目をキラッキラ輝かせていた人の話
ご無沙汰しております。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
私は10月に指の腱鞘炎になってからあれこれ用事も足せず、結果11月半ば、指が少し動くようになってから怒濤の日々となり、先月のブログ更新をギブアップしたのみならず、12月8日サントリーホールでのポゴレリッチコンサートをも断念し、12月は生きる気力も失せ果て、腱鞘炎の注射もしそこねて年末に至りました(涙)
さて、コンサートに行かれなかった私の為に、お友達の皆様が演奏の情報をアレコレSNSに書き込んで下さりました。本当にありがとうございます。
今回の演奏時間はやや長めだったそうで、その話から2010年は三時間もかかったのよね~などという話になり、当時を思い出すべく、このブログにアップしたその時のコンサート感想文を読み直したのでした。その時の記事はこちらです(リンク)
このコンサートの翌年冬にポゴ師は演奏時間がやや短くなり「王の帰還」と言われ、その後割と普通の速度になって、世間様から完全復活したと認められたわけです。そこらへんを2012年5月来日から2016年12月まで、飛び飛びですが聴いてきた私には疑問が一つあったのです。
早く弾けるならなんであんなに遅く弾いたの?と。
あの遅い演奏を聴いたればこそ、私はその後の演奏会での理解が深まったとも思うし、何よりあの演奏が素晴らしかったと思っているので、文句はないのですが、でも早く弾けるなら早く弾けばよくない?と思ってました。あの遅さを彼の精神面での苦難の現れと考える向きも一部であるようですが、精神のどっかが乱れてたらあれだけ緻密な演奏を長時間できっこないので私はその説は採用しません。曲の構造が恐ろしい程よく判るので聴衆へのレクチャーかとも思いましたが、それならマスタークラスとかの他の場所でやるべきだし、彼ならそうするだろうとも思いました。
何よりポゴ師は昔のインタビューで「何故曲をバラバラにして遅く弾くのだ」と問われて「私は美しい曲を美しく弾いているだけ」と答えているのです。
あの、作曲家(演奏家ではないのよ、これが)の圧倒的な才能の前に跪かせるような、眼前に拡がる曲の構想が圧倒的に大きくて、聴いている人間が米粒の様に小さく感じてしまうような、つまりどでかい凶器で聴衆をぶん殴るような演奏を「美しい曲を美しく弾いてるだけ」とか、あまりに表現が地味ではないでしょうかと。
とはいえ、長年観察してきた演奏家なので、本人は真面目に答えている可能性が高いように私には思えます。あの演奏と、この表現の乖離に私は戸惑いました。
それが、今8年前の感想文を読んで、思いもかけずこの積年の謎が解け気がするんです。また何故私にでさえ作曲家の意図が手に取るようにわかったのかということも。
簡単に言ってしまえば、精巧な機械を分解して、その部品一つ一つを眺め、部品の美しさ、配置の冴え、連携する動きの妙を、目をキラッキラさせながら熱く語る人っていませんか?
ポゴレリッチは極端に遅いテンポで音をバラバラにすることで、曲の構造や作曲家の意図を誰にでも分かる様に明瞭に示しました。その出来は恐ろしくもすばらしいものだったので、私は、その図は彼が頭の中で描いたものであり、それを表現するためにステージ上で頑張っていると思い込んでいたのです。
だから音をバラバラにして
「ほら、この組み立て、すごいでしょ」とか
「この音!この大きさのこの音!これをここに置くことが4小節後を見据えた布石なんですよ。すごいでしょ」とか
ステージ上でそういうことしているとは夢にも思わなかったのです。
でも8年経って(07年からなら11年)、あの時の衝撃が少し記憶から薄れた今、自分の感想を読み返すと、どうもそうとしか考えられなくなってきたのです。
機械は分解したら動きませんが、曲は部品がよく見える程度に分解しても曲の内と考える人も一定数いそうですし(私がそうです)
これなら「美しい曲を美しく弾くだけ」って表現も確かに成り立ちそうです。
そして彼の演奏を「こんなの曲じゃない」と怒った名もなきお客様がいらしたと漏れ聞いておりますが、この考えも理屈としてはあるかなと、今頃(2018年12月)思った次第です。
という分かってる方々には8年前から明々白々だった事柄を、なぜ今頃、それも慌ただしい年末にアップしたのかと問われれば、それは私がお馬鹿さんだからです。
そうです。元々壊れていたお脳がついに瓦解したんです。
こんな壊れた私を一年間暖かく見守って下さって、皆様本当にありがとうございます。
でも、聴きたかったな、あの演奏・・・・
と、変な未練を残しつつ、皆様には良いお年をお迎え下さいませ!
追伸
リンクを盛大に貼り損ねてました。いや~、私らしいわ(笑)
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