。ほんとに気さくだったのです!!!あの当時でさえ伝説だったのに!!!

 と、ひとしきり感慨に浸っていたのですが、FBのお友達Uさんが「この年代の旧ソ連の芸術家は家族が粛正に遭っている事が多い」と書かれていて、話としては知っていても、個別の事例としては想像もしていなかった私ははっとさせられました。

そしてこの記事を読んでもっと驚きました。

『バレエ界の伝説プリセツカヤ死去』(リンク

 件の公演には振り付け師でマイヤさんの弟、アザーリ・プリセツキーさんも同行されていました。このプリセツキーさんが、なんとお母さんと一緒に5歳の時までラーゲリに収容されていたというのです。

 プリセツキーさんは、ボーダー柄のポロシャツを着て、お腹がすこしぽっこりして(ほんと少しだけですよ)、いつもにこにこされて、とても感じの良い方でした。私のあの「ダスヴィダーニャ」にも大受けして下さった(ありがとうございます)、あの朗らかな人がラーゲリ経験者だったとは。親御さんの粛正もびっくりでしたが、こちらのショックも相当なものでした。

 前の記事にも少し書きましたが、あの公演にはKGBと覚しき人数人も同行していました。時々目つきが鋭くなることはありましたが、ニコニコした話し好きな感じの人達でしたので私は何度か話しかけられました。
しかしボリショイの団員さん達は、衣装係のおばさん達も含めて、全員がこの人達をガン無視していました。というか態度が冷たい、硬い。どんなに楽しげに笑っていても、その人達が側を通ると笑うのをやめるのです。
当時私は「ここまで徹底するなんて、監視って続くとそこまで嫌なものなんだ」程度の認識しかありませんでしたが、この徹底ぶりは謎として心に引っかかっていました。
それが今回シノドスの記事を読み、マイヤさん、プリセツキーさんの来歴を知った後、あの冷たさが監視に対する反感というよりこのお二人に対する団員の敬意もあったのだと思い至りました。

 さらに、これは私の成長もあるのでしょうが、ボリショイの団員さん達全員の、KGBに接する時のあの徹底した態度の冷たさは、プリセツカヤさんとアザーリさんに対する敬意だけでなく、亡命して故郷を捨てざるを得なかった人、亡命しえなかった人 、そして粛正された全ての同僚、友人、家族の為に、彼らがとった抗議の形だったと思えてきました。静かに、忘れることなく、徹底して。


 プリセツカヤさんが政治的だったかどうかは私は知りません。しかしどんな芸術も生きた人間が生み出すものであり、人生はえてして政治に翻弄されます。政治と関係のない芸術など、歴史上存在さえしなかったのかも知れません。

 自由主義社会に住みながらプリセツカヤさんのバレエを堪能し、なのにソ連の国家権力に対して無知で無頓着だった私。全員で静かに抗議をし続けていた団員。
そんな私にさえ優しく笑んでくれたプリセツカヤさん。

 プリセツカヤさんがバレエ界に切り拓いた新たな境地が忘れ得ないならば、彼女が生きた時代の困難さをも忘れないようにと思った次第です。

ご冥福をお祈り申し上げます。

2015年5月17日 (日)

風邪が治った日

 3月末で隣組長の任期も終わり、その後の役員引き継ぎも終わった四月最終週から、懸案の親戚留守宅の片付けを本格的に始める事にしました。
もちろん私一人では不可能なので業者さんが見積もりに来る事に。それで当日泥縄式に玄関前の掃除をしたわけです。広い道路沿いなので埃が溜まるのね。四月の29日、もう花粉も飛んでないと思って油断してマスクもせずにお掃除したため、この後思いっきりアレルギー性鼻炎になり、さらに日曜日(5月の3日ですね)、寒気がするのを無理してもう一度親戚宅を訪れ、汚れていた食宅椅子の丸洗いするという暴挙に及んだところ、夜から寒気と喉のイガイガと咳。そして歩いているだけで呼吸が苦しい状態に。この日から四日間、世は黄金週間~というわけで医者も休み。毎日休日当番意表を睨んでは、今日行くべきか連休明けに行くべきか悩みつつ咽せていたのでした(ぜーぜー)
そして連休明け、激混みの医院で一時間半待って診察してもらい、見事なまでの気管支炎との見立てで五日分薬をもらって帰って来たのでした。お薬五日分って聞いたとき「五日じゃ治らないから七日分にして」と言いたかったのですが、黙って帰って来ました。
でもやはり五日では無理だったらしく、薬が終わった水曜日に再受診。もう五日分もらって、それが終わるのが今日なのです。
一昨日あたりから寒気も取れ、咳と鼻の調子もやっと良くなりました。いやはや四月の終わりから長い旅路でした。

 そんな今日という日曜日が、いかに輝き渡るものであったのか。

 朝、作っていたライスプディングを大々的に子がしました。ちょっと目を離した隙に吹きこぼれて量が少なくなったためあっという間に焦げ付いたのです。
レンジ周りの吹きこぼれ掃除(牛乳1カートンの7割くらいこぼれてました。状態としては薄いコンデンスミルクの海)、お鍋の焦げ付き取り(重曹で煮立てましたが手強いわ。まだごっそり焦げ付いてます(T_T))でお昼になりました。

 お昼前、午前中に行く予定が大幅に遅れましたがなんとか買い物に出発。 
ふらふらしながらなんとか買いそろえ、うちに帰ってから、買わなかった玉ねぎが殆ど無い事を知りました。あんなにあったのに!って、嗚呼、今朝おみをつけを作るのに大々的に使ったのを忘れていたんだわ。もう一度買いに行く元気はないし、玉ねぎなしでどうやって今夜を乗り切ればいいの?(涙)

 夕方、これだけひどいことが続けばもう何も起こらないよね、などと考えながら洗濯物を取り込みにベランダに出たところ、私のバスタオルが床に落っこちていました。
朝干したとき(ベランダで焦げた匂いに気がついたのです)に、多分洗濯ばさみで留め忘れ、埃と黄砂だらけのベランダ床に落ちたバスタオル。洗い直しにゃ・・・

 これが風邪が治った私の今日一日です。風邪が治ったんだから良かったと思わなきゃ。倒れないで私・・・(号泣)

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