いらっしゃいませ

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カテゴリー「心と体」の20件の記事

2018年10月22日 (月)

お手々が痛くなった話

 不詳ワタクシめ、夏前から中指や薬指を曲げると元に戻らなくなることが度々ありまして、とはいえ忙しかったのと、痛みが余りなかったため、指を掴んでぐっと伸ばしてそれでヨシとしていました。

 しかし、先週急に寒くなってきてから、指がしくしく痛み始め、医者が休診になる土曜日昼過ぎからはずきずき痛み出したのです。もうね、じっとり冷や汗が出るくらい痛かったです。
かねてより、ばね指(曲げた指が戻らなくなるやつですね)についてネットで調べていた私は、これはいよいよ腱鞘炎が本格的なってきたと思い、腰痛で処方された湿布を貼ったのですが、少しも効かず、痛みは増すばかり。

本日、泣きながら整形外科に駆け込んだところ、やはり指の腱鞘炎との診断。そうだろうそうだろうと思いつつお医者さんの説明を聞く私。
 お医者さん曰く

まずは湿布を貼って安静にしてみて(うむうむ、ネットで調べたぞ)

それでも駄目なら注射をして(これも承知だ!)

最終的には手術という手もある(そこまでちゃんと調べたぞ、私!)

と、無意味に勝ち誇っていた私に、ドクターは

「じゃ、手のひらに湿布ね」

 えっ?そっち?


 下調べしました。炎症の図解もちゃんと見ました。なのに湿布を手の甲に貼りました。
手の血行不良とともに、お脳の血の巡りにも多大な疑問が湧き上がる神無月。
ワタクシぽんずは、指の安静のため、暫くネットを休ませて頂きます。

 ではでは(;_;)/~~~

 誰か私に自棄団子持ってきて~(T_T)

 今よくみたら、手のひら、指の付け根が赤く腫れ上がってましたわ(涙)

2017年4月30日 (日)

お鼻くんくん物語 祝!一周年!!

 皆様、私のお鼻が嗅覚を失った、あの衝撃の出来事から一年たちました!
私の鼻はとうに治っていると皆様はお考えかも知れませんが、実はまだ治療中です。さすがに強力ステロイド点鼻薬は止めましたが、スプレータイプのステロイドを使ってます(^_^;)

 二月の中頃に、急に良くなったんです。お茶が急に美味しくなって高いお茶を間違って淹れているのではと思うくらいでした。香りが戻ると風味がぐんと良くなるんですね。白黒テレビからカラーテレビになった時のような感じがしました。
しかし時は二月。この世のものとも思えぬ楽園な数日を過ごした或る夜、気温が下がったのかマスクをしているにも関わらず寝ている時に鼻が冷たくて痛くて、朝起きたら香りの楽園はすっかり色あせておりました(T_T)

 それからは花粉の季節になってしまい、もう匂いがどんどん遠のいていく日々でした。まるで坂から転がり落ちるみたい。

美味しいお茶が~!!!果物の香りが~!!みんな遠のいて行く~!!!(T_T)

しかもガスの臭いが異様に判らなくて、ガス漏れを起こしていた~(T_T)(T_T)

 失楽園ってこんな感じなのでございましょうか(T_T)(T_T)(T_T)

 泣きそうな日々でしたが、幸い去年無くしたと思った強力ステロイド点鼻薬が戸棚の奥からころっと発見され、医師の許可の元、それを使う事二週間。なんとか花粉による後退を食い止める事が出来ました。やったー!でも三月長く感じたわ~

 そして四月。花粉の威力は侮りがたく、ガス栓が少し開いているのに気がつかずに火を付けてぼわんと炎に包まれ(一瞬、お腹周りだけでしたので無傷で済みました)たりしましたが、日々怠りなくお薬を点して、憂鬱な日々を耐え抜いています。二月の香りの楽園を味わっちゃった後だと、毎日の味気なさも一入です(T_T)

 とはいえ今年の私は松本城に桜を見にも行きましたし、レストランでエスプレッソとカルヴァドス(カフェカルヴァっていうんですって)なんてものも頂いてしまう位には気持ちは前向きになっています。花粉による後退はありますが、去年よりは確実に良くなった筈です。去年の桜の頃なんて匂いなんか殆どしませんでしたもの。 
このまま頑張れば、来年の今頃は、花粉で後戻りをしても今年より良くなっていると思います。そして来年も頑張れば、再来年の花粉で症状が悪化しても尚、来年よりは・・・

 去年の今頃、一年後の私がニオイ回復十年計画を立てていようとは、夢にも思いませんでした。来年の今頃、この記事の続編を書かずに済むように、願ってやみません(T_T)

2016年10月23日 (日)

くんくん物語 Ver.2.365(バージョンにぃてんさんろくご

 新米が美味しい秋たけなわ、皆様いかがお過ごしでしょうか。
緑茶の匂いは微かにわかるのに、コーヒーの匂いがいまだに殆どわからないという摩訶不思議匂いワールドに棲息中のぽんずです。

 香りの強弱と匂いの判別とはまた違うんでしょうか。先々月に日本茶の微かな香りがわかったときは完治ももうすぐと思って色めき立ちましたが、まさかコーヒーでここまで手こずる事になろうとは夢にも思いませんでした。いまだにコーヒーは微かに焦げた臭いしかしませんの。ほんと不思議(^_^;)

 さて、鼻が利かなくなって起こる不思議な事と言えば、空気の匂いがわからないと「気配」を感じられないというのがあります。
夏の盛りに庭で水遣りをしていても、草木や地面が濡れた匂いがしせいなのか、現実感が薄いんです。突然映画か何かを観ているような錯覚に陥ってしまうんです。「あの草は本当に存在しているのか」などとふと思ってしまう。雨が降ってもそう。目の前で起こっている事と臭いが連動していないと、自分だけ切り離されている様な錯覚を起こします。
街中を歩いていても、ふとこの世に自分一人しか居ないような気がします。火星にたった一人で不時着したような何ともいえない孤独感に度々苛まれました。

 これには精神的にちょっと参りました。だからある日庭で水遣りをしていたら草いきれが一瞬立ち上ったときには、嬉しかったです。一瞬しか匂いませんでしたが小躍りしてしまって(笑)
水遣りの後、家に入って、あの幸せな気分をもう一度思い出したくて、そっと深呼吸してみたら、部屋がかび臭いという事を発見してしまいました。

今年の夏は雨が多かったですものね・・・・(涙)

 10月なのに25度を超えた日の出来事を付け足して記す。

 思わず付けたカーエアコンから吹きだしてくる風がくちゃかった・・・(。>_<。) 

2016年6月26日 (日)

くんくん物語

 にゃんこ夢の話に気をとられてお話しするのを忘れておりましたが、四月のある日、ワタクシ、自分のお鼻が全く利いていなかった事に気が付き、慌てて耳鼻科にすっ飛んで行ったのでした。

 私の場合、風邪の後に匂いがわからなくなったと思うのですが(よくあるケースらしいです)、ひどい鼻風邪を引いたのが三月上旬で、後から考えると匂いが何かおかしいという兆候(お茶を何度入れ直しても美味しく淹れられないとか)が中旬頃からありました。そして匂いが全くしていない事に気がついたのが四月でした。その時ネットで調べた情報では「治療開始は早ければ早いほど良い」「三ヶ月過ぎると回復の見込みが低くなる」というものだったので、一ヶ月弱で症状に気がつき、治療を開始した私はすぐ治る部類に入ると安心していました。そしてほんとに、一週間ほどで微かではありましたが嗅覚が戻って来たのです。楽勝じゃん、ばんざーい\(^_^)/

 と、喜んでいたのですが、ステロイドの点鼻薬を続けて一ヶ月たっても、嗅覚は元に戻らず(検査薬の花の匂いはほぼわかりませんでした)、忍耐と根性でもう一ヶ月点鼻薬を続けても、回復とは程遠い状態で引き続きのステロイド処方となりました。
常日頃「ひどい症状を抑えるのにはステロイドは欠かせない 」と言っている私ではありますが、ステロイド点鼻薬使用が三ヶ月になんなんとすると不安にならざるを得ませんでした。こんなに続けて大丈夫?医者替えた方がいい?と。メニエールの薬は十数年服用し続けている分際で(^_^;)

 かなり不安だったのでネットで今一度確認してみると、今受けている私の処方は嗅覚異常の治療としては妥当であり(点鼻薬の他にビタミンBは聞こえの治療で既に処方済み、アリナミン注射テストで嗅覚神経は傷んでいない事が分かっているので神経回復系の薬は必要なし)、鼻粘膜の回復にはかなりの長い時間がかかるとありました。

 冷静に考えれば、少しずつではありますが、また日によっては逆戻りして珈琲の匂いもわからなくなる事が今でもありますが、確実に回復はしています。なのでこの治療で良いのだろうとは思うのですが、それでも「ステロイド大丈夫?」という不安が頭を過ぎることが今でもあります。点鼻薬止めませんけどね。絶対に止めませんけど。

 話は飛ぶのですが、前に犬や猫に安全な除草剤を探していたところモンサントの「ラウンドアップ」が安全だと分かったんですが、商品名と会社名に抵抗がありすぎて買う気にならず、お店の人が薦めてくれた別の除草剤を使っているのですが、そっちの方が危ない気がしなくもないので、怖くて成分を調べていません(おいっ)。
なんというのか人間の不安感や不信感って否定されても根強く残るんだなあ、また不安な物以外の選択肢だと根拠無く安心しちゃうんだなあと、しみじみ思いながら朝晩鼻にプシュプシュ薬を点してます。

 匂いにまつわる悲喜劇を面白可笑しく書くつもりが、こんな話になっちゃいました。
どうして~?(^_^;)

 笑えるくんくん話は、書けたら書きます(;^_^A アセアセ)

2015年3月20日 (金)

ぽんず、聴覚を語る

 家族Aにつづいて今回は私が語ってしまいます。

 水曜日、予約をしていたのでメニエール治療の耳鼻科に行ったのです。そしていつもの様に検査をしたところ、左耳の聴力がガタ落ち。
こういう経験は今までにも何度もあったのですが、その度に不思議なのは毎回全く無自覚で検査結果が寝耳に水なこと(聴力だけに上手いこと言ったにゃ ☆/(x_x)* バキッ!!)。

 ちょっと悪くなった時はわかるんです。検査結果を知って「ああ、やっぱり」と思うんです。しかしかなりの危険域になった時はまったく気がつけない。むしろ検査中に「今日はよく聞こえるわ」とさえ感じてしまうのです。さすがに今回は過去のよく聞こえたのに結果が悪いパターンを思い出して、検査中に「もしや悪化しているのか?」という疑念が湧きました。でも難聴になりかかるとよく聞こえるような気がする基本は変わりません。数年前の事ですが、道を歩いているとたまたま通った車が立てたバックファイアー音が道沿いに塀もないのに車道の反対側(右側)で音がしたように聞こえて、それで左耳の聴力が落ちていた事に気がついた事もあります。この時も調子が良いと自分では思っていたのでショックでした。

 それで何故自覚できないのか色々考えたのですが、検査中によく聞こえる様に感じる理由はなんとなくわかるんです。聴力検査をしたことのある人はお判りだと思うのですが、聞こえる直前になんとなく聞こえそうな感じが一瞬するのです。しかし聴力が落ちていると何の前触れもなく突然聞こえたように感じるので、今まで拾えなかった小さな音が今日は聴きとれたと思っちゃうのではないかと。それに聴力が落ちていると聞こえる音が全体的に小さく感じるので、実際は大音響なのに「小さい音でもよく聞こえるわ~」という勘違いをしているものと思われます。

 また両耳が共に悪くなった時はさすがに気がつくのですが、片方だけが落ちた時は気がつきにくいです。テレビもラジオも、音量は今までと変わらずです。先月電話中にメモを取ろうとして左側に受話器を当てたのですが殆ど聴きとれなくて往生しましたが、いつもは受話器は右側に当てるので一回だけの事で忘れてしまいました。片方だけだと本当に気がつきにくいです。もっとも両方今回程度に悪くなったら大事なのでそれは勘弁してもらいたいですが。

 最後に無理している時に聴力が落ちているのかなということ。忙しいと気が張っているし、めまいに備えてトラベルミンや痛み止めをかなり飲んでいるので体だけはなんとか動く。それに気をよくして調子がよいのだと思い込んでしまって前兆に気がつかないのかもと思います。

 今回月一通院では変化に対応できないため二週間後にまた診察となりました。聴力ガタ落ちは今までにも年何回かありましたが、その度に奇跡の復活を遂げてたので今度も事なきを得る可能性はありますが、年度末は何かと忙しいので良くなる気があまりしません。
二週間後に凹んでいないことをひたすら祈るしかない私です。嗚呼(T_T)

 でも耳鳴りは大音響なのよね。このうるささ、なんとかならんもんか(号泣)

2012年8月24日 (金)

Look on the bright side

 先日めまい治療の為にかかりつけの耳鼻科に行ってきました。
その時にドクターに「この病状にしては聴力落ちませんね。普通だったら・・・ますよ」と「・・・」部分はよく聞こえなかったのですが、私の聴力は落ちてないと聞かされて、かなりうきうきしてしまいました。残暑が厳しかったので体調は良くなかったのですけど、その一言で数日幸せでした。

 今までも聴力が落ちた時には「まだふらつきはそれ程ひどくなってないから大丈夫」、ぐらぐらしすぎている時は「聞こえの検査は良かったですよ。そんなにひどくない」と、必ず良い方を指摘してくれるのです。通い始めた頃はその気楽な言い方が他人事みたいに思えて嫌だったのですけど同じように受け止め始めてから、前は検査結果に一喜一憂して通院の後はどっと寝込んでいたものが、最近はあまり体に響かなくなりました。

 それで「普通だったら・・・」バージョンはどんな時に言われるのかと思い起こしてみると、聴力も平衡感覚も、どっちも過去最悪を更新した時に言われていたのでした。
正確には「これだけの状態だと、普通だったら失聴して(この部分は小声で、ものすごい早口で)ますよ」なのです。

 確かにまだ聞こえておるぞ( ̄^ ̄)


  Look on the bright side of things. 薬並みによく効きます(笑)

2011年9月 3日 (土)

大野更紗「困ってるひと」

 ウェブサイトで連載されていた大野さんの戦いの記。ウェブで読んで、本でも読んで、何度でも読みたい本でした。

 この本が素晴らしいのは軽妙な語り口やとんでもない面白さ、格好つけずにありのままを書いてそれ自体が現在「困っているひと達」の参考になっていること等色々あるのですが、何より一番の理由は、難民を支援し、その難しさを知り、支援を続ける為に、真に支援するとはどういうことなのかを常に考え続けていた人が、自身の闘病を通して社会のあり方そのものを問うている事が、単なる闘病記の枠を越えて広く社会に訴える作品になった理由だとおもうのです。

 病名が判って(それまでも大変だったわけですが)、難病な自分が生きていくには自分を支える仕組みが当然あるはずと大野さんは考えます。しかしそれは驚くほど少なく、しかもそれを受けるには、申請に気の遠くなるような労力を必要とするものでした。

 病室のベッドで山のような書類と格闘する難病人大野さんに主治医の一人、パパ(はパパでも星飛雄馬のパパ)先生はお説教します。彼女だけでなく彼女のパパ、ママにまで。
曰く「社会の制度や障害の制度や他人をむやみに頼ってはなりません。そういった精神が治療の妨げになります」と。

最初は私も大野さんと同じように反発しましたた。病人シバいても無理だってと。でも今読み返すと、日本で普通に生活出来ない病気、治らない病気に罹ったら最後、頼れるものは家族や友人だけなのかもしれません。
その人達に山ほどの手間を掛けさせ、役所に行かせ、さて、それに見合う助けを得ることが出来るのか?

大野さんはたまたま東京に住んでいたので障害者2級でタクシー券が出ました(それを受けられると理解できたのは大野さんが院生でムズイ文章でもくじけなかったからでしょう)。しかしとある難病マダムの住む自治体では、受けられるのは高速のETC割引きだけ。それさえないマダムもいるのです。斯様に福祉は財政状況による地域格差が激しい。
これは福祉は余った金でやるということ、お金がなくなれば(今まさしくそうなのですが)福祉は削るという事です。
戦後焼け野原で何もなかった頃の考え方が見直されずに続いているのだと思います。
高度経済成長期もバブルの時も、この考え方が変わらなかったため、福祉に予算をつける時、お金がない時に削れないと困るという理由から、恒久的財源が必要になるような施策にはとても慎重だったと私は思います。そして自己申請主義を守り通し、必要な人達の前に山ほどのハードルを置いて、資格のある人さえはねつけて来たとも。

余った金でしかしない福祉なら、金がなくなったら一体どうなるのか?その答えの一つが彼女も苦しめられた3ヶ月で退院の制度でしょう。
パパ先生のお説教は、そんな心許ない保障ならば、いっそないものと心に決めろということなのかと考えてしまった今回です。
事実自治体が財政破綻した時、福祉や水道料金などを削り支出を抑えさえすれば、建設債だけは発行できるのです。もし住んでる自治体が破綻したりしかかったりしたら・・・。

 しかしこの様に保障が手薄な社会で、人が一度難病になってしまうと、その人達の背負うものはとてつもなく巨大で深くなってしまうのです。
大野さんの心身もマリアナ海溝に落ち込むが如き状態になりました。これが自宅療養だったら病人と家族は、きっと諸共その海溝の奥底に落ちて行くに違いないでしょう。

難民支援に明け暮れていた頃の大野さんは、国境近くにあるキャンプからチェンマイに戻った時、シャワーとシズラーのサラダバーで「支援者」である自分自身から離脱する儀式をしていたそうです。その儀式があったればこそ彼女は支援を続ける事ができたのだと思います。
でも難病人の家族や友人にはシズラーはなく、いつもいつも、途切れる事なく続く、「助ける側の」、「頼られる側の」自分がいるだけなのです。これは美しい愛や絆や思いやりだけで引き受けられるものでしょうか。もし家族や友人が耐えきれずポキリと折れたら?
多分それは患者の死を意味するでしょう。

こう考えるとパパ先生のお説教「自立せい!」「頼るな!」は、一度難に遭えば身近な人にすがるより生きる道のない日本で生き延びる、ただ一つのライフハックなのかも知れません。パパ先生にシバかれたベテラン患者さん達はそれに呼応して「生き仏」の様な病のエリートになっています。でも、ひょっとしたら、生き仏エリートになれた人しか生き残れなかったのかも知れません。生き残れる難病患者にも適正を求める社会なのかもしれないのです。

 私はこの本を一人でも多くの人に読んで頂いて、今の日本の社会のあり方以外に道は本当にないのか、皆さんと一緒に考えたいと思っています。特に震災復興のため公共事業投資が叫ばれる今、日本の福祉と公共投資のバランスがこれで良いのかどうかも含めて。

大野さんは重病の中この本を書き、ボールを私たちに投げました。そのボールを私はしっかり受け止めたいと思います。今受け止めなくてもまた次のボールが何処かから来るなどと考えては絶対にならないと、この本を読んで改めて感じています。

2010年8月28日 (土)

かゆい、かゆすぎる

 最近のワタクシめ、蚊に刺されてもあんまりかゆくございませんでしたの。
刺され過ぎて免疫が出来たのでしょうか、それとも最近の蚊は軟弱になった?
あら、年のせいなんて仰らないで(笑)
と、プチ喜びをしていると数日してからのぶり返すかゆみが半端ではなくなった今日この頃。これはぶり返すかゆみに効くムヒを買うしかないでしょうと、調べてみると・・・

 蚊に刺された直後のかゆみにはアレルギー反応を抑える抗ヒスタミン剤を、その後のぶり返すかゆみはかゆみと炎症症状が強いので抗ヒスタミンの他にステロイドも使用しなければならないとか。

 『かゆみを科学する』池田模範堂 かゆみについて学ぼう

 
 そうなのか、そうだったのか。
今月初めにうなじを蚊に刺されたら、近くの前に刺されたところが腫れ上がり始め、だんだんそれが広がり、ついには全身、過去二週間くらいの蚊に刺され跡全てが腫れ上がったあの出来事も、アレルギー反応ならば説明がつくというものです。ほんと、あまりに古い跡まで痒くなったので、何が起こったのかと茫然としましたが。

 そしてもう一つ。私が蚊に刺されてあんまりかゆくないのって、毎日抗ヒスタミン剤を飲んでるからなのかも~~(はぁと)
アトピーやアレルギーになって悲しんでいたら、こんな余禄もあったのね~。

 と、喜んでいたのに、忙しくて医者に行けず一昨日最期の一錠を飲みきった、抗ヒスタミンフリー状態で蚊に刺された今朝の私。

 かゆい、かゆすぎる。蚊ってこんなに、涙が出るほどかゆかったっけ?最近の蚊があんまりなのか、抗ヒスタミンが偉大すぎたのか、お願い誰か教えて下さいーーーー(涙)

 という次第で、これから皮膚科に行ってきます(泣)

 今気がついたけど、こんなの書いてる場合じゃないんだわ、早く行かねば(汗)

 何か書き忘れたと思っていたらこれでした。

 『蚊の寿命』 Yahoo!知恵袋

 ここについた解答が秀逸・・・(~_~;)

2010年3月 7日 (日)

父が亡くなりました。

 先月末、膵癌のため父が亡くなりました。発見されたときには既に手遅れで余命一ヶ月と言われました。
12月の半ば過ぎに調子を崩すまで、極々普通に生活し、ウォーキングも毎日続けていた父でしたが、実は病院嫌いで、ずっと病院に違う病気で通院していたにもかかわらず、調子を崩してから、家族が何と言おうと次の診察日まで病院に行こうとしませんでした。
なので医師から病状の説明を受けたときには我が家は後悔の嵐に見舞われました。どうして首に縄をつけてでも連れて行かなかったのだろうと。今までも何度もそれをやって来たのに何故今回だけそれをしなかったのかと。

 と、ドツボにはまった反動か、症状が出た時は手遅れで、初期で発見されても5年生存率が3割以下という膵癌の特殊性故か、医師の「・・・最後は昏睡状態になって死に至ります」という説明のお陰か、とにかく出来るだけ苦痛を減らしてゴール(死)を迎えねば!と、患者の意向無視でそこに焦点を絞ってしまった家族でした。実は医師の経験上からのアドバイスで父には膵癌であることを知らせませんでした。余命一ヶ月では皆さんパニックになってしまうそうで。

 それから父の入院生活が始まったのですが、有り難いことに最近は「緩和ケア」にも十分重点が置かれているのか、スタッフの方針も「いかに安楽にその時を迎えるか」に絞られており、父が苦しむことは本当に少なく痛みも殆ど無く、痛み止めオキシコンチンも一番小さい量から増えることがありませんでした。日曜日に亡くなるのに水曜日まで(私が食べさせたのは水曜日の夜が最後でしたが、木曜日の朝昼は食べたかも。聞き忘れてしまいましたが)食事が摂れてましたし。

 そして昏睡に入ってからは、看護士さん達に口腔ケアや清拭などかしずくように世話をしてもらいながら、何故そんな事を口走ったのか自分でも謎なのですが、
「お父さん、良い人生だったわね」
との私の問いに、「にまっ」と微笑んで、そのまま眠るように息を引き取りました。3月には86になるはずでした。


 という話をお通夜とお葬式でしたところ、参列の方々が「これこそがウォーキングの威力だ!」という話になり、「いかにしたら父のように何十年もウォーキングを続ける事が出来るのか」という話で、しんみりした席が一気に大盛り上がりに盛り上がってしまったのは、我が家クオリティのなせるワザなのでございましょうか(汗)

 この最後を思うと、下手に早く見つけなくて良かったかも、とも思いますが・・・。やっぱり複雑です。

2009年7月29日 (水)

カフェ鍛錬2 ちょっとダークです(汗)

 本日、家族Aの付き添いで某大学病院へ行って参りました。新装オープンから既に4回目の通院だったため、さすがに慣れた筈なのですが、慣れても疲れるのが病院という場所。診察が終わり会計まで来たのがお昼過ぎ。気力体力限界で、他の選択肢など無く、我々は五階のオサレなカフェに遭難者の如くたどり着いたのでありました。

 前回よりは多少余裕を持ってテーブルに着いてみれば、テラスの向こうに広がる眺めは素晴らしく、店内もシックで落ち着いた感じ。BGMも煩くない、本当にほっと出来る空間だったのでありました。
そんな、やっとオアシスにたどり着いた様に放心していた我々の耳に、幽かに、幽かに聞こえて来たのでありました。隣のテーブルから女の人のすすり泣く声が・・・。

 ガラスで仕切られた、テラス横、空豆みたいなフォルムの白いテーブルに、シンプルなオレンジの椅子に掛け、白いおっしゃれーなお皿を前にして、聞こえてくるのは押し殺した嗚咽。21世紀ってここまでシュール?

 と、最初は固まってしまった私ですが、よく考えると、私がほっとしたのと同じように、隣の人もほっとしたのでしょう。そしてここで泣かなかったら他にどこで泣けるのか?という事もあります。
声の主が患者本人であれ、家族であれ、病気に関しては一人暮らしでない限り間違っても家では泣けないものです。ましてや外で泣くことなど、世間様が許してくれないような気がします。

 前回、お洒落なカフェなんて、患者には猫に小判で悔しいよぉと泣き言を言った私ですが、前言撤回です。ほっとして弱みを見せられる場所は、とても大事なのです。そして、何が聞こえても、普通にお食事していた周りの患者さん達は偉いのです。

 これも場所のなせる技でしょうか。普通のカフェだったら、こんな風にさりげなくほっといてはもらえなかったでしょうから。
でも考えてみると変な話ですよね。生きていくという事は、泣く事も怒る事も含むのに、この二つは蛇蝎の如く忌み嫌われるか、出来る限り早く取り除こうとされてしまう。綺麗なものばかりでは生きていけない時が、正直あると思うのです。少なくとも周りの患者さんはそれを知っていたわけです。

 見晴らしのよいオサレなカフェは、ある意味マッチョさを求められる・・・

 そして私は、明日自分のMRIに行って、泣いてきます(T.T)

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