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カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の58件の記事

2016年11月 9日 (水)

「ひらめき」さえあればそれでいいのか?

 東京デザインウィークでの、防止できて当然だったあの惨劇で思い出した事がありました。

 高校・大学生になったきょうだいが家族と顔を合わせようとしなかった自身の体験を踏まえ、子供が家族と顔を合わせるために母親にリビングで寝起きさせるような大学生の間取り案をそのままをを准教授がネット記事に載せて炎上した事件です。
「家族が仲良く暮らせる間取りとは Yahoo!マガジン」
(当該記事は削除ずみ。詳細についてはその騒動についての記事「大学生の考えた「家族が仲良く暮らせる間取り」が母親を人間扱いしてなさ過ぎて話題に」(リンク)でどうぞ)

 この間取りは母親のプライバシーを一顧だにしていないと炎上したのですが、私が一番引っかかったのは、元記事にあった「学生のその発想が面白かった」という准教授のコメントでした。発想は面白いかも知れないけれど、来客の想定も出来ない日常生活に無知な学生の思いつきをそのまま世間に公表するって、教育者としてどうよと。
この学生に対しては、例えばどうして玄関とリビングの間に壁のある家が多いのか考えさせて、家庭内の生活を訪問者全員に見せたくないからだと気づかせるとか、母親が病気になった時は家族はリビングをどう使えばいいのかとか、この間取りで起こるであろう様々な問題を提示してその解決策を考えるうちには、もっと練れて意義のある間取りが出たかも知れないし、住居に対する学生の浅い考えも少しは良くなったのではと思うのですが、教える側は学生が面白い発想をしたことだけに注目して、その発想を学生にもっと掘り下げさせて想定出来る明かな不備を補おうとはしませんでした。

 発想と言えば、アートイベント会場に何も知らないデリヘル嬢を呼ぼうとした事件もありました。
これも 「88の提案の実現に向けて」と題する、一般の人からアンケートで集めた思いつきを実行しようという、発想だけが命みたいな企画でした。
一般人の様々な発想も集めれば面白いかも知れませんが、その気軽な発想が引き起こすであろう深刻な事態を一切考えようとせず、アートだからと言って振り切ろうとさえしてしまった、もし実現していたら最悪の人権侵害を引き起こしていたかもしれない作品でした。
今回のジャングルジムも、危険ではないかという指摘に「アートだから」と答えて聞き入れてもらえなかったという話が出ています。

 発想・着想・インスピレーション、独創性、言葉はなんでもいいのですが、最初の発起点を重要視するあまり、その発想を掘り下げる努力を自ら放棄してしまっている様に私には思えます。なんというか「発想が大切」で思考停止している感じ。思考停止って創造性の反対にある行為だと思うのですが。

 最初の間取りを考えた大学生の「発想」が意図していたのは家族が仲良く暮らすために誰かに玄関から丸見えの場所で寝起きさせて身支度を調えさせることなのか。
「88の提案の実現に向けて」を実行した若手アーティストが目指したのは、何も知らないセックスワーカーを公衆の面前に引きずり出す事なのか。
東京デザインウィークの鉋屑ジャングルジムを作った学生達が思い描いたのは、5才児を中で焼き殺すことなのか。
もしそんな意図を持って作った作品なら、私は要らないと思うし、今は昔のパトロンとも言うべき地位を占める自治体や社会が、これらを作品としての受け入れを拒否していいと思います。そういうのが好きな人向けにアングラで流せばいいだけで(アングラでもアウトなものはありますが)。
もしそんな意図ではなかったというのなら、最初の発想から意図せぬ雑音を取り除くべく、真摯に練り上げる必要があるはず。なのにピュアな着想という幻想に囚われて、考え抜くことも外からの指摘も拒否して、結果不純物にまみれた作品を造ったあげく、不純物が引き起こす被害を、もし創造性のコラテラルの様に考たとしたら、それは不遜がすぎるのではないでしょうか。

 と書いている最中にこんな話題が飛び込んで来ました。
「多摩美術大学 佐野研二郎葬式パフォーマンス」(リンク

 これもやっぱり、アートか人権か、ブラックジョークか社会の不寛容さかというレベルの話ではなく、ただ単に動機(この場合は)から作品を創り上げる過程の練り上げが足りないだけなのに、「アートだから」で思考停止して害悪をまき散らしている事例ではなかろうかと思います。

 近年立て続けに起こっているアート関係による深刻な被害って、周りが創造だからと何も言わない事で引き起こされる、単なる技術不足、訓練不足ではないかという気がしてきました。

参考リンク

「アートにデリヘル嬢呼ぶな」
「『デリヘルを呼ぶ』は芸術か 提案に賛否飛び交う」京都新聞

 11/15 追記
 デリヘルを呼んだ事件についての記事がありました。
私はこの思いつきが単に性的なことを声高に話して(比喩です)タブーに挑戦したかのような、ノリだけだと思っていたのですが、その上に相手の都合を無視して怒られない相手を無意識に選んでいたことも、この記事で気づかされました。
「『デリヘルを呼ぶ』は芸術か 提案に賛否飛び交う」について(1)(リンク)「思いつき」とか被ってますが私のパクリじゃありません。誰がみてもそう思う事柄です。

2016年7月17日 (日)

ある村長さんの言葉

 今から10年前(正確には9年11ヶ月前の06年8月)の県知事選挙でのこと。その時聴いたある村長さんの現職知事への応援演説が忘れがたかったのですが、今この話はもっと広く知られてよいと思いますので、私が重要と考えた部分二箇所を記したいと思います。とはいえ10年も経ってしまって記憶もあいまいですが(^_^;)

 地方行政というものは法律で動くんです。地方自治法と言って、私も村役場の職員になりたての頃毎晩必死で勉強しました。こんなに(手で書物の厚さを示す仕草をしながら)厚くて覚えるのが大変なんですが、それを知らないと仕事が出来ませんから。
(その後その法律がないと国への申請の仕方とか、地方行政の根幹が出来ないみたいな具体例を二三挙げた気もします、記憶はうっすらすら)
県政は仕組みの法律に則って動くのでありそこは外せない。法律が変ならそれを変えればいいがそれは国政のすること(後で考えたら意味深な言葉)。

 県政は法律以外の仕組みでも動いていました。例えば県の片隅の、小さい自治体の首長は県知事に面会を申し込んでもなかなか会ってもらえません。約束を取り付けて県庁まで来ると、昔の知事室の側にある場所で待たされました。そこでずっと待ちながら知事は外出中なのか忙しいのかと思っていると、大きな市の市長さんや県議さんが顔パスで知事室に入っていく(予約も取らずにすぐ知事室に入れる首長さん達は県政に貢献している人達だから通してもらえるとも言った記憶がうっすらあり)。それが今の知事になって知事室が1階に移りガラス張りになり知事が何をしているか見えるようになり、面会も予約の順番通りに、大きな市の長も順番を待つようになりました。それは当たり前の事ですが、昔は遠くからはるばる来て待つのは大変だと思いながらも、そういうものだから仕方ないと思っていました。私達がその中にいて、そういうものだと思っている事を、知事が「それはおかしい」と指摘して改めて来たのがこの知事です。


 村長の応援演説は、知事は法律の飲み込みが早く、県庁内でしか通じない不合理なことは一切認めなかったが、それが当たり前だと思い込んでいた人達にはショックだったという話でした。当時県議だった石坂千穂議員が「以前は知事公邸に有力議員や首長だけがあつまり、そこで県政についての話がなされ、議題として県議会に出てきた時は既に決着がついていた。話し合いの内容は秘密で、知事公邸は伏魔殿と呼ばれていた」とブログか何かで書いていましたが、これなどは議会政治の否定でしかないのに、それが当たり前だと思っていた人達にはまずいことだという意識さえきっとなかったのでしょう。少数で話し合えて効率的だとさえ思っていたのかもしれません(選挙で選ばれた他の議員はどうなるって話ですが)。だから知事が知事室をガラス張りにしただけでなく、公邸を文字通り潰して駐車場にしてしまった時の有力県議の怒りが、既得権益を失っただけでなく、当たり前だと思っていた事が崩れたショックでもあったことが村長の話で分かりました。
 
 慣れとは恐ろしいもので、どんな変な仕組みでも、一度当たり前になってしまうと、そのおかしさを指摘されただけで衝撃を受けるのは人として仕方のない部分です。特にそれを指摘できる人が新しく政治家として選ばれた人の場合は、最初は法律に精通していない場合が多く、それゆえ中の人達から「あの人は仕組みを知らない(法律)、やり方が分かってない(習わし)」と、本来は全く違うものを一緒くたにして批判されがちです。一方法律による動かし方が分かっている人は、その組織に精通している場合が多く、不合理な事であっても仕方ないかなと思ってしまいがちということです。下手に変えた時の相手の反発も面倒ですしね。

 
 今の日本はどこも財政は厳しく行政運営の支障はなるべく避けたいですし、長い間に澱のように溜まってしまった旧弊の害悪ももう無視できない状態です。こんな状況で我々有権者はどうすべきなのか。
村長さんはご自身の当時のブログ記事で「変えなければいけないことは変えるべきだ。変えて住民の為になる事をすればその評価は選挙の時に住民が下す」と書かれいます。
でも、大きな自治体だと、ましてや国政だと政治への要望も広範囲ですし、政治家が何をしたかが具体的にはなかなか伝わってきません。実際、条例や予算など、我々の生活に直接かかわる事柄が解説付きでしっかり報道される事もあまりありません。

 この10年間で色々な政治家が現れました。
古いしがらみを断ち切ると宣言した政治家はそのすったもんだのみが注目されてしまい政治家としての評価を我々有権者はきちんと出来ているのか疑問です。また旧弊を少しずつ懐柔しながら、今までと違うニーズにも応える様な実績をあげている政治家がいたとして、そのスムーズさが徒となってあまり報道されず地味な存在と認識されてしまう怖れもあり、こういう人達への評価もちゃんと出来ているか心許ないです。

 最後に前世紀、まだ中選挙区制だったころにテレビで観た、田中真紀子さんの、夫直紀氏への選挙応援演説の一部を書いておきます。

「役人は新人政治家の言う事なんて聞きません。次の選挙で戻って来るか分からない人の言う事なんて。当選を二度三度とやって、当選もいつもトップ当選になってから初めて話を聞いてくれるんです。また来るのか落ちるのか分からない政治家の話なんか聞いてくれません。だから皆さんのご支援が必要なんです。当選するから他に入れようではなく是非トップ当選させて下さい」

 この話に出てくる官僚の態度も旧弊以外のなにものでもないでしょうが、我々有権者の意図が一時の気まぐれでない事を相手に認めさせる必要がある事も理解できます。
行政や法律に通じ、組織の不合理な旧弊をたちどころに断ち切り改革できる政治家を坐して待つか、その見込みがありそうな人物をきちんと評価しつつ何年も掛けて育てていくか、最終的に一番重要なのは票を持つ我々有権者の意識という事になります。


 あわせて読みたい、というかよりしっかり書かれた記事(^_^;

「都知事選について」 星野智幸 言ってしまえばよかったのに日記

「都知事選立候補者への「踏み絵」となってしまった韓国人学校問題」

2016年3月 6日 (日)

アマゾンレビュー その後

 去年の一月、アマゾンに「#鶴橋安寧」の書評を書いたところ、すぐコメントがつきました。これがこの本を読んでないことが丸わかりの上に、悪意あるデタラメを書いてきたため、レビューに追記として間違いを指摘したところ、相手がしつこく何度も現れるので、最終的にコメント投稿者が民事裁判と刑事裁判の違いを全く理解できていない事を歯に衣着せずに(だってうんざりしてたから)指摘し、その後放置することにしました。

 それから数ヶ月後、ふとコメント欄を覗いてみると、最終やり取りのすぐ後つけられたコメントは、投稿から数時間でアマゾンにより削除されており、削除されてもまたコメントしそれも削除された様です。勿論誰のコメントか判りませんが、商品を買ってくれるお客様でも削除せざるをえないコメントが現れるという呆れた展開だったので、思わずレビューに追記して事の顛末を詳らかに書いてしまいました、私(^_^;)

 その話はそれで終わったかに思えたのですが、去年暮れ、思わぬ処でこの無様氏(私はそう呼んでいます)と遭遇しました。それは「レイシズムを解剖する: 在日コリアンへの偏見とインターネット」のアマゾンレビュー欄で、あの無様氏がレビュー投稿していたのです。
私はこの本を既に読んでいたので、読まずに書いたものであることは一目瞭然だったのですが、その読んでない自分のレビューのコメント欄に自ら「他のレヴューを読んでも、ちゃんと読んでいるかどうか怪しいのも多かったがね」と書いているのを発見して今まで以上に唖然としました。
この前「#鶴橋安寧」の私のレビューコメント欄で、本を読まなかった為にどれだけ無様な事になったのかもう忘れたのって(^_^;

 無様氏のあまりの図々しさに暫し茫然としたのですが、ふと以前花王のレビューが荒れた事件を思い出し、気に入らないものを嘘八百でこき下ろす人は今も昔も居たものだと思い至りました。
そしてアマゾンの花王製品サイトに改めて行ってみると、意外なことにいわゆる花王半日認定レビューは見あたりませんでした。花王に対してあんなに騒いだのに。そして今でも騒いでいる人はいるのになぜ?
良く見てみると、デマレビューは消えた訳ではなく、新しいレビューが続々ついていて変なレビューは見えない場所へ押し流されていたのでした。
大企業なので商品数も多い為ユーザー数も膨大です。しかも本ではなく日用品なので読んで感想をアップするより遥に手軽に感想をアップできます。使った感想を書く人達の多さが、毀損だけを目的とした人達の妨害をはねのけてアマゾンのレビュー機能を正常に押し戻したのでしょう。数は力なりと思いました。多勢に無勢、この場合無勢はネトウヨでした。


 よくヘイトコメントやレビューは放っておけばよい、そのうち消えていくと言う人がいます。確かに花王のレビューは今は平常です。しかし元にもどったのは皆がスルーし相手が沈静したからではありません。少数の荒らしが大勢の普通のレビュワーに圧倒され、その結果時間が経つにつれ元に戻った様に見えているのです。古い製品で昔のレビューを探せばヘイトレビューが見つかります。消えたのではなく数の力で見えにくくなっているだけなのです。いわば数の力で押さえ込んでいるだけの状態です。
「#鶴橋安寧」は一年経ってもいまだに荒らしの被害に遭っています。本を読んで感想を書くレビュワーの数より、読みもせずに内容を決めつけ、嘘を平気で書く人間の方が、またその行為に賛同して煽る人の方が遥に多いからです。多勢に無勢では無勢に勝ち目はないのかもとおもいつつ、ふと無勢って英語のマイノリティと意味が重なることに気がつきました。
マジョリティがその勢力差にいつも気がついて肩入れしなければ、マイノリティだけでまかり通る横暴を止める事がいかに難しいかに、今更のように気がつきました。
でもマジョリティでも人間ですからいつもいつも気にし続ける事は不可能です。不当な攻撃に曝されている本を見つけて、読んで感想アップしてなんて、少なくとも私には無理です。この二冊も読みたいから読んだだけで(どちらも良い本でした)、マジョリティとしての塩梅に気を使った訳では、恥ずかしながらありません。この状況と自分の限界に頭を抱えたくなりました。差別が跋扈する社会は軋轢を生み、不安定化するので我々マジョリティにとっても防ぎたいことなのに。


 もしかすると反差別法は、私達が四六時中目を光らしていなくても、マジョリティの中の愚かな人間が数の力で横暴を働いて、どんどん増長していくのを防ぐ事ができる役割もあるのではないでしょうか。マイノリティの権利を守る、不安定化を防ぐという目的だけでなく。
彼らの増長を防ぐ事は重要です。自分の気に入らない相手を敵認定して大嘘を並べて馬鹿にし悦に入っている、私のレビューに現れた無様氏の様な人が、いつまでもネットの中だけに大人しく居てくれる保障はどこにもないのですから。
あんな人達が職場や近所に現れたとして、私は最後にはアマゾンが削除してくれたので終了させることが出来ましたが、リアルの場合、一度標的になったら最後、法律がないために誰にも止められないかも知れません。相手が現行法で取り締まれる行為(脅迫とか暴行とか)をするまでは。

 人種差別撤廃条約というものがあります。加盟国はそれに則った反差別法を制定する事になっています。そしてその法律により、自国社会で人々の反差別の意識を高め、差別行為を押さえ、少しずつでも差別を減らしていこうという旨の条約です。
日本は条約に加盟しているにもかかわらず、反差別法は理念法でさえ、いまだ制定されていません。
 
 最後に、アマゾンの削除基準も、昨今のヘイトスピーチへの取り締まり機運の高まりにより、差別や罵倒に対して今までよりは厳しくなった事を申し添えておきます。ただこれは自主基準でしょうから、社会の認識や機運が下がれば、元に戻る可能性もあります。

 【笑える追記】
 今私のレビューのリンクを貼ろうとしてアマゾンのサイトを見てみたら新たなるコメントがついていました。
 今度は過去に何度もデータで否定されている韓国朝鮮人の犯罪率デマを「客観データ」と言ってる人からのものでした。しかも5つ目のコメントがアマゾンから削除を喰らっていて、なんだか見慣れた風景に感じてしまいました(笑)

 5秒ほどチラ読みしただけですが、「日本人全員に韓国での日本と同じ特別永住権を与えろ」などとも主張しているみたいです。
何考えてんでしょうね。仮に日本人全員が日本と同じ特別永住権をもらったとしても、日本に続けて住んでいる時点で資格喪失でしょう。
特別だろうが一般だろうが在留資格は「生活基盤が日本にある事」が前提で与えられる事など知らないのでしょう。そして出国すると再入国許可が必要なことも。つまり場合によっては親兄弟の居る日本に再び帰ってこれなくなる危険性を常に感じながら、仕事や留学などで海外に行かなければならないことも。
海外で子供が生まれた場合も日本人とは比べものにならない面倒さがあることも。

 私も日本国籍をもたずに日本で暮らすということがどれほど薄氷を踏むようなことなのか、梁石日の小説で些細な事で在留資格を失ってしまう話を読むまで知りませんでしたので、知らなかった事で責める気にはなりません。
でも知らないからって勝手に脳内で妄想して、勝手に不満を募らせ、不平と一緒にデマとを書き散らして回って良い事にはなりません。こんなのが場所さえ選べば大手を振れる今の日本の状況はやはり問題です。

 無様氏の後継者が憧れる現在の特別永住資格・入管特例法、
正式には「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」について簡単にお知りになりたい方は、この記事がよいと思います。

シノドス「特別永住資格は「在日特権」か?金明秀 / 計量社会学」(リンク

「#鶴橋安寧」への私のレビュー(リンク)ここの追記をお読み頂くと詳しい経緯が分かります。


「レイシズムを解剖する: 在日コリアンへの偏見とインターネット」(リンク

 この本は、コリアンに言及した10万以上のツイート群、学生に行ったアンケートなどを、まずそれが偏見であるかどうかを米国の先行研究に当てはめて分析した上で、定量分析をした本です。初心者でもわかる様に丁寧に書かれているので計量分析に無知な私でもよく判りました。大変面白い本です。お薦めします。

2015年5月30日 (土)

続・芸術家達にお茶を プリセツカヤさん追悼

 もう一ヶ月近くも前の事になってしまいましたが、バレリーナのマイヤ・プリセツカヤさんが5月2日心臓発作のためドイツの病院でお亡くなりになりました。享年89歳。


 私は前に「芸術家達にお茶を」(リンク)という記事で、プリセツカヤさんにお紅茶を淹れた話を書きましたが、プリセツカヤさんといえば、公演翌日、お見送り要員としてかり出され、特急あずさ車内で私が「ダスヴィダーニャ」とつてを頼って前日習ったばかりのロシア語(通じたのかは疑問)を発した時の姿、
華奢で、知的で、淡いピンクのシャネルスーツ(だと思うんですけど)をお召しになって、本当に上品で、パリの高級住宅でマホガニーの家具に囲まれていそうな彼女が、とても気さくな感じで優しく微笑んで下さった、その優しい笑顔とその時の姿が今でも目に浮かびます。ほんとに気さくだったのです!!!あの当時でさえ伝説だったのに!!!

 と、ひとしきり感慨に浸っていたのですが、FBのお友達Uさんが「この年代の旧ソ連の芸術家は家族が粛正に遭っている事が多い」と書かれていて、話としては知っていても、個別の事例としては想像もしていなかった私ははっとさせられました。

そしてこの記事を読んでもっと驚きました。

『バレエ界の伝説プリセツカヤ死去』(リンク

 件の公演には振り付け師でマイヤさんの弟、アザーリ・プリセツキーさんも同行されていました。このプリセツキーさんが、なんとお母さんと一緒に5歳の時までラーゲリに収容されていたというのです。

 プリセツキーさんは、ボーダー柄のポロシャツを着て、お腹がすこしぽっこりして(ほんと少しだけですよ)、いつもにこにこされて、とても感じの良い方でした。私のあの「ダスヴィダーニャ」にも大受けして下さった(ありがとうございます)、あの朗らかな人がラーゲリ経験者だったとは。親御さんの粛正もびっくりでしたが、こちらのショックも相当なものでした。

 前の記事にも少し書きましたが、あの公演にはKGBと覚しき人数人も同行していました。時々目つきが鋭くなることはありましたが、ニコニコした話し好きな感じの人達でしたので私は何度か話しかけられました。
しかしボリショイの団員さん達は、衣装係のおばさん達も含めて、全員がこの人達をガン無視していました。というか態度が冷たい、硬い。どんなに楽しげに笑っていても、その人達が側を通ると笑うのをやめるのです。
当時私は「ここまで徹底するなんて、監視って続くとそこまで嫌なものなんだ」程度の認識しかありませんでしたが、この徹底ぶりは謎として心に引っかかっていました。
それが今回シノドスの記事を読み、マイヤさん、プリセツキーさんの来歴を知った後、あの冷たさが監視に対する反感というよりこのお二人に対する団員の敬意もあったのだと思い至りました。

 さらに、これは私の成長もあるのでしょうが、ボリショイの団員さん達全員の、KGBに接する時のあの徹底した態度の冷たさは、プリセツカヤさんとアザーリさんに対する敬意だけでなく、亡命して故郷を捨てざるを得なかった人、亡命しえなかった人 、そして粛正された全ての同僚、友人、家族の為に、彼らがとった抗議の形だったと思えてきました。静かに、忘れることなく、徹底して。


 プリセツカヤさんが政治的だったかどうかは私は知りません。しかしどんな芸術も生きた人間が生み出すものであり、人生はえてして政治に翻弄されます。政治と関係のない芸術など、歴史上存在さえしなかったのかも知れません。

 自由主義社会に住みながらプリセツカヤさんのバレエを堪能し、なのにソ連の国家権力に対して無知で無頓着だった私。全員で静かに抗議をし続けていた団員。
そんな私にさえ優しく笑んでくれたプリセツカヤさん。

 プリセツカヤさんがバレエ界に切り拓いた新たな境地が忘れ得ないならば、彼女が生きた時代の困難さをも忘れないようにと思った次第です。

ご冥福をお祈り申し上げます。

2015年3月21日 (土)

ルミネのCM男性バージョンを考えてみました

 公開されるやいなや非難の嵐に見舞われたルミネの動画ですが、それについて「男が主人公だったら叩かれなかったはず」とか「ポリコレ(ポリティカルコレクトネスの略らしい)うるさすぎ」みたいな反応がみられてげんなりしているお彼岸の中日。 

お墓参りも済んだので、げんなりついでにこの動画の趣旨に沿った男性バージョンを考えてみました。

男性上司「○○、朝からその格好はなんだ。シャツの襟がヨレヨレじゃないか」

男性社員「でも仕事が忙しくて三日も家に帰れなくて・・・。着替えのシャツも底を尽いたんです。」

上司「馬鹿野郎!仕事が忙しいくらいでそんな格好になるなんぞビジネスマン失格だ!××を見てみろ。お前と同じように仕事してあんなにぱりっとしているじゃないか!」

ぱりっとした身なりのイケメン登場

 そこに「出来る男は□□の防汚・抗菌・形状記憶ワイシャツ」の文字。

 こういうCMを作って放送したら(過去にあった気もするけど)、ブラック労働を推奨しているのか、とかなりの確率で炎上するのではと思います。
この三日も帰れないほど忙しい問題のある職場(ルミネ動画だと上司の馬鹿ハラ発言)なのに、社員の様子に疲れがみられてもそれは個人が気をつけるべき身だしなみであり個人の資質の問題(動画だと巻き髪女子はちゃんとしているけどキミは労働力と線引きされる)にされてしまい、問題解決に、非難された人物に変わる事を提案(イケメン社員みたいに徹夜してもぱりっとしてろ)するという部分を踏襲してみました。
こう書いてもルミネ動画に「上司がイケメンだったら」とか「ポリコレ」という人がいたとしたら、ブラック労働は問題だとは辛うじて認識出来ているけれど、馬鹿な上司のハラスメント発言には鈍感で何が悪いかもわかっていないと申し上げるしかありません。

 勿論、キャリアアップには馬車馬のような労働が必要な場合もあるでしょうし、仕事によっては綺麗な見かけも必要な場合もあるでしょう。それを求められること全てが悪いとは私は思いません。しかしルミネ動画は、ハラスメント上司をスルーして、主人公女性に変化を求めている事が一番の問題なのです。これではハラスメントが起きるのは被害者に不備があるからだと言っている様なものです。

 ルミネ動画も、例えばハラスメント上司の言葉の後、主役社員が別の上司に「○○さんの言動を何とかして下さい!限界です!」とか掛け合って、その上司も「わかってる。来週このプロジェクトが完成したら、きちんと再教育すると上の方も言っている。それまでどうか辛抱してくれ」とかなだめすかされて、主人公が「ならぬ堪忍、する時ゃルミネ」と呟いてルミネ走る展開だったとしたら、ハラスメント行為に会社の本腰度が疑われるとしても、ここまで炎上はしなかったと思うのです。

 会社の上の方が頭が固い、考えが古い、倫理観が欠如している。でも経営が上手くいっているなら良いのではないかと思う人もいるでしょうが、個人が何を考えていても居酒屋談義で止まっているならいいのです。ハラスメントを見逃し、被害者に変われというようなメッセージをマスに流すことが問題なのです。
曽野綾子氏がアパルトヘイトについて何も知らないのに(セッション22で本人がそう言ってました)住居分離を新聞という公器で提唱した問題と同じです。
様々な職場や場所で、個々の人々が恐る恐る問題提起したり、頑張って訴えたりして少しずつ積み重ねて浸透させてきた、アンチハラスメントの考えが、この動画がマスに流れることでハラスメント愛好者を勢いづかせどれだけ後退してしまうか、マスに流すことの責任をもっと自覚しないと駄目でしょ、と思ったお彼岸中日なのでした。


LUMINE(ルミネ)が女性蔑視のセクハラCMを作って炎上中


ルミネの働く女性たちを応援するCMが酷い内容だった

ルミネの的外れな謝罪


炎上狙い?

2014年12月17日 (水)

お父っつぁんと空襲

 とあるツイッターメンションから思い出した事です。

 五年ほど前、私の父が末期癌で入院中の事でした。当時父はオキシコンチンという痛み止めを服用しており、うつらうつらとした状態が続いておりました。 
ある晩いつものように病室に行くと、父は私の顔をみるなり
「お殿様の葬式には代わりに行ってくれたんだな?」と真剣な顔で尋ねるのです。
お葬式って何?お殿様っていつの時代?と狐につままれたような私に向かって城主の葬儀についての生々しい見てきたようなディテールを述べた後、
「三人も迎えに来てくれたのに行かない訳にはいかないし。ほら、まだそこにいる」と、病室の白い壁を指さして言うのです。

 父のこの言葉は、改修中で古く薄暗い病室内で、帰るためには長くて暗い病棟の廊下と、やはり暗くて遠い臨時駐車場への道のりが待っている私を恐怖のどん底に突き落とすのに十分なものでした。あの夜、葬式談も聞いた振りだけして必死で用事を片づけ、廊下と通路を早足で駆け抜け、仮設外灯だけの薄暗い駐車場と小道から、明るい通りへ車を乗りだした時の安堵感は今でも忘れられません。

 オキシコンチンにはせん妄という副作用があるのですが、この副作用が出る確率は極々少なく、父のこの症状も副作用のせん妄ではなく、寝ぼけた状態になったために今まで抑えてきた死への恐怖が夢の様に現れて出たものだと思います。
ネットなどに出ているご遺族の体験談も「死んだ人が会いに来た」とか「お墓がどうこう」と死に関係するものばかりでした。癌はじわじわ体の機能が落ちていきますから、何が起こってどうなって死に至るのかをはっきり説明されていないと、仮に病名を宣告されていたとしても患者は恐怖を抱くのではないかと思います。城主の葬儀についての詳細も古文書をやっていた父なら知っていても不思議ではないので、ここまでなら気味が悪くても想定の範囲内でした。

 それから数日後、この日は午後二時頃に病院に着いたのですが、部屋の前まで来ると、父が何か絶叫している声が聞こえてきました。
慌てて部屋に飛び込むと父は「空襲だ!」「空襲だ!」「逃げろ!焼け死ぬぞ!」と叫び続けているのです。幸い二人部屋のもう一つのベッドは空いていたのですが、さすがにこれを放置は出来ません。しかし、父は松本出身なので地元で空襲に遭うわけもなく、なんの空襲を言っているのかわかりません。記憶をひっくり返して思い返したところ、ただ一度だけ、たった一度、東京大空襲について言及したことがありました。駄目で元々と思いつつ、
「ここは病院だから大丈夫。ジュネーブ条約、陸戦ニ関スル条約で病院への空爆は禁止されているから。ここにいる限りは大丈夫。万が一延焼してもここなら人も多いし消火器もあるから燃える前に逃げられる。ここにいる限り大丈夫」と言ってみたところ、
「そうか、それなら安心だ。」と納得して静かになってしまったのでした。
その安易すぎる納得に「マニラ空爆は?バグダッドは?ガザは?」と内心突っ込んでしまった私ですが、私がわらをも掴む思いで言った言葉に、父もわらをも掴む思いですがったのでしょう。藁でもすがる心境がちょっとショックでした。

 父は終戦の年の八月、千葉で地引き網をしていた事以外は軍隊の事を私達家族には全く話さず、父がどこの連隊にいたかを知ったのも、私がたまたま目にした父の年金請求書類に軍歴が書かれていたからでした。近衛連隊の少尉と知った時の若き乙女の私のショックはいかばかりか。うちのおとっつぁんが伊集院少尉と同じなのか!!!世の中間違ってる!!!
私に気遣った訳では絶対にないと思いますが、父は本当に軍隊時代の事を話しませんでした。東京大空襲についての父の話というのも、改まって話したものではなく、テレビの大空襲特番か何かを家族で見ている時にふと漏らした一言でした。

「お父さんはな、この時軍隊にいて上野の山からみていたぞ。大変な燃え方だった」と。

その言い方は軽く、さらりとして、口の端に笑みがこぼれそうな感じでさえあったので、この大惨事をここまで軽く話せる父の薄情さに当時の私はどん引きしました。しかし病室での父の絶叫を聴いた後、私は父が恐怖のためにあんな話し方しか出来なかったのだと思い至りました。安全な山の上から目撃しただけなのに、家族にも話せないような恐怖。

 父は召集されても外地にも飛ばされず、終戦の年は敵軍を迎え撃つために海岸に結集したものの、武器もなく魚を捕って終戦を迎えた、あの年代としては非常に運の良い人間でした。その父でさえ抑えていた恐怖があんな風に吹き出るものなら、空襲を逃げ回った人々(母の伯父一家は焼け出されました)、外地で地獄をみた人達はどんな恐怖を心に秘めていたのかと、この後暫し考え込んだのでした。
兵隊だけではありません。母は女学校を繰り上げ卒業したのですが、母の下級生は勤労動員で行った工場を爆撃され、殆どが亡くなってしまったクラスもあったと聞いています。空襲に怯えながら工場で働いていた女学生達は、戦後普通に幸せに、生き残った事を喜びながら暮らしながらも、死の前に、意識が朦朧とすれば吹き出してくるような恐怖を抱えて生きていたのかも知れません。


 胸の奥で押さえつけていた恐怖が消えたせいか、単なる病状の過程だったのか、父はその後意識もはっきりし、食事も摂れ、話も出来る穏やかな四日間を過ごした後、癌性昏睡になり、三日後、空襲の絶叫から一週間後、眠ったまま息をひきとりました。

生き延びた人間が抱える恐怖もまた戦争の残す傷跡なのだと、戦争について語るにはそれも含めなければならないし、またその事を忘れてはいけないと、とある太平洋戦争賛美メンションをみて思った次第です。


2014年8月 8日 (金)

慰安婦問題についての覚え書き

 朝日新聞が漸く吉田証言を事実誤認と撤回したことで、いろいろかまびすしい昨今ですが、今まで読んできた本から得た知識を覚え書きとして極々簡単に纏めてみました。これは初心者による、初心者のための簡単なまとめです。


Q 強制連行が問題だったのに、今は『広義』の強制とか、話しずらしてるし、朝日新聞のプロパガンダに踊らされただけなんでしょ?

 河野談話発表までを並べてみる。ちなみに「挺身隊」と「慰安婦」は長い間日本でも韓国でも混同されていた様ではあるが、ここにある強制連行された女子挺身隊員とは主に日本の軍需工場へ働きに来た人達のこと。その後の調査から今まで語られて来なかった慰安婦の存在が明るみに出てくる。

38年(昭和13年) 国家総動員法制定
39年(昭和14年)「朝鮮人労務者内地移住に関する件」を含む「労務動員実施計画」を閣議決定
半島から内地への文字通りの強制連行が始まる。
これは「募集」「官斡旋」の頃から強制的な人さらいもどきであったことが、帝国会議質疑などで指摘されているが、44年9月からは法的拘束力をもった「徴用」となった。


73年 千田夏光 『従軍慰安婦』出版

83年 吉田証言

87年 韓国、民主化闘争を経て民主化宣言

88年 ユンジョンオク氏福岡博多へ現地調査

90年1月 ハンギョレ新聞に「挺身隊取材記」連載

  5月18日盧泰愚大統領訪日直前 女子挺身隊が声明発表

  25日 韓国外相、日本政府に鉱山労働などへの強制連行者名簿作製の協力を要請。

  6月6日 参院予算委員会で社会党本岡昭次氏が強制連行者名簿作成の質問に関連して慰安婦について質問。
労働省(清水傳雄氏)は「民間の業者がそうした方々を軍と共に連れ歩いていたので調査しかねる」と答弁。

  10月 厚労省答弁に反発した韓国の37女性団体が、日本、韓国両政府に抗議の公開書簡を送る。

  11月 37の女性団体が「女子挺身隊問題対策協議会」を設立

91年 8月 金学順さん名乗り出る。

      電話ライン設置。名乗り出る人多し。

   12月 学順さんら三人が三十三人の軍人軍属と共に日本政府に訴訟を起こす。


92年 1月11日 吉見東大教授が防衛庁で慰安婦募集に軍が関与した書類を発見したことが朝日新聞に報じられる。

   1月17日 宮沢首相、訪韓の折りに、慰安婦問題でお詫びを表明。

   2月18日 国連人権委員会で「慰安婦」問題が初めて提起。


   7月 マニラの「アジア女性人権評議会」他は「フィリピン人元慰安婦の為のタスクフォース」を設立。
     加藤官房長官「軍が関与したことは否定できない」と談話発表。

   8月10日 「挺身隊問題解決の為のアジア連帯会議」には被害国韓国台湾、タイ、フィリピン、香港と加害国日本の市民団体が参加。


92年 7月6日

 日本政府は調査の結果 百二十七件の資料を公開し政府の関与を認めたが、「強制連行」を示す資料は見つからなかったと発表。
しかしこの一次調査の資料には警察労働省の資料が一点もなく調査が不十分であると非難される。

93年 8月4日

 日本政府、第二次調査結果(公表資料二百三十四点と国内関係者からの聞き取り、談話骨子とりまとめ後、日本政府の誠意の表れだとして、日本政府が要請した十六人の被害者からの聞き取り)と共に河野官房長官による談話発表(談話の内容には被害者からの聞き取り結果を反映していない。下に記した参考文献「検証チーム報告書」を参照のこと)。

年表終わり
 
 


 慰安婦問題のそもそもは民主化がなされた韓国での調査が発端であり朝日新聞報道より遙か以前のことである。また「日本軍が関与していない」という答弁も反発と関心を引き起こす事になった。その後軍の直接関与の証拠が日本側から続々発見されるにいたり、軍関与を否定出来なくなった後で、日本政府は強制連行についてわざわざ「資料が見つからなかった」と強調した。
吉田証言については昔から吉見教授など研究者から疑問の声が上がっていたし、誘拐の舞台となった済州島では80年代にこの証言に疑義が呈せられ韓国内で新聞報道などもされている。河野談話では強圧的募集、強制的に接客などとは書かれているが、強制連行されたとは書かれていない。吉田証言を元に書かれたものでないのは読めば一目瞭然である。それなのに吉田証言が慰安婦を問題視している人々の唯一の拠り所であるような印象を与え、河野談話を結びつけるのはこじつけであり、吉田証言が虚偽だったことをもって河野談話の撤回、慰安婦問題の免責は出来ない。また「強制連行」や「挺身隊」などの表現に関しては80年代当時、どの新聞もさして表現に違いがなかったし、朝日新聞の吉田清治氏言及回数もほんの数回十数回(16回です。間違えました。申し訳ありません)のみであった。
そして国会議事録を「狭義」「強制」の語で検索をかけると、慰安婦問題で最初にこの言葉を使ったのは安倍総理大臣その人である(追記参照)


 Q 強制的に拉致されたのでなければ何が問題なのか。性奴隷という言葉は言いすぎではないか。

 旧植民地に於ける元慰安婦女性は、7割弱が事務、看護婦のような仕事と言われ売春とは知らずに募集に応じ、3割弱が役人、警官などが村にやってきて、『割り当てがあるので娘を出すように』と言われやむなく応じ、残りの数パーセントが売春と承知して応募したと証言している。これは韓国と台湾で別の時期に違う団体がそれぞれ聞き取りをした2つの結果がほぼ同じ割合であることから、信用できる数字と考えられている。

 騙されて連れてこられた女性達の存在を軍部が知っていた事は日本軍、兵士や憲兵の夥しい数の日記、報告などから確実だが、軍がその業者を処罰し、騙された女性達を帰国させた書類も事例も一つもなく(兵士がカンパして解放した例などはある)、そのまま業者に営業させ、女性達に接客させていた時点で、セックストラフィックに関する近代的な人権を全て棚上げしたとしても、性奴隷であり申し開きは出来ない。ましてや後年彼女達を「売春婦」と呼ぶ事はセカンドレイプ以外の何者でもない。


Q でも、お金を稼ぐ目的で行った人もいるわけだし、何から何まで悪かったというのも不公平では?

 日本軍慰安婦制度は日中戦争中から始まり、最初は醜業婦と呼ばれたプロの女性が実態を知って慰安所に来る事が多かったのだが、戦線の拡大による慰安所数の増加と、兵士の性病予防という慰安所設置の第一理由などから、プロではない素人女性の需要が高まったため、就労した時期、慰安所のあった場所により応募した元慰安婦達の背景、慰安所での生活にはかなりの違いがある。
慰安婦はピクニックにも行った(実は軍高官のレクリエーションのため接待にかり出されただけ)、高給だった(日本軍が発行する軍票が大暴落したため額面が大きくなっただけ)、志願した売春婦だった(上述僅か数パーセント)などと、一つ二つの事例を挙げて(それさえデマに近い曲解なのだが)も、その他の事例が免罪される訳ではない。
たとえて言うなら、開業当初は従業員に週一日休ませ、安いとはいえ残業代を払っていた企業が、後年三ヶ月休み無し、一日18時間労働、残業代無しで過労死する従業員が続出したとして、開業当初の例を持ち出して、後年の労働法違反が消えて無くなるわけではないし、昔残業代をもらっていた事を理由に、後の残業代不払いや退職拒否を当然視することはできないのと同じ事である。
また売春目的で応募した女性のみだったと仮定した場合でも、深刻な人権侵害があった。健康を害するほど無理矢理接客させられた夥しい事例の他に、軍と共に行動することで戦闘に巻き込まれ戦死した女性、退却中に動けなくなり置き去りにされた女性(『処置』する様にという通達が残っている)が多いことなど、兵士並みの命の危険に晒された女性も多数いた。
からゆきさんなど、海外に出稼ぎに行った日本人女性の待遇もひどいものではあるが、当時アジアの一等国、遅れたアジアを解放すると胸を張っていた大日本帝国が、それよりはるか昔の民間の悲惨な事例(1907年に売春目的の渡航が禁止された)と同じか、それよりひどい事を行っていた事実、その女性達を兵士と共に戦闘に参加させた挙げ句、後年政治家が「高給取りの売春婦」などと公言するのは、許されるものでは決してない。


 Q とはいえ慰安所は必要悪だったのでは?どこの国もやっていたのでは?


 日本は急激な戦域拡大で指揮官が不足した。しかし士官を士官学校卒に限定していた旧日本軍は、学校を出たばかりの現場経験ゼロの若造に兵士を率らせたため、めちゃくちゃな作戦がまかり通ることになり、意味のない戦死が増えた。また食料、装備などを戦地で自己調達するという日本軍の遅れたシステムから、深刻な食料・物資不足に陥る部隊も多く、それらと相まって、兵士の不満が爆発、隊の統率が全く取れなくなってしまう事例が頻発した。戦場で規律が緩み自暴自棄になった兵士らによる略奪・放火・強姦が多発したため現地での日本軍への反発が非常に強まってしまったこと、また強姦によって性病になる兵士が増え、戦力不足に陥りそうになったために軍幹部が考え出したのが慰安所だった。これは現場からの報告と要請(兵站の充実、兵士の休養の確保、きちんとした上官の育成など)を完全に無視した付け焼き刃の対策でしかなく、強姦数は慰安所を作ってからも減ることはなく、むしろ増えてしまい、慰安所の存在が強姦の引き金になったともいえる有様となった。
慰安所が出来る前に、惨状の中でもきちんと統率された立派な部隊が数は少なくともちゃんと存在した(笠原「アジアの中の」)ことを考えれば、上述の通り既に国内法に抵触し法の支配を踏みにじる暴挙であった事を除いても、慰安所など造らず別のまともな対策をとったほうが、兵士にとっても進軍した現地の住民にとっても、慰安婦とされた女性達にとっても、どれだけ良かったかしれない。

  Q 慰安婦についてはわかった。しかし20万人なんて誇大な数は訂正すべき。

日本軍慰安婦の数が過大だと考える人は東郷和彦『歴史と外交』を読んだ方がいい。元となる条件は大体同じで、常識的な接客数と期間で計算したら20万人に なったのと、潰れるまで使い倒したので5万人で済みましたという違いだけだとよく分かるから。少なければ罪が軽くなるという話ではないのよ。
https://twitter.com/ponzoo/status/487449185080193024 この本で東郷氏は秦氏と吉見教授の積算根拠は大体同じで、その違いはどこから来ているのかを説明し、日本政府は数を問題にしない方がよいと忠告してる。


Q 日本の歴史の汚点にこだわるのは自虐的でしょ?ほじくり返す意味はどこにあるの?


 上述した通り、無理な進軍、未熟な上官、きちんとした兵站を整えず食料や必需品を戦っている兵士達に自己調達させるという前近代的な遅れた軍の方針に対する、兵士の不満のはけ口として軍慰安所は設置された。
進軍に次ぐ進軍で碌な休みも与えられない兵士が、最初こそ利用するのを躊躇いながらも慰安所でのひとときを「生きていると実感できる唯一のひとときだった」と述懐しても無理はない。その相手が騙されたり強圧的に連れてこられた女性達であっても、兵士達がその事実に目をつぶるか、ここでお金を稼いで幸せにしているとの思い込んだとしても、私には責められない。
本当に責められるべきは兵士という一人の人間をそこまで追い込んだものの方だ。


 有名なスマラン事件ではオランダからの非難を受けた時こそ軍部が士官を処罰したが、その士官は事件直後から順当に出世しているし他の下士官も出世している。これは軍に本気で処罰などする気がなく、国際世論に配慮して形ばかりの処分をしたと思われても仕方が無いと思う。
そもそも東南アジアでは女性達を無理矢理拉致をして接客させた事例が多いのだが、指揮官が処罰されなかったものが多い。これをみれば旧日本軍が慰安所の女性に対して一片の人権も考えていなかった事を物語ってい る。そしてその人権感覚の延長線上に数多くの日本軍兵士が置かれていた。日本軍慰安婦制度を不問に付し忘れ去ることは、数多くの日本軍兵士の置かれた悲惨な状況も忘れさり、その状況をつくったものを不問に付すという事になる。

 
追記
中曽根元首相は衆議院時代に書いた「二十三歳で三千人の総指揮官」という文章の中で

その後、バリクパパンに進入した。  「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである。………」

と書いている。ご本人はその若さで三千人の総指揮官に任ぜられた事を誇っておられるようだが、進軍先の現地市民の反発に困り果てていた旧日本軍の現場を考えない無茶な人事の一例ともいえる。

【追記2】
2014年 10月3日 

  衆議院予算委員会での辻元清美議員の質問に対して、安倍晋三首相は
「河野官房長官談話」の作成過程に関し、「吉田清治氏の証言は客観的事実と照らしてつじつまが合わなかった。他の証言者の証言と比較して信用性が低かったことから『河野談話』に反映されなかった」と述べました。

「狭義」か「広義」か

安倍首相が以前「いわゆる従軍慰安婦というもの、この強制という側面がなければ特記する必要はない」などと持論を展開したこと(140 - 衆 - 決算委員会第二分科会 - 2号平成09年05月27日)と官房長官談話を踏襲することの整合性を問われて
「いわゆる狭義の上での強制性という問題がありました。それは狭義の強制性ではなくて、広義の意味での強制性について述べているという議論もあったわけでございます」と述べている(165 - 衆 - 予算委員会 - 2号平成18年10月05日)が、
国会質疑でこれ以前に「狭義」か「広義」かの論戦があった記録は私には見つからず、それより以前の国会答弁では、「強制連行の定義」について
 
○政府委員(清水傳雄君) 強制連行、事実上の言葉の問題としてどういう意味内容であるかということは別問題といたしまして、私どもとして考えておりますのは、国家権力によって動員をされる、そういうふうな状況のものを指すと思っています。(118 - 参 - 予算委員会 - 19号平成02年06月06日)と述べられている。

 
 


『この記事での参考文献』(取りこぼしもあるかも知れません)

従軍慰安婦 (岩波新書) 吉見 義明 


共同研究 日本軍慰安婦 吉見 義明、 林 博史 (1995/8)

アジア・太平洋戦争―シリーズ日本近現代史〈6〉 (岩波新書) 吉田 裕

アジアの中の日本軍―戦争責任と歴史学・歴史教育 笠原 十九司 (1994/9)

「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実 吉見 義明、 川田 文子 (1997/7)

歴史の事実をどう認定しどう教えるか―検証 731部隊・南京虐殺事件・「従軍慰安婦」 笠原 十九司、吉見 義明、渡辺 春己、 松村 高夫 (1997/10)

慰安婦と戦場の性 (新潮選書) 秦 郁彦 (1999/6)

歴史と外交─靖国・アジア・東京裁判 (講談社現代新書) 東郷 和彦 (2008/12/17)

「慰安婦」問題が問うてきたこと (岩波ブックレット) 大森 典子、 川田 文子 (2010/2/6)

日本軍「慰安婦」制度とは何か (岩波ブックレット 784) 吉見 義明 (2010/6/10)

「慰安婦」問題とは何だったのか―メディア・NGO・政府の功罪 (中公新書) 大沼 保昭 (2007/6)

参考リンク

慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する内閣官房長官発表 http://www.awf.or.jp/6/statement-01.html

アジア女性基金  http://www.awf.or.jp/guidemap.htm

アジア女性基金内慰安婦関連歴史資料
(政府による、河野談話の元となったいわゆる従軍慰安婦問題についての調査結果 第一次調査と第二次調査をまとめたもの pdf版 全5巻 総頁数1947 第五巻に各巻資料の概要あり)

Fight for Justice——日本軍「慰安婦」—忘却への抵抗・ 未来の責任


陸軍慰安所の設置と慰安婦募集に関する警察史料 永井 和 

自由主義史観論争を読む(永井 和)

永井和の日記

日本の現代史と戦争責任についてのホームページ 林博史研究室 
 
外務省慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策 

外務省歴史問題Q&A

河野談話作成過程等に関する検討チームによる『慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯』pdf(平成26年6月20日)
(元慰安婦女性達からの聞き取り以前に談話の骨格は出来ていたこと。それまでの聞き取り書で十分だったにも関わらず、女性達の精神的負担を考慮して聞き取りを反対する支援団体を押し切って日本政府による聴き取りを強行したのは『問題に真摯に対応する日本政府の姿勢』をアピールするだけのものだった等々、まずはご一読を)

 吉田証言と河野談話の関係についての辻元清美議員の質問と首相答弁を報じた「赤旗」記事

従軍慰安婦問題 資料  

従軍慰安婦問題リンク集 
 
 バリックパパンの日本海軍322基地に「設営班慰安所」 1942年3月11日、中曽根康弘主計中尉の「取計(とりはからい)」で開設 防衛省防衛研究所所蔵の文書に記述 

Apes! Not Monkeys! はてな別館(戦時性暴力タグ) 

誰かの妄想・はてな版(慰安婦タグ)

従軍慰安婦問題のリンク集

従軍慰安婦資料集 

2013年06月13日(木)「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」(対局モード)
上記ラジオ番組書き起こし   『ラジオ批評ブログ――僕のラジオに手を出すな!』様   

そのほか沢山のサイトに書籍「従軍慰安婦資料集」からの転載があり、その数々を参考にさせて頂きました。
歴史修正主義」ブックマーク

『(慰安婦問題を考える)挺身隊との混同、韓国では 韓国在住の言語心理学者・吉方べき氏に聞く』

合わせて読みたい
餓死(うえじに)した英霊たち 藤原 彰 (2001/5)
日本軍戦死者の6割は戦病死という名の餓死であった。原因は日本軍の兵站を無視した無謀な作戦によるものという告発。著者は旧陸軍出身で中国大陸での戦闘体験もある歴史学者藤原彰一橋大学教授

2014年3月12日 (水)

栄村とフラガール

 これが何時のことだったのかはっきりしないのですが、ふと見た夕方のローカルニュースで、震災後全国巡業をしていたスパリゾートハワイアンズ(私的には常磐ハワイアンセンターなんですが、永遠に)のフラガールの皆さんが、あの震災の翌日地震被害に見舞われた栄村へ慰問した様子が流れました。

集会場に毛の生えたような小さな場所でのステージの後、会場のお年寄り達と交流という段取りだったと思うのですが、そのお話しする場面で何故かフラガールさん達が大号泣していました。
衣装のままでしゃくりあげながら「私達も頑張るから、おじいちゃん達も頑張って」と多分言っているのだろうと推測するのだけれど、なんと言っているのかは誰にも分からない、子供がするような泣きしゃべりの会話が繰り広げられ、相手をしているお年寄りもその尋常ならざる号泣ぶりに椅子の上で呆気にとられている様でした。
その後、最初こそ?一瞬固まったお年寄り達も遠路はるばる来た孫に対するように和気藹々シーンでニュースは終わりましたが、あまりの号泣姿にどん引きした私は、これではどっちが慰問に来たのか分からない状態だよなあとぼんやり思っていたのです。

しかしニュースの後、このフラガールさん達は被災しなかった人達の間を廻ってきた事にふと思い至りました。
福島から来たという要因もあって心ない言葉を投げつけられた事もあったでしょうが、どんなに励まされても、どんなに親身になられても、帰る家のある人達の間を巡業してきた後に、違う地震ではあるけれど災害に見舞われたお年寄りと対面した。
彼女達の堰を切ったような号泣は、同じ恐怖、同じ苦しみ、同じ喪失を共有できる人達に会えた為に緊張の糸が途切れたものだったのかもしれないと。そしてあの時、被災していないテレビクルーと、その向こうにいる視聴者など彼女達の視野には入っておらず、完全に被災体験者だけの世界だったのかもと。

そう考えると私には彼女達の人目も憚らない号泣が震災を体験した人としていない人との溝の深さを示している様に思えました。そして自分が震災の事などなにも分かりはしないのだと言う事を思い知りました。
そして被災した人達とそうでない私との間に横たわる溝があることと、その深さを絶対に忘れてはなるまいと心に誓ったのです。それが私に出来る僅かな事の一つだから。

2014年2月18日 (火)

大雪と天ぷら

 タイトルだけで何の話かお判りかと思うのですが、本題に入る前にちょっと別の話をします。

長野県では02年、議会から不信任案を突きつけられた田中知事が出直し選挙での大勝したのですが、その翌年に行われた県議会選挙での反知事派の大物議員の安定の再選を果たすという出来事がありました。勿論落選した議員もいましたし接戦の末なんとか再選を果たした議員もいました。しかし僅か8ヶ月前の知事選結果と議員選挙の結果とはかなりかけ離れていたのです。これについて「知事は田中、議員は反田中に投票してバランスを取った」という意見もありましたが、県議選の後朝日新聞が何故反田中派の大物議員が再選できたのか、得票数の多かった地区を訊ねて検証する記事を出しました。

その記事によると反田中大物議員(石田治一郎議員ですけど)に何故投票したのかという問いに対して「災害が起きたときに県に直接言っても復旧に時間がかかるが、議員に頼めばすぐ対応してもらえるから」という声が多く紹介されていました。
この地区は生活道路の県道が狭く、小規模の土砂崩れが起きやすく、一度起きると孤立してしまう可能性が高い、背に腹は替えられないという事なのだそうです。
私は安曇野市に住んでいますが、そう言えば昔「○○議員を当選させておかないと何かあったときに困るから」と言って自民党に投票する人がかなりいました。区長さんとか地区の責任ある立場の人が多かった記憶があります。

 県や自治体に要請して生活道路やライフラインの復旧に時間がかかる事自体に問題があると思うのですが、その状態を(多分)わざと放置し続けることによって議員に一働きさせる機会を与え、その結果、何かあったら困るから落選させるわけにはいかないという状況を長年かけて作ってきたのだと思います。そんな状況が続けば、議員というのは口利きをするのが仕事で政策などは二の次三の次と、有権者も候補者も考えてしまうかもしれません。
合併前の話ですが、私の住む村では村会議員のいない地区は除雪車が通らないのが当たり前でした。それでうちの地区でも皆で頑張って議員を出した事がありました。かなり昔の話なのでさすがに今はそこまで露骨なことはありませんが。

除雪車では済まない、もっと大きな復旧費用は国から貰わなければなりません。当然省庁に顔の利く大物国会議員と、その人に繋がりのある地方議員は強いわけです。
選挙区で何か起こればどの議員も駆けつけると思いますが、すぐ対策を打てる手づるを与党系議員で独占することによって、地方の有権者は与党国会議員と、その子分のような地方議員に投票し続けなければならなくなった、それが長期政権を可能にした、すべてとは言いませんが大きな理由の一つではあったでしょう。

 その事をある意味裏付けている発言もありました。

 朝日新聞1月22日 『自民・二階氏、震災被害拡大は「党が選挙に負けたから」』

 自民党の二階議員が経団連主催のシンポジウムで講演した時

  二階氏は、御手洗冨士夫・経団連名誉会長が「3・11の時も阪神の時もたまたまあまり経験のない政府だった」と述べたのに応じて発言した。「そういうことに得手(えて)の悪い内閣が内閣の地位におった。これは本当に不幸なことだった」とも話した。


 内閣の力量というのはあるでしょう。しかし本来ならば誰が首相であろうとも、外遊中であろうとも、永田町が被災したとしても、それで悲惨な事にならないように災害対策は設計されるべきものです。それを議員の得手不得手の入る余地を決して手放そうとせず、あの震災を経験した今でもそれを吹聴するのは空恐ろしいと私などは思うわけです。

 それでタイトルの「天ぷら」なのですが、これは首相が天ぷらを食べた食べないの話ではないのです。

 議員が誰かに関わらず復旧できるシステムを目指した政党の党首なら外出していてもいいでしょう。しかし議員が入らなければ話が進まない体制を作ってきた自民党の世襲議員で、先の大震災の時にはあたかも首相が何もやらないから復興が進まないのだといわんばかりに攻撃していた安倍総裁が、15日には各県から自衛隊への要請が出ていたにも関わらず、リーダーシップという言葉が大好きであるにも関わらず、16日夜に官邸から出かけて会食をしていたという話なのです。

形だけでも自重するたしなみはなかったのでしょうか。災害に晒される地方の人がその為に差し出し続けていたものは、天ぷらより遥に重いものなのなのに。

2012年12月12日 (水)

昔のCM

 
 またまたご無沙汰しておりました。
今日は唐突に長野県超ローカルTVCMのお話しをば。

 その昔、私が物心つくかつかない頃から、一節には私が生まれる前からという、県内ではよく流れるCMがありました。

 それは商品の静止画像にとても小さい子供の声だけが響くというもの。

台詞はたったこれだけ。


  キンヤのかばんは良いかばん!

  キンヤのかばんは良いかんじ!

  キンヤでね!

 
 流れている間は思わず息を止めてしまう程早口で、言ってる事はなんじゃそりゃなこのCMは、一度聴いたら忘れられないものではありましたが、所詮はローカルなお店のCMと思っておりました。

 そんなある時、久々にこのCMを見た、もう小学校高学年か中学生になっていた私は、ふと、本当にふと訝ったのでありました。
ものすごく甲高い声ではあるけれど(昔は子供の声は高いものという既成概念がありまして、テレビに出るとき子供は高い声を要求されたそうです)、この年で(推定5歳~7歳。ひょっとするともっと小さいかも)この滑舌の良さ、この声の張り、この言い回しの上手さはなに?と。

 それでその事をその場で口にしたところ、母があっさり

 「だって勘九郎だもの」

 たまたまその場に居た伯母も

「そうそう。これは勘九郎」


ええーーーっっっ!

歌舞伎ってすごい!伝統ってこわい!この年でこれだけの芸を身につけているのか!どれだけ練習しているんだ!絶対普通ではありえない!

 
 正直、母の記憶違いで本当は歌舞伎界の他の子息(胡椒息子で鳴らした三代目中村歌昇とか)でないとは言い切れないのですが、母が間違っても伯母まで間違うとは考えにくく、それ以来このCMの声は五代目中村勘九郎だと、私の中に刷り込まれてしまったのでした。


 あの声のひたむきさ、真剣さ。小さいときからの圧倒的な芸の修行、そして天賦の才。

十二月五日、本当に大切な宝を失ってしまった気がします。


 十八代中村勘三郎翁のご冥福をお祈り申し上げます。 
  

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