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カテゴリー「音楽」の41件の記事

2015年12月 8日 (火)

鬼に笑いを!


 鬼才ポゴレリッチ、サントリーホールコンサートのプログラムが遂に発表されました。

「イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル」リンク) 

プログラム
ショパン: バラード第2番 ヘ長調 op.38
    : スケルツォ第3番 嬰ハ短調 op.39
シューマン: ウィーンの謝肉祭の道化 op.26
モーツァルト: 幻想曲 ハ短調 K.475
ラフマニノフ: ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.36

 ワタクシ、買ったばかりの高橋の手帳、12月10日 (土) のところにしっかり「ポゴレリッチ サントリーホール」と書き記してしまいました。

そう、2016年12月10日!来年も来年、368日後の予定を!

鬼さん、思う存分笑うがよいわ!
笑って日頃のストレスを吹き飛ばすがよいわ!
そして私がサントリーホールにたどり着けるかどうか、見届けるがよいわ!
ほーっほっほっほっ!(▼▽▼)

 と私一人が高笑いをしながら夜は更けていくのでした。まる。


 人間からのご提案

 ついでに鬼才の演奏を聴いたりして。鬼同志だから上手く行きそうぢゃない?(*^_^*)

2015年11月20日 (金)

アルゲリッチ 私こそ、音楽!

 一年前に観た映画の感想を今頃書きます。もうほとんど忘れてしまったのでDVDでも見直してから書いた方がよいとは思うのですが、なかなかそれも面倒で(^_^;)

 去年の11月、シネコンでの上映期間になんとか滑り込みで観ることが出来ました。「あの」マルタ・アルゲリッチを、彼女の娘さんであるステファニー・アルゲリッチがドキュメンタリーにしたものです。これはステファニーちゃん(なぜかこう呼びたくなる)が生まれてから何千回と聞かれたであろう「マルタ・アルゲリッチが母親ってどんな感じ?」という問いに対する彼女なりの答えという気がします。私が邦題をつけるとしたら「私のママはこんな感じ」原題は' Bloody Daughter'


 冒頭は監督である三女ステファニーの出産シーンから。病室でもマルタには仕事の電話がかかってきたりと忙しそうなのですが、このドキュメンタリーの中でマルタアルゲリッチは、列車の中でサラダのパックを食べていたり、リハーサル中に打ち合わせをしながらコーヒーとビスケットをつまんでいたりと、まともな食事シーンは殆ど無く、主に移動中に食事を摂っていました。演奏家の生活がここまで過酷だとは私夢にも想像していませんでした。

 映画はそんな過酷な生活をする『あの』大ピアニストを、ホテルの寝室まで追跡して撮影したりしてしまうのですが、これで彼女が少しは理解できるなどというアテは早々に外れます。最初の方で出てくるインタビューで、彼女、マルタアルゲリッチは真剣に説明している様に見え、私も真剣に聴き取るのですが、話の最後に彼女から「言葉で幾ら言っても分からないのよ」と言われ、煙に巻かれた気分に陥ります。と同時に言葉の説明だけで赤の他人が誰かについて簡単に理解できる筈もないと妙に納得もしてしまうのです。

 このインタビューの話し方が、彼女一流の相手を煙に巻くやり方なのかどうなのか、私にはわかりません。映像をみても、アルゲリッチは色んな物事に真摯に対峙しようと試みている風ではあるのですが、フランクに見えてひょっとしたら壁があるのかも知れない。監督のステファニーも、ナレーションで必死に説明するのだけれど、自分の母親を説明するためではなく、母親のわかりにくさを皆に知って欲しくてメガホンを取ったのではと思うくらい、理解できそうで理解しにくい。

 私はこの映画を観ていて図らずもイングマル・ベルイマン監督の「秋のソナタ」を思い出していました。この映画はイングリット・バーグマン演じる著名ピアニストとその娘の確執を描いたものですが、娘役のリブ・ウルマンが後年インタビューで苦々しく「キャリアを築いた母親は、男性からはああ見えてしまうのでしょう」と語らざるを得ない程、母親に厳しい映画でした。あれから数十年、「秋のソナタ」よりこの母親(マルタ)の方が数百杯も波乱に満ちていたにも関わらず、三人の娘さん達も映画(秋ソナ)より遥に大変だったにも関わらず、ステファニー自身が「この映画は和解への試み」であると明言しているにも関わらず(公式サイト監督談)、世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチとその娘達のドキュメンタリーは、何故か明るく、瑞々しく、愛情に溢れたものとなっていました。

 とはいえ、長女リダが養女に出された件で「愛情深い母がどうしてそんな事をしたのか、何度説明されても理解できない」と話を打ち切ってしまった時には、ちょっと待て、ドキュメンタリーなのだから出来事の説明くらいしたらどうだ、幾らなんでも「養女に出ました。理由はわかりません」はないだろうとさすがの私も思いました。でもよく考えたら家族間でも判らない事柄を、時系列だけ並べても赤の他人に理解できるはずもありません。こういう部分をねちねち描くと「秋のソナタ」になるのでしょうが、皆が多分苦労して乗り越えようとしている事柄をわざわざ蒸し返して、確執を生む必要もありますまい。起こってしまった事はもう変えようがないのだから。

 冒頭の出産は、日本でデュトワとコンチェルトを演奏する予定を、直前になってアルゲリッチがキャンセルして駆けつけたものです。
このキャンセルについて、アルゲリッチは

「皆様をがっかりさせてしまうことはよく分かっているのですが、私自身3人の娘を生んだ者として、新しい命が生まれる非常に大切な瞬間を家族と分かち合うことは大切なことなのです」

と述べています(リンク) また私の記憶違いであったかも知れませんが、別のインタビューでアルゲリッチはそれまで孫の出産に立ち会ったことがなく、もしこの時を逃すと永遠に娘の出産に立ち会うことが出来ないかもしれないと気づき、公演を急遽キャンセルしたとのことでした。

 映画の最後で、母親と三人の娘、そして孫が一同に会して、草の上でペディキュア大会(ピクニックの余興か?)をします。娘達は里子に出されたり、妹のおむつを替えたり、母親の演奏に付き添って緊張のあまりどっと老け込んだり、「(ピアニストになるのは)やめた方がいい。母親には絶対に勝てない」と言われたり、コロンビア大学で博士号を取った後どうしていいか途方に暮れたりと、母親共々決して平坦な人生ではなかったのですが、それでも青空の下和気藹々とおしゃべりに興じていて、色々あってもこんなひとときが持てるならそれで十分ではないかと、かつて母親ファニータに巻き込まれた娘としてのマルタも含め、それぞれが納得しようとしている様に思えました。

 Bloody DaughterのBloodyは、「血まみれの」とか「ひどい」という意味ですが、映画などを観ていて、この形容詞がboy やdaughterの前につけられた場合、ニュアンスとしては「もう、手に負えない子なんだからっ!」という感じで、困った感じ半分愛情半分という表現が多い気がします。


 音楽というよりは家族のお話です。子育て中の若いお母さん方が観ると、肩の力が抜けて少し気が楽になるのではないでしょうか。

 
 「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」公式サイト(リンク

この映画の参考になるかもしれない拙ブログ記事「子供と魔法と温泉と」

 蛇足
 シネコンの音響って良くなっているんですね。アルゲリッチがピアノを鳴らした時あまりにも音が良くて鳥肌が立ちました。この音響ならオペラのライブビューイングも観る価値ありです。こちらのシネコンではライブビューイングやってないけど(T_T)

2015年5月30日 (土)

続・芸術家達にお茶を プリセツカヤさん追悼

 もう一ヶ月近くも前の事になってしまいましたが、バレリーナのマイヤ・プリセツカヤさんが5月2日心臓発作のためドイツの病院でお亡くなりになりました。享年89歳。


 私は前に「芸術家達にお茶を」(リンク)という記事で、プリセツカヤさんにお紅茶を淹れた話を書きましたが、プリセツカヤさんといえば、公演翌日、お見送り要員としてかり出され、特急あずさ車内で私が「ダスヴィダーニャ」とつてを頼って前日習ったばかりのロシア語(通じたのかは疑問)を発した時の姿、
華奢で、知的で、淡いピンクのシャネルスーツ(だと思うんですけど)をお召しになって、本当に上品で、パリの高級住宅でマホガニーの家具に囲まれていそうな彼女が、とても気さくな感じで優しく微笑んで下さった、その優しい笑顔とその時の姿が今でも目に浮かびます。ほんとに気さくだったのです!!!あの当時でさえ伝説だったのに!!!

 と、ひとしきり感慨に浸っていたのですが、FBのお友達Uさんが「この年代の旧ソ連の芸術家は家族が粛正に遭っている事が多い」と書かれていて、話としては知っていても、個別の事例としては想像もしていなかった私ははっとさせられました。

そしてこの記事を読んでもっと驚きました。

『バレエ界の伝説プリセツカヤ死去』(リンク

 件の公演には振り付け師でマイヤさんの弟、アザーリ・プリセツキーさんも同行されていました。このプリセツキーさんが、なんとお母さんと一緒に5歳の時までラーゲリに収容されていたというのです。

 プリセツキーさんは、ボーダー柄のポロシャツを着て、お腹がすこしぽっこりして(ほんと少しだけですよ)、いつもにこにこされて、とても感じの良い方でした。私のあの「ダスヴィダーニャ」にも大受けして下さった(ありがとうございます)、あの朗らかな人がラーゲリ経験者だったとは。親御さんの粛正もびっくりでしたが、こちらのショックも相当なものでした。

 前の記事にも少し書きましたが、あの公演にはKGBと覚しき人数人も同行していました。時々目つきが鋭くなることはありましたが、ニコニコした話し好きな感じの人達でしたので私は何度か話しかけられました。
しかしボリショイの団員さん達は、衣装係のおばさん達も含めて、全員がこの人達をガン無視していました。というか態度が冷たい、硬い。どんなに楽しげに笑っていても、その人達が側を通ると笑うのをやめるのです。
当時私は「ここまで徹底するなんて、監視って続くとそこまで嫌なものなんだ」程度の認識しかありませんでしたが、この徹底ぶりは謎として心に引っかかっていました。
それが今回シノドスの記事を読み、マイヤさん、プリセツキーさんの来歴を知った後、あの冷たさが監視に対する反感というよりこのお二人に対する団員の敬意もあったのだと思い至りました。

 さらに、これは私の成長もあるのでしょうが、ボリショイの団員さん達全員の、KGBに接する時のあの徹底した態度の冷たさは、プリセツカヤさんとアザーリさんに対する敬意だけでなく、亡命して故郷を捨てざるを得なかった人、亡命しえなかった人 、そして粛正された全ての同僚、友人、家族の為に、彼らがとった抗議の形だったと思えてきました。静かに、忘れることなく、徹底して。


 プリセツカヤさんが政治的だったかどうかは私は知りません。しかしどんな芸術も生きた人間が生み出すものであり、人生はえてして政治に翻弄されます。政治と関係のない芸術など、歴史上存在さえしなかったのかも知れません。

 自由主義社会に住みながらプリセツカヤさんのバレエを堪能し、なのにソ連の国家権力に対して無知で無頓着だった私。全員で静かに抗議をし続けていた団員。
そんな私にさえ優しく笑んでくれたプリセツカヤさん。

 プリセツカヤさんがバレエ界に切り拓いた新たな境地が忘れ得ないならば、彼女が生きた時代の困難さをも忘れないようにと思った次第です。

ご冥福をお祈り申し上げます。

2012年5月17日 (木)

5月13日しらかわホール ポゴレリッチコンサート

『音楽はどこ?』

 休業から長い迷走の後、今から丁度2年前、09年のコンサートで、ポゴレリッチは奏でる一音一音で作曲者の意図を明確に説明した。その為作曲家の意図に対して彼がどのように対応したのかもはっきり理解できた気がした。曲の体をなさないという批判も長らくあったが、音一つ一つへのこだわりによりそこに生身の作曲家が立ち現れたようにさえ思えた。これほど作者を感じる演奏は83年のホロヴィッツ以来だった。
演奏会場で拍手をし、ブログで褒めちぎりながら、それでも私には一つだけ物足りない想いがあった。
曲をこのように弾いたのは賛同できる。しかしここまでこだわり整えられた曲、このように生々しく作者を甦らせた曲なら、甦らせた作曲家をなぜ動かさないのか。彫り上げられ浮かび上がってきた彫像に何も奏でさせなくてよいのか。そのためにこのように曲を作ってきたのではないのかと。

 我ながら妙な考えだとは思った。それが可能だったとして、そこに現れた音楽がどのようなものなのかさえ想像出来ない。もし、それが出来たら神業だとも思った。にもかかわらず、心の中で私はこの問いを発する事を止める事が出来なかった。
「音楽はどこ?」「ここまできたのに、音楽はどこ?」と。

 『音楽はここ』

 5月13日のしらかわホールで、というより多分今回の来日公演全てで現れたもの、それは音をどのように再現するかを目的とするものではもはやなかった。
作曲家が音の連なりとしての曲を使って現そうとしたもの、音・曲を道具にして私たちにみせようとしたものとでも言えばよいのか。
綿密に、彫刻のように彫り上げられた曲という器を通して、何か、全く別のものが現れた。その演奏を聞いていない人にそれを伝えようとするならば、文学者は長い小説を書き、音楽家は彼の演奏を表現する曲を書く、そういう類のもの。
そして古来から「音楽の神が降臨していた」と表現されてきたもの。
曲で壮麗な神殿を築き、そこに神を招き入れたと言えるかもしれない。
神殿が完全だったとは言わない。しかし音楽の神としか呼べないものがそこに招き入れられたのは事実だ。しかも彼はその神を途切れることなく舞台にずっと鎮座させ、それが存在する事を聴衆に示し続けていた。

 最後のリストのソナタが終わった時、聴衆は誰も進んで手をたたこうとはしなかった。拍手は「この世」の音だ。たたけばその音で神の世界を仕舞いにしてしまう。まだその世界を離したくない。
しかし仕事が終わったピアニストは聴衆にそれを促す。
まばらな拍手が起こり、そしてそれは怒濤に変わった。9日のサントリーホールでも同じ事が起こっていたと聞いた。金沢でも、六ヶ所村でも多分そうだったのだろう。


 曲を曲として美しく素晴らしく奏でる演奏家は多い。彼らはその奏でられた曲の中に、私たちが音楽と呼び習わしただの音と厳然と区別しているもの、音楽の根源・真髄を所々に、あるいは随所に燦めかせている。しかし曲を彫り上げ実像化し、曲そのものをあたかも一つの楽器のように鳴り響かせ依り代(よりしろ)にし、『音楽』『音楽の神』あるいは『音楽の神髄』を、目に見えるのではないかと思えるほどに顕わし続けた演奏家は稀だ。

全てが終わった後、ポゴレリッチの師であり伴侶であった今は亡きアリス夫人の言葉を私は思い出した。

 ラフマニノフ、ホロヴィッツ、そしてポゴレリッチ。

彼女は正しかったのかもしれない。


 プログラム書くの忘れた。

【プログラムB】(5月9日サントリーホール 11日 六カ所スワニー 13日名古屋しらかわ)
ショパン: ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.35 「葬送」
リスト: メフィスト・ワルツ第1番 S.514
 * * *
ショパン: ノクターン ハ短調 op.48-1
リスト: ピアノ・ソナタ ロ短調 S.178

参考までに
【プログラムA】(5月7日サントリーホール)
ショパン: ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 op.11
ショパン: ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 op.21
             (両曲とも弦楽合奏版)

【プログラムC】(5月4日 ラ・フォルジュルネ金沢)
ショパン: ノクターン ハ短調 op.48-1(当日追加)
ラフマニノフ: ピアノ・ソナタ第2番 op.36
バラキレフ: イスラメイ


2年前のイタイ感想文(リンク

2011年10月 3日 (月)

子供と魔法と温泉と

 ようやく「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」を読む事ができました。いわゆる伝記本で興味深い記述も多々あるのですが、内容は「ええーーっ!ほんと?」と思うような事から「え~、ほんまかいな~」な事まで、かなりのレンジに富んでおりました。

 その中で、彼女、マルタは自分が天才的なピアニストであると周りから思われるのが嫌だった、注目の的になるのがかなり苦痛であったという記述があり、大昔、彼女のコンサートでの出来事をまざまざと思い出し、私ははたと膝を打ったのでした。今思えば、あの時彼女はそういう心境だったのだと。

 彼女のコンサートには、81、84、87と三回行きまして、多分87年のクレーメルとのデュオの時だった気がするのですが(84年かも)、楽屋で彼女に挨拶を述べるために(マルタ・アルゲリッチにですよ!)観客は一列に並んでいたのです。
私は楽屋へ行って良いものかどうか酷く迷い悩んでしまい、勇気を振り絞って楽屋にいった時は一番最後でした。
長々待っていよいよ私の番になり、彼女の前に進み出た時、入り口近くの壁際に立っていたマルタ・アルゲリッチは、一瞬だけ、微かに、潜むように壁と柱の隅に身を寄せたのです。その時彼女は大ピアニストというより、思いっきりバツの悪いことに狼狽える表情。

 この本を読んで初めて、あの時挨拶に来たファンの賛辞が彼女にとっては居心地の悪いものだったのだと理解できました。
ピアニスト、マルタ・アルゲリッチは、でもとても感じよく、にこやかに一人一人と言葉を交わしていたのです。そして頑張り抜いた最後の最後が、NHKホールでポゴレリチを追跡した(リンク)この私だったのです。これは危ない。

そしてその時私が発した言葉は


 長野にはとても良い温泉がたくさんあります。今度は是非、入りに来て下さい!!!

 
 今考えると私はどうしてこんな事を言ってしまったのかとうろたえるばかり(^_^;

 しかしこれを聞いた時の彼女のほっとした表情ときたら。
大きく安堵の吐息をつき、急に表情がぱあっと明るくなって大笑いしながら満面の笑みで、「いいわ、いいわ、もちろんよ~」みたいな返答をしてくれ(推定です。緊張の余りなんと言われたか覚えていません)、握手して頂いたのです。サインもして頂きました。まるで長年の友達にでも対するような、気さくで温かい態度でした。
他にも何か色々話しかけられた気もするのですが、緊張のあまりもう何が何だか・・・。


 あのマルタ・アルゲリッチがこんなに温かい人柄だと判って、私は天にも昇る心地でしたが、それでも彼女の最初の表情はずっと謎でした。そしてこの本を読んでその謎がようやく解けました。最初に居たのは出来れば逃げ出したいマルティータだったのだと。そしてそれも彼女なのだと。

 音楽家ってタフでないと務まらないとは思っていましたけど、タフとは限らないところに大変さがあったんですね。
 
 これが私が過去なんども「姐さんと握手した~」と吹聴していた(リンク)握手事件の顛末です。温泉は温泉でも『別府』という展開ですし。 枯れ尾花ぽくて、すみません(;^_^A アセアセ

追記
姐さん握手記事、間違って違う記事をリンクしていました。直しました(~_~;)

2010年10月25日 (月)

クレメル二題もしくは・・・

 前記事にあるパールマンのクロイツェルソナタ演奏中、ピアノが大きく響いてしまった為に鮮明甦ってしまった過去の出来事です。

 その1 クレメル vs アルゲリッチ

 今を去る二昔も前のこと。二人のデュオリサイタルでのクロイツェル。出だしから両者とも大変な迫力だったのですが、アルゲリッチ姐さまがやや牽き気味。
最終楽章に入る前、堪らずクレメル氏がアルゲリッチの姐さまに楽譜を指さしながら直訴。もっとも指摘や主張という感じではなく、ぼそぼそとした話し方ではありましたが。それを聞きながらアルゲリッチ姐さまは、頭を斜めに動かす独特しぐさで何度も大きく頷き、賛同したばかりでなくクレメル氏を励ましている様にさえ見えたのでした。
ああ、女帝アルゲリッチの姐さまは、あんなに真摯に共演者の声に耳を傾けられるのか、と驚く聴衆・・・

 しかし、話し終えたクレメル氏が前を向いて弓を直し始めたとたん、姐さまは会場に向かって大きな瞳を見開き、不敵な笑みを浮かべたのであります。
「だ~れが言うとおりになんか」

顛末を覚ってどよめく会場。
そのざわつきに何事かと顔を上げ、いぶかしげに辺りを見回すマエストロ・クレメル。
素知らぬ顔で譜面を見つめるアルゲリッチ姐様と、おのおのあらぬ方に目を遣りしらばっくれた全聴衆。

ごめんなさい、クレメルさん。私たちに選択の余地など無かったのです。だって、アルゲリッチ姐さまのご意向なんですもの。誰が彼女に逆らえて?(クレメルファンだっていたはずなのですが(汗))

 腑に落ちない顔つきのまま、それでも何が起こったのか気づくことなくクレメル氏は普通に演奏を始め、そして最終章はもの凄いことになったのでした。
今でもあの時の演奏が時々頭に鳴り響きます(爆)


 その2 07年 クレメル vs  ツィメルマン

 さて、姐さまパワーにはちょっと打ち負かされ気味だったとはいえ、ギドン・クレメル氏は現代サイコー(何故かカタカナになる)のヴァイオリニストの一人なのは間違いなく、しかも演奏中に弓の毛が半分以上切れてしまうようなかなりの個性派。そんなクレメル氏が、紳士的、正統派のピアニスト、クリスティアン・ツィメルマン氏と組んだのですから、私がピアニストの身を案じたのは無理からぬ事と申せましょう。

久しぶりに見るクレメル氏は昔ほど派手な動きはしなくなったものの、演奏は渋さを増したとは言えやはりアグレッシブ。演奏スタイルも昔ほどではないにしろ、かなりの範囲を動き回り、ピアノを弾くツィメルマン氏にぶつかりそう。
ぶつかる不安にツィメルマン氏をみやれば、クレメル氏の動きなど全く意に介さず堂々と演奏を遂行。その姿はあたかも「君は君、僕は僕だから自由にやりたまえ。しかし万が一私の領域を侵犯するようなことがあったら、わかっているね・・・」とでも行っている様。そういえばこの人、オートバイ大好きな武闘派だったっけ。
その後、ワタクシは自分でも予想外にクレメル氏の運命を心配しながら演奏を聴くこととなったのです。うっかり踏み込んだら張り倒されそう。 

 男同士って こ~わ~い~(爆) 

 これがヴァイオリニスト、「ギドン・クレメル氏についての2題」ですが、タイトル「シバくピアニスト2題」の方が良かったかも・・・フキフキ "A^^;

2010年10月17日 (日)

生き霊に悩まされつつ、行ってきてしまいました

 本日、行きたいと思いつつ、行けるか微妙だったパールマンのコンサートに思い切って出かけてしまいました。
会場に入って立派なプログラムが無料で配られて、初めて富士ゼロックス主催のコンサートであると(リンク)知ったくらい、予習なしで臨んだトンデモさんです。当然プログラムも会場に着いてから知るという、パールマンファンに知られたら殺されそうなワタクシです。

 パールマンのコンサート、実は初めてです。テレビ放映も暫く観てなくて、あの最新型の電動車いすには感動しました。小回りきくしあれは素敵です~。

 と、いつもの様に変なところに興味を持つワタクシ。

 演奏は、やはりパールマンです。あの音色。また年をとってから華やかさの代わりに音に一層の円熟味が加わった気がします。
最初のモーツァルトはロハン・デ・シルヴァ氏のピアノが妙に大きく感じられて、彼の音色はパールマン氏ととても合っているのに(似たタイプの演奏家です)、何故こんなに音が大きい?と訝ったのですが、これは耳のせいでピアノの音が響いていたのだと思います。それに気がついたせいもあるのか、後半普通に戻りました。耳が詰まって聞こえにくくなったコンサートも過去にはありました。これが私があまりコンサートに行けない理由の一つです。
でもポゴレリッチのコンサートで耳がおかしくなったことは一度もないのですよね。何故他の人だけ?(T_T)

クロイツェルも、前に聴いたのはアルゲリッチとクレメルのクロイツェルだったので、バイオリニストとピアニストが和気藹々とクロイツェルなんてにわかに信じられないものがありました。
火花を散らさないデュオリサイタル、そして演奏中に弓の毛が切れて飛び散らないリサイタル。更に更に、真っ暗ではない会場での演奏というのも違和感炸裂で、私の脳内はなかなか大変でございました。

 翻ってみるに、私は一体今までどういうコンサートに行っていたのかということです。なかなか行けなかったため、厳選に厳選を重ねてしまったためか、異様に濃い面々ばかり選んでしまい、結果その方々の生き霊になにかつきまとわれている気がします。

 という次第で、前半、慣れるまでは四苦八苦でしたが、それを乗り越えるとさすがパールマンでした。私では周回遅れのありきたりな事しか書けないので何もいいませんが、来て良かったです。

 後半はブラームスにシューマン、そしてクライスラーなどの小品集でした。音楽に喜びを見いだしたい時にぴったりな演目でした。上手いし深いし、何より楽しい。

 満足のうちに二時間以上があっというまに過ぎ、アンコールも一曲有り、芸術家をこんなに働かせてしまったと申し訳なささえ感じるコンサートでした。そしてその時鮮烈に思い出したのは、3時間も仕事を続けたピアニストの事でした。

 次回かその次くらいに、素晴らしいパールマンの演奏中に私の脳裏に鮮明に浮かんでは消えていかなかった、濃い生き霊達について、お話しできればと思います。
これを話さないと、永遠に取り憑かれそうで・・・・^_^;

 しかしパールマンの時でさえ現れるとは。

 今日はAプロでした。

モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ 第32番 へ長調 K.376
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調 作品47 「クロイツェル」
ブラームス:「F.A.Eソナタ」のためのツケルツォ ハ短調 Wo02
シューマン:ヴァイオリンとピアノのための幻想小曲集 作品73
ヴァイオリン名曲集:当日ステージ上で発表
(クライスラー編曲のものを中心に5曲ほど。
会場をでてしばらくは楽勝で覚えていたのですが、スーパー寄ったり、大慌てで晩ご飯の支度をしているうちに、ブルックのメロディ以外思い出せなくなりました)

 アンコールはパガニーニ?^_^;←曲ごと忘れたトンデモです。

2010年5月 7日 (金)

五月五日ポゴレリッチコンサート

 今回のポゴレリッチのコンサートで特筆すべき事は、それぞれの曲を通して作曲家像をかつて無いほど明瞭に、しかも説得力を持って聴衆に提示しきった事だと思う。

 最初のショパン「ノクターン作品62-2(55-2からの変更)」の冒頭は、強調された、骨太でよく響く低音がたっぷり拡がるものだった。優雅と言うより雄大と言えた。どの音もたっぷりと響き続けながら、作曲家が意図し、仕組んだであろう和声や対位法が素人の私にもそれと分かるほどはっきりと示し出される。前半に現れるトリルなど、違う曲ではあるが「ショパンは才能ある作曲家なのです。ショパンはこの音をここで響かせるための準備を既にここから始めているのです」と07年に開かれたマスタークラスでポゴレリッチ自らが話したように、長い音の準備の必然として、ショパンでなければ書けなかったであろう音として響き渡った。私はこれほどショパンでしか有り得ないトリルはあまり聞いた記憶が無い。
曲は全体として雄大で、愁いに満ち後半は哲学的でさえあった。途中死を思わせるようなモチーフも現れた様に思う。ショパンで死のモチーフと言えば私は83年ホロヴィッツの弾いた「英雄ポロネーズ」を思い出す。あの時も英雄の勇ましさより死に向かう英雄の悲哀が感じられた。当時私は作品を聞くとき、生身の演奏家などまるで眼中になかったから英雄は勇壮なものでしかなかった。しかし19世紀初頭にポーランドで生まれ育ったショパンを「ワルシャワ蜂起」の時代を生きていた人間として捉えれば、英雄はそれと知って死に向かっていく死のイメージであっても不思議ではないし、結核を患い続けた作曲家のノクターンに死のイメージが浮かび上がったとしてもこれまた不思議ではない。
 続くソナタ3番も野太い音だった。この曲はそもそもショパンのイメージ-華やかな社交界サロンの寵児が弾く曲とは、明らかに違う深さがある事は異論がないと思う。だから線の細い華麗な響きでなかったとしても驚きではないのだろうけれど、それでもぎょっとするほど太い音だった。こんなものを社交界のセレブ連の前で演奏した日にはどうなってしまうのか?本当にこの響きをショパンが求めていたという証拠は?
しかし私の頭にあまりに有名なこの言葉が浮かんだ。
「気分のすぐれないときには私はエラールのピアノを弾く。気分が良くて自分の求める音を得たいときはプレイエルを弾く。」
そして更に、来日直前のメールインタビュー(リンク)でポゴレリッチ自身が語っていたショパン像がこれに続く。

ショパンは素晴らしい才能をもっていたのにもかかわらず、彼をとりまく人々に関しては、あまり幸せな状況ではなかったといえますね。彼の才能をもっと周囲の人がサポートしてあげるべきだった。 私はショパンとは対照的に、健康的な生活を送ることに重点をおいています。精神的にも身体的にも頑丈でないといけませんからね

 もしショパンがもっと健康だったら。もしショパンがもっと気力に満ち、毎日プレイエルに向かえたら、果たして私がショパン的と信じて疑わない音色のままであったろうか。
私はショパンと言えば即エラールの繊細で優雅な音色を思い浮かべる。ショパンはプレイエルで音を作ろうとしていたにも関わらず。ならばこの響きがショパンでないと誰が断言できるだろう。
 
 昨年ワルシャワではこのプログラムでのコンサートはチケットも完売の上、大喝采を浴びたという。ポゴレリッチがポーランドで人気の高さが、彼の鮮烈なデビューが他ならぬショパンコンクールによるものだけであるなら、チケット完売は説明出来ても、演奏後の大喝采を説明しきれない。しかし、もし、彼の演奏が私の抱くショパン像(社交サロンの花形 パリの寵児 女性のアイドル)ではなく、若くして故郷を立ち、異国滞在中のワルシャワ蜂起、列強の祖国への無理解と無関心(一ポーランド人としてショパンの受けたであろう無理解と無関心)を経験した芸術家の、パトロンや聴衆が決して目を向けようとしなかった部分、つまりポーランドからみえるショパン像に光を当てているのなら、この喝采は十分説明が付くと思う。

安川加寿子先生は「ショパンは男性的です」とよく仰ったらしい。しかしそれを聞いた人々が(雑誌などで読んだ私も含めて)、彼女の言葉の真の意味をどれだけ理解しようとしていただろうか。


 二楽章は演奏者がマスタークラスでも、その前のインタビューでも指摘していたとおり、印象派を先取りするような響きが描き出された。そして三楽章、どの音もたっぷりと響き渡り、今まで知らなかった旋律が次々と現れて絡み合っていった。どの音にも作者の意図がはっきりみえるように響いた。ポゴレリッチの演奏で、私は初めてこの3楽章を長いとは思わなかった。最終楽章は盛大、華麗というよりひたすら深かった。しかしポゴレリッチの提示したショパン像ならばこの深さは十分妥当であるとしか私には言えない。

 リスト メフィストワルツ第一番

 ポゴレリッチの弾くこの曲は、当時の流行小説をあらゆる技巧と才能を駆使し、まるで映画化でもするように音にして描き出し、集ったお客達の度肝を抜いたであろう当時の様子を生き生きと描き出す。リストがレーナウの「ファウスト」を選んだのは、芸術的インスピレーションというよりは、当時の人気小説だったからに違いないと思えてくる。何故ならば、客が本を読んでいなければ、何を描いているかみえないからだ。単純でわかりやすく、みんな読んでいるから曲にした。その位描写は生々しく、猥雑で、しかも楽しい。当時、これを聴いている客の反応が目に浮かぶようだ。
 
人気小説の音楽化という商業目的の中に、はっと驚く程見事なパッセージや、唸りたくなる対位法を仕込んでいるリスト。ポゴレリッチの描くリスト象はお得意客を逆手にとるしたたかさに溢れ、サロン(メシのタネも当然ある)と体力的劣勢の中暗く哲学的な戦いをしていたショパンと対比をなして前半戦終了。この時既に一時間40分経過。


 午後4時、プログラム後半開始。この時、後半プログラム冒頭に、ブラームスの前奏曲作品118-2が加えられることがアナウンスされる。

 ブラームス 前奏曲作品118-2

 「メフィスト」と、「悲しきワルツ」という本案物に対する対比の間に、演奏家ではなく音楽家だけの道を選んだ(選べたとも言える)ブラームス作品を加えることにより、作曲家と時代(ショパンとブラームスは20歳以上年が違う)の違いも浮かび上がらせることが出来たと思う。ショパン、リストとブラームス、同じロマン派でも、決して十把一絡げに出来ない多様性がよく分かる。
演奏は沈思黙考方のブラームスとでも言えばよいのだろうか。思いっきり真面目な人が作った曲ですと言わんばかりの演奏(ごめん、この作曲技巧は私には歯が立たなかった)。
 
 シベリウス 「悲しきワルツ」

 プログラムから推測した時は、人間の生と死がこのプログラムのモチーフなのかと思ったけれど大外れ。
リストと違い、純然たる芸術的視点から作曲したように聞こえる(ポゴレリッチがそう演奏している)シベリウス。19世紀から20世紀にかけての、人々の音楽のとらえ方の変化がよく分かる演奏。作曲家シベリウスを通して、当時の人間の内面まで垣間見られる様な演奏。

 ラヴェル 「夜のガスパール」

 私はYouTubeにアップされたポゴレリッチとアリス夫人のレッスン風景(英語字幕付き)を見て、やはりベルトランの原作をみっちり読み込んでいたのだと納得したのであるが、その後でも、原典に当たろうとしなかった自分を演奏中猛烈に後悔した。
ラヴェルがベルトランの作品を元に描こうとした世界が、ポゴレリッチによって巨大拡大鏡を通したように巨大化され果てなく拡がっていく。確かにラヴェル、確かにガスパール。そして弾くのはポゴレリッチ。この三者が渾然一体となって繰り広げる音の絵画は唖然として巻き込まれるより他になす術がない。
三時間頑張った末に、目の前で巨大スカルボ(銀色の煙付き)に踊り狂われたお客の身にもなってほしい。

 全ての演目が終了したとき、私は立ち上がって拍手をした。他に何が出来たであろう。30年近く格闘した演奏家に完敗した気分だった。でも気持ちは良かった。この路線で行ってくれればいいとさえ思った。しかしそんなに上手くは行かないのだろうなともおもった。

 果たして、翌日の福岡では休憩なしで3時間、更に曲は全く別物のようだったそうな。更なる完全(と称するもの?)を目指して、この演奏家はまた進んで行く(号泣)

2009年12月30日 (水)

ばらのじょばんに~

 大晦日もいよいよ明日に迫った今日、世の皆様方は慌ただしくお過ごしの事と存じます。
そんな世の喧噪を離れて、私は本日、なんと朝の八時から

カルロス・クライバー指揮の『ばらの騎士』なんぞを観てしまいました(笑)

 12月30日に3時間半もオペラを観る。しかも大好きな『ばらの騎士』。信じられない快挙です~~~(笑)
しかもこれを観た後はテレビの見過ぎで頭痛が起こり、午後はゆっくり休養を取るという、憂き世のナントカは起きて働け状態に。ほんとうに皆様、ごめんあそばせ(と言いつつおほほのほ)

 しかしこんな極楽状態にたどり着くまでには苦難の道があったのです。今は不況のせいかそうでもありませんが、昔は映画でもオペラでもコンサートでも、とっても良い番組は年末に放送されてしまって、「みたい、でも観られない~」とじたばたしてばかり。ぞうきん掛けをしながらジャッキー・チェンを観た事もありますし^_^;

 しかし一番悲しかったのが、ザルツブルグ音楽祭の『ドン・ジョバンニ』 まだBSがなかった頃なのでそもそもオペラの放送自体が少なく、楽しみにしていたのに疲労の余り途中から眠りこけ、気がついた時には騎士団長の石像が「どーーーん じょばーーーんにーーーーーーー」と歌っていた(殆どラストです)あの悲劇。またこの時のセットが素晴らしくて・・・(涙)

 探してみたらありました。87年ザルツブルグの『ドン・ジョバンニ』

 

 
 あの悲劇から22年、時の流れは私を成長させました。お正月は気合いを入れて待ち受けるから大変な事になってしまうのです。お正月は来ること自体を楽しめばいいのです。最大の準備は「楽しむこと」なのです。新しい年を迎える心構えにそれより相応しい境地があるでしょうか?(笑)

 ということで、奥様、年末はスルー力を駆使してたのしくのんびりすごしましょう。過ごした先がドン・ジョバンニの行き先と同じ○獄だったとしても(ほーっほっほっほっ)

2009年6月 3日 (水)

犬も歩けば思い当たる 強引にポゴネタ

 04年の発売当時から読みたかったD・バレンボイム/E・W・サイード 対談集 「音楽と社会」を、漸く読む事が出来ました。
これは、90年代の前半に、ロンドンのホテルでたまたま出会ってから意気投合したサイードとバレンボイムの、5年に亘る公開討論も含めた対談集です。
この二人が企画したゲーテがイスラムへの熱意をもとに(ゲーテは欧州アラブ研究者の文献に頼らず、自らアラビア語を勉強し、文化を研究した)素晴らしい詩集を仕上げた精神にならって名付けた「西東詩集オーケストラ」の活動についても勿論取り上げられていて 寄せ集められた若者達が音楽を通じて理解を深めていく過程や、音楽論など、とても面白いのですが、私は全く関係ない部分で、ポゴレリチを連想してしまったのでありました。
つまりポゴレリチが今やっている事はこの考え方で理解できるのではないかと。

 それはフルトヴェングラーについての部分で、彼の演奏は何故観客の不安をかき立てるのかという説明で、バレンボイムは極端なテンポの揺らぎを挙げ、その揺らぎはギリシャのカタルシスと同等のものを音楽で達成するためで、混沌から秩序に至る道筋の出発点に極端さは必要条件であるとフルトヴェングラーは言っていたとかたります。この部分がポゴレリチに当てはまるのかは私には判りません。ただそれに続いてのバレンボイムのこの発言。

  フルトヴェングラーは音楽を哲学的に理解していた。彼の理解では、音楽というのはなにかの表明ではないし、存在でもない。それは生成なのだ。音楽はなにか重要な一節を表明するものではない。そうではなくて、どのようにそこに至るのか、どのようにそこを去るのか、どのように次の段階へ移行するのか、そういうものなんだ。

それに応えてサイード

 (前略)フルトヴェングラーを聴くとき、前もって定められた方法があるようには思えない。彼の音楽から僕が受ける印象は、それが演奏そのものの中で解決されているということだ。君が「極端さ」と呼ぶものも、作品の始まりの沈黙から終わりの沈黙にいたるまでの進行するプロセスの一部なんだ。パフォーマンスからなにかを抽出して、「さあ、これが公式だ。明確で、何度も同じやり方で繰り返すことができる」なんていう事はできない。 (略) 彼(グレングールド)には「グレングールド流」というものがあり、それは再現が可能なものだということだ-他の人にはできなくても、本人にはできる。(略)

極めて流動性の高いプロセス、君の言葉を借りれば「移行」という感覚だ。それは、その場でおのずから解決を見いだしていくようなものだと思う。そこに予告はなく、プログラムもない。すべてが公演の中に収められているのだけれど、一部の聴衆には受け入れることがとても難しいものなのだろうと思う。

 これはサイードもこの対談集の前に既に表明している「音楽とは流れさるものである」という考え方ではあるのですが、この様に説明されて私はふと思い当たったのです。

 それは数年前、たまたまポゴのCDでモーツァルトピアノソナタk.331を聴いていた時です。ポゴレリチの演奏は私にとって何度聞いても先を見通せないというか、この先どうやって曲を構築するのか見当もつかない演奏者でした。この時も先も見えずひたすら鳴る音を追いかけていき、最期、トルコ行進曲もあと数小節で終わるという本当に最期の最期で、私はふと後ろを振り返ったというか、今までの演奏を思い出したのでした。すると今まで鳴った音がトンネルの様に繋がってきた様子が、はっきりと目に見えた(実際に見えた気がしました)のです。その時私が了解したのは、彼の音は最初の一音の始まりから、全ての音は最期の音を目指し、最期の音が鳴ったら全ては消えるのだということ。そして実際その数秒後に曲は終わり全ては消え去りました。CDであったにも関わらず、音楽の一回性をありありと感じた体験でした。

更にこれを受けてバレンボイムがいうには

 フルトヴェングラーはときどき、すごく念入りに、徹底したリハーサルをやった。でも、彼のリハーサルは毎回やり方が変わっていた。それについては、チェリビダッケがとても明快に説明している。彼によれば、フルトヴェングラーはリハーサルで二百通りもの「ノー」を試みたが、それはコンサートの晩にたった一度だけ「イエス」と言うためだった。つまり、リハーサルをするのは、避けたいことが起きないことを確実にするためだったのだ。たとえば、この箇所で音楽がうつろに響かないように、あちらの箇所ではだれないように、また別の個所ではアクセントがつかないように、というようなぐあいだ。これに対しほとんどの人のリハーサルは、朝のうちに音楽を組み立てておいて、夕方にそれを繰り返すためのものだ。でも音楽というもののいちばんすごいところは、くり返しのできないものだということなんだが。

  ポゴレリチはあるコンサートのリハで、自分のパートのみとオケと一緒の部分とを別の時間に分けて練習するという摩訶不思議なリハーサルをしたという情報を、以前、聞いたことがありました。その時は何故なのか見当もつかなかったのですが、曲をきっちり組み立てることを阻止しつつリハーサルをする為だったとしたら、これほど理屈の通ったやり方はなかったのではと思います。この方法だとオケのメンバーはポゴレリチの音や弾き方を望まないことが起きない程度に掴む事はできても、曲がどうなるかは本番までは判らないのですから。

 これで私の中ではポゴレリチ流れる音楽派はほぼ決定です。短絡な私を笑って下さい(笑)

 意外なところでポゴレリチを発見し、興奮のあまり長々書いてしまいましたが、この本はこれ以外にも、というかこの部分以外の方が、音楽論として、ワーグナー論として(バレンボイムのバイロイト劇場の分析は凄かった)、また原題アメリカの社会論としてもとても興味深いものでした。特にバレンボイムに質問するコロンビア大の学生の型にはまった質問と、それを切り返すバレンボイムの鋭さにはあたまが下がりました。

 ただ私の個人的感想としては、サイードと友人でありながら彼とは正反対にオスロ合意に希望を見いだせていたバレンボイムが

我々(バレンボイムとサイードの事)は同じセム人だ。

と、言い放つ場面。
サイードによれば、アンティセミティズム=反ユダヤ主義は、ユダヤ人と同じセム人である反アラブ人主義に大戦後速やかに移行したとされ(オリエンタリズムに書いてあった)、19世紀に欧州の後進国扱いだったドイツでワーグナーがドイツ芸術の無上性を謳い(つまりは疎外の入れ子状態)、20世紀にはナチの第三帝国まで突き進んだ事、バレンボイムの得意としているレパートリーがドイツ音楽であることを考え合わせると、対談集の原題ともなっているParallels and Paradoxes(相似と相反)の認め合いこそが、我々が過去と現在を乗り越えていく為の光となる様に思えました。

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