続・芸術家達にお茶を プリセツカヤさん追悼
もう一ヶ月近くも前の事になってしまいましたが、バレリーナのマイヤ・プリセツカヤさんが5月2日心臓発作のためドイツの病院でお亡くなりになりました。享年89歳。
私は前に「芸術家達にお茶を」(リンク)という記事で、プリセツカヤさんにお紅茶を淹れた話を書きましたが、プリセツカヤさんといえば、公演翌日、お見送り要員としてかり出され、特急あずさ車内で私が「ダスヴィダーニャ」とつてを頼って前日習ったばかりのロシア語(通じたのかは疑問)を発した時の姿、
華奢で、知的で、淡いピンクのシャネルスーツ(だと思うんですけど)をお召しになって、本当に上品で、パリの高級住宅でマホガニーの家具に囲まれていそうな彼女が、とても気さくな感じで優しく微笑んで下さった、その優しい笑顔とその時の姿が今でも目に浮かびます。ほんとに気さくだったのです!!!あの当時でさえ伝説だったのに!!!
と、ひとしきり感慨に浸っていたのですが、FBのお友達Uさんが「この年代の旧ソ連の芸術家は家族が粛正に遭っている事が多い」と書かれていて、話としては知っていても、個別の事例としては想像もしていなかった私ははっとさせられました。
そしてこの記事を読んでもっと驚きました。
『バレエ界の伝説プリセツカヤ死去』(リンク)
件の公演には振り付け師でマイヤさんの弟、アザーリ・プリセツキーさんも同行されていました。このプリセツキーさんが、なんとお母さんと一緒に5歳の時までラーゲリに収容されていたというのです。
プリセツキーさんは、ボーダー柄のポロシャツを着て、お腹がすこしぽっこりして(ほんと少しだけですよ)、いつもにこにこされて、とても感じの良い方でした。私のあの「ダスヴィダーニャ」にも大受けして下さった(ありがとうございます)、あの朗らかな人がラーゲリ経験者だったとは。親御さんの粛正もびっくりでしたが、こちらのショックも相当なものでした。
前の記事にも少し書きましたが、あの公演にはKGBと覚しき人数人も同行していました。時々目つきが鋭くなることはありましたが、ニコニコした話し好きな感じの人達でしたので私は何度か話しかけられました。
しかしボリショイの団員さん達は、衣装係のおばさん達も含めて、全員がこの人達をガン無視していました。というか態度が冷たい、硬い。どんなに楽しげに笑っていても、その人達が側を通ると笑うのをやめるのです。
当時私は「ここまで徹底するなんて、監視って続くとそこまで嫌なものなんだ」程度の認識しかありませんでしたが、この徹底ぶりは謎として心に引っかかっていました。
それが今回シノドスの記事を読み、マイヤさん、プリセツキーさんの来歴を知った後、あの冷たさが監視に対する反感というよりこのお二人に対する団員の敬意もあったのだと思い至りました。
さらに、これは私の成長もあるのでしょうが、ボリショイの団員さん達全員の、KGBに接する時のあの徹底した態度の冷たさは、プリセツカヤさんとアザーリさんに対する敬意だけでなく、亡命して故郷を捨てざるを得なかった人、亡命しえなかった人 、そして粛正された全ての同僚、友人、家族の為に、彼らがとった抗議の形だったと思えてきました。静かに、忘れることなく、徹底して。
プリセツカヤさんが政治的だったかどうかは私は知りません。しかしどんな芸術も生きた人間が生み出すものであり、人生はえてして政治に翻弄されます。政治と関係のない芸術など、歴史上存在さえしなかったのかも知れません。
自由主義社会に住みながらプリセツカヤさんのバレエを堪能し、なのにソ連の国家権力に対して無知で無頓着だった私。全員で静かに抗議をし続けていた団員。
そんな私にさえ優しく笑んでくれたプリセツカヤさん。
プリセツカヤさんがバレエ界に切り拓いた新たな境地が忘れ得ないならば、彼女が生きた時代の困難さをも忘れないようにと思った次第です。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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